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73、本名

 私の大切なジョエルとミシェルへ

 生まれてきてくれてありがとう

 二人の幸せを願ってこれを贈ります

 同じ顔、仕草までそっくりのあなたたち

 だけどね

 お兄ちゃんのジョエルは右肩に

 弟のミシェルは左肩に星があるんだよ

 その星がいつまでも

 あなたたちを照らしてくれますように――


 手紙にはそう綴られていた。僕はもう、涙で前が見えなくなっていた。僕らは母にちゃんと愛されていた。しかも母が付けてくれた本当の名前と、兄弟のどちらなのかまで分かった。

 犠牲になったのは兄のジョエル、そして僕は弟のミシェルだ。物心付いた頃から、自分の左肩にうっすらと小さな痣があることは知っていた。それほど目立たないから気にもしていなかったし、星の形とも思わなかったが、言われてみればそう見えなくもない。

 ジョエルとミシェル……どちらも聞き覚えがある。リスカスにありふれた名前とはいえ、こんな偶然があるのだろうか。

 僕がガレット家に迎えられるきっかけとなった子供の名前と、兄の名前は同じ。そしてミシェルは、グレーン乳児院跡地を訪問した際、レイが咄嗟とっさに使った僕の偽名だった。

 カイもカレンも心配そうに僕を見ていた。それもそうだろう。僕は涙と鼻水まみれで手紙を握り締め、何度もしゃくり上げていたのだから。しかし恥ずかしいという気持ちよりも、嬉しさの方が何倍も大きかった。


「……すみません、大丈夫です。嬉しくて」


 僕はカレンがそっと差し出してくれたハンカチで顔を拭い、そう言った。それから手紙を二人に渡す。彼らはさっと目を通し、納得したように頷き合った。


「君の名前がどちらなのか、教えてくれるか?」


 カイが優しく僕に尋ねた。


「はい。僕は、弟のミシェルです。左肩に痣があるんです」


「そうか。となると、ミシェル・エヴィングが君の本名ということになるな」


「ミシェル・エヴィング……」


 多少違和感はあるが、キルデが勝手に付けた名前とは違ってすんなりと受け入れられた。


「今後はそう呼んだ方がいいか?」


 カイに言われて、僕は首を横に振った。


「僕も急には変われないので、ベスで構いません。ベス・ガレットも今の家族が付けてくれた大切な名前ですし」


 15年間それで生きてきたのだ。名前を変えてしまうのは、その年月を無かったことにするようで嫌だった。


「今の名前に付け足せばいいんじゃないかな。どれだけ長くなっても、自警団に入れば略称を登録出来るし。エスカ隊長だって本名は相当長い」


 カレンがそう言って笑った。以前にエスカは「君の苦労が分かるよ。どんな書類も名前を書く欄が小さすぎる」と言っていた。なぜ共感してくれるのかと思っていたが、彼も長い名前だったらしい。

 ミシェルを付け足すというのはいい案だ。両親にも相談して、状況が落ち着いたら改名しようと思った。


「笑顔が戻って何よりだよ。で、手紙にある贈り物というのがその包みか」


 カイは木箱の中にある深紅の包みを指差した。僕はそれをそっと手に取り、開いてみる。中には小さな銀のスプーンが二つ。柄の部分にそれぞれ僕らの名前と生年月日が刻まれていた。


「銀のスプーンか。キペルの風習だね」


 カレンが言った。


「どんな風習ですか?」


「生まれた子供の幸せを願って、名前の入った銀のスプーンを贈るんだ。幸せをすくい取れるようにって。古い風習だから最近は贈る人も減っているけど。僕も母から贈られたスプーン、今でも大切に取ってあるよ」


 カレンが話す横で、カイはじっとスプーンを見ていた。気になる部分があるとしたら、それは誕生日の日付だろう。僕も気にはなっていた。僕の誕生日は当てずっぽうで1月7日となっているが、スプーンに刻まれた日付は12月29日なのだ。


「本来の誕生日に合わせるなら、君は一学年上だったのか」


 カイが呟いた。


「そうみたいです。でも、これで良かったと思います。僕は今の同期たちが好きですから」


「いい同期に恵まれたな。……自警団に入ってからも長い付き合いになるから、大切にするといい」


 そう話すカイの表情に、微かに切なさが混じっている気がした。彼の同期で親友のオーサン・メイが既に亡くなっているからだろうか。カレンがその横顔をちらりと見て、さりげなく話題を変えた。


「僕が担当した部分について、もう少し説明させてもらっても?」


「はい、お願いします」


「ありがとう。さっき話した通り、僕はロエナさんの同僚だった女性、メリー・チューナーに話を聞いた。メリー氏は当時39歳、突然現れた17歳のロエナさんを娘のように思っていたそうだ」


 カレンは淡々と説明を続けた。


「彼女はロエナさんが双子を産んだばかりだということ、その父親から逃げていること、いずれは子供たちを迎えに行くということを聞いていた。ロエナさん自身がまだ若く子供のようだったが、子供たちを心から愛しているのが伝わってきたそうだよ。自分が側にいては子供たちが危険だから、離れることを選んだと」


 ずきりと胸が痛んだ。母もまだ子供だった……今の僕とそれほど変わらなかったのだ。それでも僕らをキルデから守るために、覚悟を決めて険しい道を選んだのかもしれない。


「でも、見付かってしまったんですね。キルデ・エヴィングに……」


 愛されていたことが分かった上で母の絶望を想像すると、身が裂かれる思いだった。その苦しさに思わず俯いて唇を噛む。すぐにカイが言った。


「ベス、休憩しようか」


「いえ、続けて下さい。僕は前に進みたいんです。犠牲になった兄と母のためにも」


 思いの外、前向きな言葉が僕の口から出た。母に愛されていたという事実はやはり、他に比べようもないほど僕の支えになっているらしい。


「……分かった。カレンさん、続けて下さい」


「ああ。ロエナさんは病院の雑用係兼助手として、偽名を使いながら住み込みで働いていた。しかし二週間ほどで忽然こつぜんと姿を消したそうだ。それはキルデ・エヴィングが人を雇ってロエナさんを見付けた時期と一致する」


「その、雇われた人間というのは誰なんでしょうか」


 キルデは表向き、失踪した従姉妹を心配するふりをしていたはずだ。人探し専門の探偵というのはリスカスのあちこちにいるが、まさか、依頼主が対象を殺すとは思わずに話を受けたのだろう。母が殺されたのはその人のせいではないが、どうしても負の感情を持ってしまう。その人が母を見付けさえしなければ、今でも生きていたかもしれないのにと。

 カレンは表情を変えずにこう言った。


「自警団がその人物を見つけ出して話を聴いたよ。現在48歳の男性で、今は廃業しているがスタミシアの探偵だった。キルデからの報酬は相場よりかなり高かったが、それだけ心配しているのだと思い気に留めなかったと。残念ながら彼を責めても仕方がないんだ。善意で引き受けた仕事だし、キルデに騙された被害者でもある。……君の気持ちは分からなくもないけどね、ベス」


 彼は優しくそう付け加える。無言で頷く僕に、カイが尋ねた。


「君はその探偵に処罰を望むか?」


「いいえ。僕も学院で法律は学んでいます。カレンさんの言う通り、その人は法に触れるようなことは何もしていない。罪は全てキルデ・エヴィングにあると思います。僕が望むのは彼が二度と獄所台の外に出て来ないことで……、まさか、出て来ないですよね?」


 思わず確認してしまった。


「そこは安心していい。犯した罪は相当に重いし、その罪に対する反省も見られない。キルデは間違いなく終身刑だ」


 カイがそう言ってくれたので、ひとまず安心した。キルデが仮に出所したとしたら、あの執着心の強さでまた僕の前に現れるはずだ。その可能性が消えたのは有り難いことだった。

 僕が肩の力を抜くと、カイは一呼吸置いてからこう切り出した。


「ロエナさんについて、他に知りたいことはあるか?」


「いいえ。母が僕を愛してくれていたことが分かったので、それで十分です」


 それ以外のことはむしろ知らない方がいい気がした。母がどんな人生を送っていたのか知っても、結局はキルデにその人生を絶たれたのだと思って虚しくなるに違いない。

 カイは頷き、少し視線を落として数秒黙ってから、また僕を見る。何か言いにくいことなのだとすぐに分かった。


「エスカ隊長から、ロエナさんの……遺骨の引き取りについて、君がこう話していたと聞いたんだが」


 ――キルデを憎んでいたように僕らの存在を憎んでいたのか、そうじゃなかったのか。憎い存在に引き取られたりしたら母も報われないと思うんです。でも、愛してくれていたなら……。


 確かにそう言った覚えがある。そしてこうも言った。


 ――会いたいです。たとえどんな姿になっていても。


 カイはそれを説明した上で、僕に尋ねた。


「その気持ちが変わらないのであれば、すぐにでも対面は出来る。ロエナさんの遺骨は今、本部で預かっているから。もちろん後日でも構わない。念のため医務官を同席させることも可能だ」


 彼がそこまで配慮してくれるのは、リスカスで骨と対面するということが一般的ではないからだ。基本的に、亡くなった人間はそのまま棺に納められて土の中。骨になった姿を見るのは、獄所台に収監されている重罪人が死んでから刑の一つとして火葬される場合か、今回のように事件に巻き込まれて亡くなるかだった。

 しかし、僕の気持ちは変わらなかった。骨になっていても母は母だ。僕らを愛し守ろうとしてくれた人。全て受け入れる覚悟はあった。


「すぐに会いたいです。お願いします」

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