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72、判明

「終了! 手を止めろ。回収する」


 試験監督の教官がさっと片手を上げると、各生徒の机に置かれた答案用紙が一斉に彼の手元へ集まる。同時に、周りからは様々なため息が聞こえてきた。今日が第一試験の最終日だ。解放感はもちろんあるだろうが、実力を出し切れて安堵しているのか、上手くいかずに消沈しているのか……。僕はどちらかというと前者だった。

 ここ数週間、人生初というくらい真剣に勉強に取り組んだ。もちろんキースの力も借りた上で、だ。徹夜もしたし知恵熱も出した。その甲斐あって、流石に全教科満点とまではいかないが、かなり手応えは感じていた。

 教官が教室を出て行くと、それまで押し黙っていた級友たちはわっと騒ぎ出した。「あの問題の答えってさ……」とか「もうだめだ退学だ」とか、試験の度に聞こえる台詞が今日も飛び交っている。それでもここまで辿り着いた仲間たちだから、よっぽどのことがなければ落第したりはしないはずだ。二学年に進級してから退学になるというのはかなり珍しいと聞いている。

 僕はそろりと教室を抜け出して廊下に出た。勉強の面倒を見てくれたキースにまずお礼を言わなければならない。早足で医療科の棟へ向かっていると、不意に背後から呼び止められた。


「少しいいですか、ベス」


「チェス教官。はい、大丈夫です……」


 彼女が真顔のままでいるのが気になる。何か悪い話なのだろうか。


「自警団のカイが来ています。君に話があるようです」


「カイ副隊長が……?」


 どきりとした。もしかして、僕の母親について何か分かったのかもしれない。


「君を本部に連れて行きたいそうですが、どうしますか」


「あの、何の話かっていうのは……」


「それは直接カイに聞いて下さい。私は君を探しに来ただけです」


 彼女はさらりとそう言ったが、恐らく何の話かは聞いているのだろう。僕の深い部分に関わることだから、触れずにいてくれるのだ。


「分かりました、行きます」


「そうですか、では」


 チェス教官に着いて玄関口に向かうと、そこでカイが待っていた。


「お久しぶりです、カイ副隊長」


 少し緊張しながら挨拶すると、彼は微笑んでこう言った。


「久しぶり。悪いな、試験が終わって早々に。大事な話だからすぐにでも伝えたかったんだ」


 それからちらりとチェス教官に視線を遣った。反応を確認したらしい。彼女はそれに気付いたのか、カイをじっと見て言った。


「連れ出すのは必要最低限にしてもらいたいですね。正直に言うなら、自警団がベスを利用したことを私は根に持っていますよ。これ以上彼に何かあったら、本部に殴り込みくらいはします」


 冗談……とは言い切れない気がした。彼女の目が本気なのだ。空気が微かにひりつく。カイは真意を探るように少しだけ目を細め、真剣に言った。


「自警団としてあなたと言い争う気はありません。どうか誤解しないで下さい。誠実にベスと向き合おうとしているのは、俺たちも同じなんです」


「……いいでしょう。暗くなる前には帰して下さい」


 そう言ってチェス教官が表情を和らげたので、僕は一安心した。元近衛団長と自警団の副隊長という立場の二人で喧嘩されたら、単なる学生の僕には止めようがないのだ。


「ありがとうございます。行こうか」


 カイが僕に笑いかける。そして案の定、本部までは建物の屋根の上を走らされたのだった。



 君の母親についての話だ、とカイは本部に着いてすぐ切り出した。僕は走ったせいで乱れた呼吸を整えながら彼の顔を見る。普段と変わらないその表情からは、良い話なのか悪い話なのか予想が付かなかった。


「……分かったんですか?」


「ああ。部屋で詳しく話す。こっちだ」


 カイは中央の階段を上り、以前にも入ったことのある聴取室に僕を案内した。既に一人、男性隊員が席について待機している。30代から40代くらい、どこか中性的で美しいその人は、僕を見て魅惑的な笑みを見せた。第二隊員だろうか。


「初めまして、ベス。スタミシア支部第七隊のカレンデュラ・ハウだ。カレンと呼んでくれ。よろしく」


「よろしくお願いします……」


 なぜスタミシアの隊員が、という疑問が顔に出ていたのだろう。彼が説明を加えた。


「今回の件、スタミシア支部管轄の部分もあってね。僕が担当させてもらったんだ。第二隊は古巣だし、エスカ隊長は人使いが荒いし……」


 少し愚痴るように言って、カレンはまたにこりとした。やはり元々は第二隊にいたらしい。


「ちなみに君の担任だったフローレンス・グルー、僕の従兄弟なんだ」


「え、グルー教官ですか」


「そうそう。怖いって評判らしいけど、実際どう?」


 彼は人懐っこく尋ねてくる。どうやら僕の緊張を解そうとしてくれているらしい。カイもそれを止めようとはせずに無言で着席し、僕にも座るよう目顔で示した。


「厳しくはありますけど、生徒思いで優しい教官だと思います」


 僕が椅子に座りながら答えると、カレンは微笑んでこう言った。


「生徒に嫌われていなくて何よりだ。それよりベス、僕の妻から伝言があってね」


「奥様、ですか……?」


 カレンの妻に会ったことなどあっただろうか。怪訝な顔をしていると、彼が説明してくれた。


「ベロニカ・ハウ、トワリス病院の院長だよ。あそこに入院しているノアのことで、是非君にお礼を伝えて欲しいってね。順調に回復して、言葉もスムーズに出てくるようになったそうだ」


「ああ……!」


 会ったことはないが名前は知っていた。雑誌の『青葉』に、メニ草についての記事を書いていた人だ。僕はあの記事で学ばされたことも多かった。


「ベロニカは常日頃忙しく飛び回っているから、直接会う機会もなかなか無いだろうし。代わりに伝えておく。『ありがとう、君はきっといい魔導師になれる』だそうだ」


「そんな、僕は何も……」


「俺からも礼を言っておくよ、ベス。こんなに早くノアの声を聞けるなんて思ってもみなかったからな」


 カイが口を開く。表情は穏やかだ。彼はノアをメニ草畑から救出した張本人で、ノアの一番悪い状態を知っている。だから余計に驚いたのかもしれない。

 立て続けに礼を言われて照れ臭くなり、僕は少し俯いた。さて、と気を取り直したようにカイが言ったので、慌てて顔を上げる。彼の真剣な視線が僕の目を捉えた。


「君の母親について判明したことを伝えようと思う。ただ、君にとって何が辛い事実になるのか俺たちには分からない。傷付けてしまう可能性があることも理解して欲しい」


「はい。覚悟は出来ています」


 とは言ったものの、僕にとって一番辛いこと――母が僕を愛していなかった――が判明したら、子供みたいに泣くかもしれなかった。


「……それじゃ、始めよう。辛くなったらいつでも言ってくれ」


 そう前置きし、僕が頷いたのを確認してからカイは話し始めた。


「君の母ロエナ・エヴィングの生い立ちについては、エスカ隊長に聞いているはずだ。俺たちは彼女がエヴィング家から失踪した以降のことについて話そうと思う。それで問題ないか?」


「はい」


「ありがとう。……まず、自警団はロエナさんがグレーン乳児院を出てから働いていた病院を突き止めた。スタミシアの西15区にある、ベッドが20床ほどの小さな病院だ」


 確かにキルデもそう話していた気がする。姉のアリッサが産後しばらく起き上がるのすら大変な状態だったのを見ていたせいか、僕らを産んでひと月も経たずに母が働きに出ていたことに驚いた。

 母の心境を想像すると辛かった。母はぼろぼろの体に鞭打ってでもキルデから逃げたかったのかもしれない。もしくは、僕らからも。

 カイは続けた。


「そのときの同僚の女性に話を聞くことが出来た。彼女はロエナさんのことをよく覚えていた。それに、ロエナさんの持ち物をずっと保管していてくれた。急にいなくなって心配していたが、いつか戻って来るだろうと」


 急にいなくなった……カイははっきりと言わなかったが、それはキルデが母を見付けて殺したからだ。精神の治療は受けたはずなのに、鉛を飲み込んだような気分になるのはどうしようもなかった。


「持ち物っていうのは……」


 もしかすると、母の心情を知ることが出来る何かがあったかもしれない。少しの期待と不安を持ちながら尋ねてみた。


「それは今、ここにある。カレンさん」


 カイがカレンを見ると、彼は机の下から小振りの木箱を取り出して僕の前に置いた。中には深紅の布に包まれた細長い何かがあった。手の平に乗るくらいの大きさだ。それと、封蝋が押された1通の白い封筒。他にはハンカチやペンなど、細々としたものが入っている。


「ロエナさんが残していった持ち物はこれだけだったようだ。元々、着の身着のままで病院を訪れたと同僚の女性が言っていた。……僕らはこれの中身を見ていない。恐らく君たちに宛てたものだから」


 カレンは白い封筒を指差した。確かに、封蝋はまだ剥がされていないようだ。心臓が早鐘を打ち始める。母から僕らへの手紙だとしたら、一体何が書かれているのだろう。


「見てもいいでしょうか……?」


「もちろん。君にはその権利がある」


 カレンに言われ、僕は微かに震える手で封筒を取った。ゆっくりと裏返して宛名を確認する。その瞬間、目頭が熱くなった。

 封筒の表にはこう書かれていたのだ。

 愛する我が子たちへ、と。

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