74、対面
静謐な空気に満たされた部屋だった。地下なので窓はないが、壁付けのランプのおかげで室内は十分に明るい。正面の壁一面が戸棚になっていて、20枚ほどの扉があった。恐らく引き取り手のない遺骨がそこに保管されているのだろう。母と同じように、本来の埋葬とは違った形で骨になってしまった事件の被害者たちが。
部屋の中央には机があり、その上に黒い布で包まれた箱のようなものが置いてあった。横幅50センチくらいだろうか、そこそこ大きい。側に立っているのはエスカだ。
「お久しぶりです……」
彼に会うのは僕がキルデの監禁から救出されて以来だった。あのときは彼が隊長だということをそれほど意識せずに話が出来たが、それはまだ感情が麻痺していたからだ。精神の治療を終えてから改めて会うと、その威厳に少し緊張した。
「久しぶり。元気にやっているみたいで安心したよ」
エスカはそう言って気さくに笑い掛けてくれた。それから、僕の隣にいるカイを見て真剣な表情になる。
「本当にいいんだな」
「はい。本人の希望です」
「……分かった。ベス、こっちへ」
エスカは僕を机の前に呼んだ。俄に鼓動が激しくなる。目の前にある黒い包みの中には、恐らく箱に納められた母の骨があるのだ。僕はそこから視線を外すことが出来なかった。
「こちらがロエナ・エヴィングさんの遺骨だ」
彼は淡々と説明するが、物扱いしないように気を遣ってくれているのは分かった。
「遺族には中を確認してもらうのが規則なんだが……、無理はしなくていい」
「見ます」
僕は迷いなく言った。
「どんな姿でも、僕の母なんです」
視界の端でエスカとカイが顔を見合わせたようだった。それからエスカがゆっくりと布を開く。そこにあったのは、一面に花の模様が彫られた白木の箱だった。これが母の棺になるのか……頭の片隅でそんなことを思った。
「……ロエナさんの骨は大きな破損もなく、そのままの状態で発見された。魔術で出来るだけ綺麗にしてあるが、君にとって衝撃的な光景になるかもしれない」
エスカが言った。そのままということは、学院の医療科の教室にある骨格模型と同じということだろう。それは確かに衝撃的だが、無惨な遺体を見るよりは、いっそのこと骨になった姿を見る方がましだった。
「大丈夫です」
そう言って、僕は箱の蓋を留めている金具をそっと外した。緊張の一瞬のはずだが、さっきまで激しかった鼓動は不思議と落ち着いている。
部屋の中は耳鳴りが聞こえそうなほどの沈黙だった。その中で、僕は蓋に手を掛けてゆっくりとずらしていく。整然と並べられた様々な骨が、そして頭蓋骨が、作り物みたいに綺麗な状態で現れた。
「お母さん」
僕はそう口走っていた。目の前の頭蓋骨に写真で見た大人しそうな少女の顔が重なる。その瞬間、一気に現実味が増した。ああ、間違いなく生きて存在していたのだ。ロエナ・エヴィングという人間、そして僕の母は。
傍から見れば正気ではないが、僕は躊躇いもなくその頭蓋骨に触れた。それは硬く、乾いていて、冷たい。それも当然か。15年間、誰にも知られずに土の中で眠っていたのだから。
それでも、僕の胸には温かいものが溢れていた。
「やっと会えた。お母さん、分かる? 僕はミシェルだよ」
僕は母がそこにいるみたいに話し掛けた。カイとエスカがどんな表情をしていようが気にならない。今だけは僕と母の空間だった。
「ジョエルが救ってくれたから、こうやって生きている。周りの人たちにもすごく恵まれて、今までずっと幸せに過ごしてきた。キルデも捕まった。だから大丈夫。もう心配しないで」
当然のように返事はない。しかし、母はきっと聞いていてくれる気がした。
「これからも精一杯生きる。ジョエルの分も、お母さんの分も。お母さんが僕を愛してくれたように、僕も愛しているよ。心から」
伝えたいことは山程あるが、言葉にするのはそれだけにしておいた。話し出せばきっと止まらなくなる。カイとエスカの目には気が狂ったように映るだろう。そうしない程度の理性は、まだあった。
この先まだまだ時間はある。僕の命さえ尽きなければ、心の中で好きなだけ母と話すことが出来る。誰にも邪魔されないのだから、焦る必要はなかった。
僕はそっと蓋を閉じた。母だって、こんな姿を目に焼き付けて欲しくはないだろう。
「……大丈夫か?」
カイが恐る恐るといった感じで僕に尋ねた。僕は顔を上げ、しっかりと彼を見た。
「大丈夫です。ちゃんと、正気ですよ。無理もしていません。ようやく落ち着けるというか……一区切り、付いたのかなと思います」
そう言って少し笑うと、二人は安堵したようだった。エスカは丁寧に箱を包み直し、僕に言った。
「実は、キッシャー・エヴィングがロエナさんの遺骨を引き取りたいと話しているんだ。対面はまだなんだが。君が最初にするべきだと思って、待たせていた」
キッシャーは母の伯父に当たる人物だ。キルデの父、僕の祖父でもある。僕を除けば母の一番近しい親族ともいえた。
「お気遣いありがとうございます、エスカ隊長。……対面はしてもらって構いません。でも、引き取るのは断ってくれませんか」
「君が引き取りたいということか?」
「はい。墓地のこととか、手続きとか、分からないことだらけですけど……。借金してでも、母の墓は僕が建てたいと思っています」
それはほとんど意地みたいなものだった。息子として僕が何かしたいというのももちろんあるが、キルデの育ての親であるキッシャーには、出来る限り母のことに関わって欲しくないのだ。
エスカは頷き、優しくこう言った。
「君の気持ちは分かる。キッシャーにはそう伝えよう。墓に関しては後日、詳しい隊員に説明させる。借金まではしなくていいさ。今はきちんと補助を受ける仕組みがある。悲しいことに、リスカスで未成年が親の墓を建てる事例は少なくないからな」
それは初耳だったが、どんな事例だろう。それを考えていると、カイが言った。
「大体はメニ草関連だ。無垢な労働者だった子供は助かっても、親は中毒死していることが多い。キースの場合もそうだっただろう。……自分を地獄に追いやった親でも、子供はまだ彼らを愛していたりする。だから、人道的な措置として自警団が代わりに墓を建てる手続きを取っている。今年に入って既に3件、そういった事例が発生しているよ」
彼は嘆きとも諦めとも取れる息を吐いて、続けた。
「ここ数年で減っては来たが、まだまだだ。畑を潰しても潰しても一向にゼロにはならない。俺はもうメニ草という言葉を聞くことすら嫌になっている」
「そんなことを言いつつ最前線に立っているのは誰だろうな」
エスカに言われて、カイは苦笑を返した。それから僕に向き直る。
「君にもう一つ伝えなければならないことがある。ハーパー・エヴィングが君との面会を望んでいるんだ」
「ハーパーって……キルデの息子の?」
確か19歳と言っていた。つまり、僕の異母兄だ。
「ああ。君に罵倒されてもいいから、半分血の繋がった兄弟として話がしたい。そう伝えて欲しいと頼まれた」
「罵倒だなんて……。僕はハーパーさんには何の恨みもないですよ。同じキルデの被害者ですし」
ハーパーがそこまでして会いたいと言ってくれるのは素直に嬉しかった。何を話せばいいのかは分からないが、それは向こうも同じ気がする。今までお互いに存在すら知らなかったのだから。
「そうか。じゃあ、会ってもいいと伝えて構わないか?」
「はい」
「分かった。いずれ彼から直接手紙が届くはずだが、間に自警団を挟みたかったら言ってくれ」
カイはそう言ったが、僕は断った。
「いいえ、大丈夫です。ただ兄と会うだけですから。もしかしたら、誰よりもお互いのことを理解し合えるかもしれません」
それは僕のうっすらとした期待だった。生きている兄弟の存在は、ジョエルを失った僕にとっての救いでもある。何にせよ、会わなければ始まらないことだ。
カイは納得したように頷き、エスカと目を見合わせた。
「……ではベス、俺たちは君が納得のいく形でロエナさんを埋葬出来るように協力するよ。それまで自警団で責任を持って預かっておく」
エスカがそう言って、優しく包みを抱え上げた。再び壁の戸棚の中に仕舞われるのだろう。
「はい。……お母さん、待っていてね」
少々後ろ髪は引かれたが、後はエスカに任せ、僕はカイと共に部屋を出た。地下から地上階へ階段を昇ると、廊下の窓からの西日が目に刺さった。
「暗くなる前に学院へ戻れそうだな」
その眩しさに目を細めながらカイが言った。暗くなる前に僕を帰せとチェス教官が念を押していたからだろう。僕はこの機会に、ずっと気になっていたことを尋ねようと思った。
「あの、カイ副隊長」
「ん?」
「チェス教官とは昔からの知り合いなんでしょうか? 気心が知れた間柄に見えるので……」
カイは真顔でじっと僕を見たが、すぐに笑いを溢した。
「相変わらず礼儀正しいな。どんな関係なんだと率直に聞けばいいのに。一言で言うなら……戦友か? チェス教官の方が立場は相当上だが」
「戦友、ですか」
「ああ。10年前に、ちょっとな。変な関係じゃないから安心しろ」
カイはさらりと流したが、10年前といえばガベリアが甦った頃だ。僕は自警団の図書室でブロルが書いたガベリア再生の記録を読んでいたから、そのときに自警団や近衛団が命懸けで戦ったことを知っている。戦友という一言には、語り尽くせないほどの重い意味が込められている気がした。
「……ありがとうございます。とても、納得しました」
「話が早くて助かる。自分のことを知っておいてもらうのも悪くないな。ブロルには感謝だ」
カイはそう言って笑った。
「僕なんかが読んで良かったんでしょうか、あの記録」
「誰が読んでもいいと思ってるよ。個人的にはな。忘れて欲しくない名前がいくつも載っているから。今のリスカスは何人もの犠牲の上に成り立っている。少なくとも魔導師である俺たちだけは、それを忘れてはいけないんだ。……さ、行こうか」
カイは僕に背を向けて歩き出す。一瞬見えたその横顔には、隠し切れない悲しみが浮かんでいたような気がした。




