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71、助け舟

 一限目はグルー教官の授業だった。僕は彼に事情を話し、授業の最後に少し時間を貰った。級友たちに真実を説明するためだ。実の父親が犯罪者――反応は様々だったが、彼らに共通していたのは今まで通り僕に接してくれるということだった。


「いいか、お前ら。ここまで一緒にやってきた仲間なんだから、裏でこそこそ噂するなんて真似はやめろよ。ベスは面と向かって話したんだ。お前らも何かあるなら面と向かって本人に言え。以上」


 グルー教官がそう言ってくれたせいもあるだろう。誰も声を潜めて話すことはなかったし、皆は父親に関することよりも、まず僕の精神状態を心配してくれた。知ってはいたが優しい仲間たちなのだ。僕は安堵と嬉しさが相まって思わず泣いてしまい、更に心配されたのだった。

 無事に一日の課業を終え、僕はチェス教官の元へ向かった。今朝がた彼女に会ったとき、放課後に教務室へ来るよう言われていたのだ。


「失礼します……」


 成績のことで何か話があるのかと思っていた僕は、恐る恐るチェス教官の机に向かう。何かの書類に目を通していた彼女はふと視線を上げ、僕を見て真顔でこう言った。


「心配するほどでもなかったようですね」


「え?」


「君が上手く日常に戻れたのか、それを確認するために呼んだんです。担任として責任を持ちたいですから」


 そして、彼女は優しく笑った。


「問題ない、といったところでしょうか?」


「はい。何というか……元気です」


 僕もほっとして、自然と笑顔になった。どうやら成績のことを詰められるわけではないらしい。もう行っていいですよ、と言われ、少し拍子抜けしながら教務室を後にした。



 寮へ戻る前に中庭へ寄った。空はまだ明るく、傾き出した太陽が青々とした芝生に広葉樹の影を伸ばしていた。普段はここの遊歩道を散歩する生徒や木陰のベンチで休む生徒の姿があるが、試験が近いこともあって今は誰もいない。大抵の人は図書室や部屋で勉強しているのだろう。

 僕は隅の方にあるベンチに腰掛けて空を見上げた。視界に入った樹が、あの日グレーン乳児院の跡地で見た巨大なにれの木を思い出させる。あの下に僕の兄弟は眠っている。今も、恐らくこの先もずっと。個人の判別が付かないのだから、僕の兄弟の骨だけを掘り起こして墓に納めるなんてことは不可能だし、そんな墓暴きのような真似もしたくなかった。


「……見てる?」


 気付けば声に出していた。兄か弟か分からない彼に、僕はいつも側にいてもらいたかった。キースが言っていたように本当はどうしようもなく寂しいのだ。

 堪えきれなくなったものが目から溢れそうになったとき、不意に声が聞こえた。


「見てるよ」


 僕は背後をばっと振り返る。


「ジジ……」


「ごめんね、タイミング最悪で」


 彼女は眉尻を下げてそう言うと、すっと僕の横に腰掛けた。


「キアラに聞いたんだ。ベスが監察科のみんなに本当のこと話したって。心配になっちゃって、探してたの。あなた胃が弱いから……」


「ああ、ジジに胃炎を治してもらったことあったもんね」


 僕は目元を拭いながら、ふと気付いた。


「そういえば医療科のみんなには何も話してなかった。すっかり頭から抜けてて……」


「大丈夫、リローに聞いた。それでね、私、その後医務室に行って――」


「えっ、具合が悪くなったの?」


 ジジの目が微かに赤いのはそのせいだろうか。自分のせいかと思って慌てたが、彼女は首を振って否定した。


「違う、違う。医務室の本棚に雑誌あるの、知らない? 医務教官の趣味なんだけど、色々あるんだよ。真面目なのから低俗なのまで、幅広く」


 それは初耳だった。真面目から低俗、『青葉』から『枯れ草』までといったところか。


「グレーン乳児院っていう単語、掃除のときに見た記憶があって。急いでそれを探して、読んでみたの。その中に出てくる生き残った子供っていうのがベスで……あなたの気持ちを想像したらもう、辛くて……」


 ジジは俯き、膝の上にぽとりと涙を落とした。僕自身は治療のおかげか、事件のことについて考えてもそれほど感情が揺れることはない。だから彼女に申し訳ない気持ちになった。


「僕は大丈夫だよ。みんなが想像するほど辛くない。だから元気出して、ジジ」


 僕が明るく言うと、彼女は涙に濡れた顔を上げて笑った。


「私が慰められてるようじゃ、まだまだ医務官としては未熟だなぁ。でも、分かったよ。ベスがそう言うならしんみりした顔はしないようにする。今日はびっくりする事もあった日だし」


「びっくりする事?」


「そう。朝一でリローに謝られてさ」


 ジジがユーリスに告白したことで、彼女に好意を持つリローはここ最近変な態度を取っていたのだ。朝一で謝れとキースに言われて、素直に実行したらしい。


「……へぇ、何て?」


「意味不明な態度を取ってごめん、って。確かにここ数日、意味不明だったんだよね。素っ気ない割りに突っ掛かってくるし、それなのに目も合わせてくれないし。私が何かしたのって聞いても、別にって言うし。やりにくいったらなかった」


 不満げなため息を吐いてから、ジジは宙を見つめた。


「まさか、私がユーリスに告白したのが面白くなかったなんて……」


「え、リローがそう言ったの?」


 ずいぶん正直に謝ったらしい。そしてそこまで言ったなら、もう彼がジジに告白したも同然ではないだろうか。

 ジジは微かに頬を赤らめ、僕を見た。


「うん。なんでって聞いてもはぐらかされたんだけど、面白くないってことはつまり、リローって私のこと……?」


 僕はリローに、そこまで言ったなら最後まで言えよと突っ込みたくなった。れったいにも程がある。とはいえ、僕が勝手に伝えるのはデリカシーに欠けると思った。


「つまりそういうこと、なんじゃないかな。よく分からないけど」


 無意味ではあるが曖昧に答えておいた。ジジは両手で頬を挟み、うーんと唸っていた。


「リローに聞いてみていいかなぁ。このままモヤモヤしてるのもーー」


「あ、いた。ベス!」


 遠くから聞こえた声の主は、早足でこちらに近付いてくる。まさかのリローだった。


「キースがお前のこと探して……」


 彼はジジの姿に目を止め、途端に口をつぐんだ。なんて分かりやすいのだろう。二人はお互いに目を逸らしてそわそわしている。さて、どうやって助け舟を出してやろうかと考えていると、向こうからキースがやってきた。


「ベス、ちょっと話があるから来て欲しいんだ」


 その真剣な様子に僕はどきりとした。何の話だろう。


「あ、うん……。じゃあ、またね」


 不安げな表情をしているジジとリローを残して、僕は早足に歩いていくキースを追い掛ける。校舎に入り、ドアが閉まった所で彼は不意に立ち止まった。そしてすぐ、側の窓から中庭の様子を覗う。そこで僕は気付いた。


「……キース、もしかして」


 彼はジジとリローが二人きりになるように仕組んだのだ。


「これ以上変な空気にされたら堪らないんだよ、こっちは。医療科の平穏のためだ」


 真面目な調子でそんなことを言いつつも、彼の横顔は少し笑っていた。

 僕らは窓から二人の様子を見守った。ベンチに横並びで座りながら、先に口を開いたのはリローだった。時折頭を掻いたりしながら話しているが、一番大切な言葉がなかなか出てこないらしい。


「頑張れ……」


 思わず呟きながら固唾をのんで見守る。ジジが何か答え、やり取りが少し続いた次の瞬間だった。リローが不意に周りを窺い、そっとジジの両肩に手を載せる。


「……わっ、見ちゃダメだ!」


 僕はキースの腕をひっ掴んで窓の下にしゃがんだ。同期のそんな光景なんて見たら、目に焼き付いて離れなくなってしまう。次に会ったときにどんな顔をすればいいのか、結果的に困るのは僕だ。


「落ち着けよ。リローにそんな根性は――」


 キースは僕の手を振り払って立ち上がり、窓の外を見て固まった。それから僕を見て、にやりと笑った。


「あったみたいだ」


「あーあ。知らないぞ、まともに二人の顔見られなくなっても……」


 僕は呆れながら立ち上がり、何の気なしに窓の外を見る。驚いたことに二人はまだ離れていなかったから、僕は盛大にせてキースに笑われたのだった。

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