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70、再出発

 学院に着いたのは8時頃だった。今日は一限目の授業から出席出来そうで、少しほっとする。これ以上勉強が遅れると冗談抜きで試験に落ちるかもしれなかった。


「おかえり、ベス」


 僕が寮の部屋に入ると、自分の机で授業の準備をしていたキースが顔を上げた。数日前に会っているからか、僕を見てもそれほど表情は変わらない。


「横断幕いらないって言ってたから、作ってないぞ」


 そう言って手元に視線を落とす。横顔を見ると、口元が少し笑っていた。


「……うん。いつも通りにしてくれたら嬉しいよ」


 僕も笑って自分の机に向かい、授業の準備を始めた。これでようやく日常が戻ってくるのかと思うと、嬉しさ以上に疲れがどっと押し寄せてくる。入院中にのんびり過ごしすぎたのだろうか。

 ふと、廊下から誰かの足音が聞こえた。走っているようだ。足音は僕らの部屋の前で止まり、短いノックに続いてドアが開けられた。


「ベスっ!」


 部屋に飛び込んできたのはリローだった。彼はすぐさま僕の側へ来て両腕を掴むと、乱れた息を整えながらこう言った。


「何があったんだよ。キースの野郎、俺の口からは言えないとか言って融通が利かないし。心配したんだぞ」


 それを聞いて、横でキースが顔をしかめていた。


「心配させてごめん。トワリス病院に入院してたんだ」


 僕が正直に言うと、リローは驚きの表情で数秒固まり、それからこう言った。


「トワリス病院て……。やっぱり、胃潰瘍じゃなかったんだな。この間窓から飛び降りたことといい、ベス、お前、一体何を抱えているんだ? 話してくれよ。少しなら力になれるかもしれないだろ」


 彼の切実な言葉から、本当に心配してくれているのが伝わってくる。それほど覚悟を決めなくても、彼になら真実を話せる気がした。


「同期のみんなにも話すつもりだけど、リローには先に話しておくよ。僕の本当の父親は、凶悪犯罪者だった。それでこの間自警団に確保されて、獄所台に送られた」


「な……」


 リローは絶句していた。急にこんなことを言われたら誰でもそうなるだろう。ましてや、彼は僕が養子だったことも知らないのだ。


「えっと……、何から聞けばいい? 本当の父親って、今のあの親父さんは、違うのか?」


 彼は混乱しながらも情報を整理しようとしている。さすがは医療科の生徒、状況判断も的確だ。キースは口を挟まず、ただじっと僕らを見ていた。


「うん。僕はガレット家の養子。元々はグレーン乳児院にいて……、ルカ医長から聞いてるだろう、グレーン乳児院放火事件の話」


 キースが以前、そう言っていた。ルカが授業でその話に触れたと。


「ああ、聞いたことあるけど……。え、ちょっと待てよ。お前はいつ、そこにいたんだ?」


「15年前、生まれてから3ヶ月の間。放火事件があった日もそこにいた。その犯人が僕の父親だったんだ。僕は実の父親に殺されかけたけど、生き延びた」


「ベス」


 リローが悲鳴のような声を出した。彼の目は微かに赤くなっている。


「トワリス病院で治療を受けたせいかもしれないけどな、お前が淡々と話していることは、結構とんでもないことなんだぞ。ちょっと待ってくれ……」


 彼は一旦僕に背を向けて深呼吸した。確かに、こうもすらすらと話せてしまうのは治療の()()()、というより治療の()()だ。話を聞いた相手がどう思うか、そこまでは考えていなかった。ルカから事件後の惨状を聞いていた彼には、衝撃が大きすぎたのかもしれない。


「ごめん。聞きたくないことを聞かせたね……」


「違う、そんなこと言ってないだろ」


 リローが勢い良く振り返った。さっきよりも目は赤い。


「ベスの気持ちを思ったら胸が苦しいだけだ。なんで父親がそんなこと……」


「理由は色々あるけど、そこは伏せさせてほしい。それに今は大丈夫だよ。そのことを考えても苦しくはならない。……僕が本当のことを話そうと思ったのは、散々みんなを心配させたからっていうのもあるけど、僕のことを監視していてもらいたいからなんだ」


「監視? 何の監視だ」


「僕の父親は狂人だった。同じ血が流れている僕も、もしかしたらそうかもしれない。この先、人として間違ったことをするかもしれない」


 リローは瞬時に眉根を寄せ、こう言った。


「狂気が遺伝するってか? そんなもの非科学的だぞ。それにベスが狂人なら俺はもっと狂人、キースなんて更に狂人じゃないか」


 引き合いに出されたキースはまたもしかめ面になる。僕は思わず笑ってしまった。


「笑うところかよ。俺は真面目だぜ。血がどうのこうのなんて、そんな呪いみたいなこと二度と言うな。馬鹿馬鹿しい」


 リローはそう言ってふうと息を吐き、呆れたように笑った。呪い、とは言い得てみょうだ。僕は自分で自分を呪っていたのかもしれない。彼の言葉で肩の力が抜けた気がした。

 僕は一つ、彼に確認してみたいことがあった。


「僕を見る目、変わった?」


「はあ? こんなことで変わるかよ。それにな」


 リローはちらりとキースを見た。


「同期の正体が実は……っていう筋書きは、もうお腹いっぱいだ」


「満腹になって何よりだな」


 キースが半笑いで言う。どこか皮肉めいた言い方だった。


「何だよ。名前が変わったなら中身も変われ」


 リローが嫌味を返す。何故だろう、さっきからこの二人がギスギスしているのは。


「……あのさ、僕がいない間に何かあった?」


 交互に二人を見ると、リローはすぐに目を逸らす。何やら言いにくいことがあるらしいが、キースはお構い無しにこう話した。


「ジジがユーリスに告白したから、リローは傷心中なんだよ。俺はジジに頼まれてユーリスに手紙を渡しただけなのに、逆恨みされてる」


「てめ……っ、この人でなし!」


 リローが掴み掛かる勢いで言った。彼がジジに好意を持っていることは僕も以前から気付いていた。ユーリスは監察科の同期だが、ジジの好みは彼のような人だったらしい。細身で儚げな雰囲気を纏っていて、いかにも健康的なリローとは正反対だ。

 キースがぎろりとリローを睨んで言った。


「どっちが人でなしだ。授業や実習にまで私情を持ち込んで。お前が変な態度を取るから、当のジジが困惑しているのが分からないのか?」


「それは……」


 さっきまでの勢いがしぼみ、リローは口をつぐんだ。キースが更に言いつのろうとするので、さすがにリローが可哀想になって止めた。誰よりも賢いキースに正論で追い詰められたら、僕だって泣くかもしれない。


「僕の前で喧嘩しないでくれ。こう見えて病み上がりなんだぞ」


 少しずるい手だが、二人を黙らせるには効果的だった。僕もいつの間にやら狡猾こうかつになってきたらしい。

 ごめん、と二人は同時に謝り、部屋に沈黙と気詰まりな空気が流れる。


「……リローは嫌だろうけどさ、ジジもユーリスも大事な仲間なんだから、幸せを願ってあげようよ」


 僕が切り出すと、リローはしかめ面でこう言った。


「んなこと当たり前だろ。幸せ、だったらな。ユーリスの野郎、ジジのこと振ったんだよ」


「え」


 予想外の返答だった。てっきり二人がいい仲で、リローはそれが面白くないのかと思っていた。キースに顔を向けると、彼も頷いた。


「今は無事に魔導師になることしか考えられないって。表向きはな。本心は、自分のことでジジを泣かせたくないからだって。ユーリスがこっそり教えてくれた」


「おい、俺はそんなこと聞いてないぞ! 知ってたなら教えろよ!」


 リローが気色けしきばむが、キースはふんと鼻を鳴らして言った。


「冷静になれない奴に他人の秘密を教えるわけがないだろ。お前はまずジジに謝れ」


 またしても喧嘩が始まりそうだったので、僕は口を挟んだ。


「ユーリスも蜥蜴のことを知っているから、自警団に入ったらいつか死ぬかもしれないと思っているんだよ、きっと。僕だってそれを考えなくはない。ただジジはそれを知らないし、蜥蜴のことを話してもいけないから、ユーリスは別の理由で振るしかなかったんだ」


 ユーリスは列車襲撃事件のときに僕らと一緒にいたから、蜥蜴の危険性も知っている。将来のことを考えて告白を断ったのは、ある意味誠実とも言えた。

 リローは眉間に皺を寄せて数秒考え、気力ががれたように項垂うなだれた。


「……そうだな。俺がガキだった。ジジには後で謝るよ」


「朝一で謝れ。今日はレナ院長の授業だぞ。非常時の訓練だし、仲間と協力できなきゃ激怒されて終わりだ」


 キースは追求の手を緩めない。レナ院長は彼らにとってそれほど怖い存在らしい。リローも大人しく頷いた。


「分かってる。……悪かったな、ベス。あんまり無理するなよ!」


 そう言って、意外と元気に部屋を出ていった。気持ちの切り替えの早さは羨ましいくらいだ。


「……朝からすごい疲れたんだけど。僕が倒れたらどうしてくれる?」


 冗談半分でキースに言うと、彼はふっと笑ってこう返す。


「失神でも何でもしてくれ。介抱する」


「ふざけんな、もう失神なんてしない」


「そう願ってるよ。……準備出来たなら行こう。一緒に卒業するんだろ?」


 なんてずるい笑顔なのだろう。この顔でこんなことを言われたら、誰だってイエスとしか答えられないはずだ。


「君がまた失踪したりしなければ大丈夫だと思うけどね。行こうか」


 僕は嫌味を言いながら鞄を持つ。キースはくすりと笑ってそれを受け流し、僕らは一緒に部屋を出たのだった。

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