69、元気
トワリス病院に入院して一週間が経過し、正式に僕の退院が決まった。そして退院の日の朝、僕を学院まで送るために現れたのは制服姿のラシャだった。彼に会うのはいつ以来だろう。
「ラシャさん、お久しぶりです」
「久しぶりだね。元気そうで良かった。夜勤明けで治療を受けに来てたから、どうせならベスと一緒にキペルへ戻ろうと思って」
ラシャはそう言ってにこりと笑った。夜勤明けの上に精神の治療を受けたら、ふらふらになってもおかしくないはずだ。しかし、彼は気力に満ちているように見えた。
「疲れているのに、ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。体力はある方だから。それに今日が最後の通院日だったんだ。とりあえず行こう。君の仲間が首を長くして待っているらしい」
ラシャは僕を連れて病室を出る。最後の、とはどういう意味だろう。彼は魔術が効きにくい体質と言っていたが、ようやく完治したのだろうか。だからこんなに元気そうに見えるのか?
彼の横顔をちらりと見つつ、僕は朝日が眩しい廊下を進んだ。
「気持ちのいい朝だね。戻るにはちょうどいい」
ラシャはなんとも清々しい表情で、窓の外に広がる青空に目を遣った。僕が学院に戻るということ以外にも、何か意味がありそうな言い方だった。
僕の視線に気付いたのか、彼はこちらに顔を向けた。
「実は僕の方も色々と進展があってね。妹のことで絶縁状態だった両親と、また会って話せたんだ」
「えっ、本当ですか?」
予想外のことに驚いた。ラシャの妹は15年前に馬車に轢かれて亡くなっている。自分が繋いでいた手を離したせいだとラシャは自分を責め、両親も彼を責めた。そのせいで関係が壊れ、ラシャは祖父母の元で育ち、両親とは今に至るまで絶縁状態だったらしい。彼がトワリス病院に通い続けるのもその事故が原因だった。
「うん。アシュリーが……僕の妻なんだけど、結婚してからこっそり僕の両親に手紙を出していたみたいでね。一度会いたいって、向こうから返事が来たんだ」
アシュリーは蜥蜴による列車襲撃事件の際、僕を助けてくれたスタミシア支部の隊員だった。目が輝いて見えるほどに明るい人だったが、ずいぶんと思い切ったことをしたものだ。
「それで、会うことになったんですね」
「うん。両親から一体どんな目を向けられるのかって緊張したけど……、二人とも泣いて謝ってくれた。僕を責めたことを本当に後悔しているって。何度も元の関係に戻ろうとしたけど、もう僕への接し方が分からなくなっていたらしい。それでも大切な息子であることは変わりないって。二人の本心を聞けて、この15年の苦しみをようやく水に流せた。僕も両親を恨んではいなかったし。今までの分も沢山話して、結婚も喜んでもらえて、ずいぶん心が軽くなったんだ」
ラシャはそう言って幸せそうに微笑むのだった。
「だから最後の通院に……?」
「そう。もう大丈夫と先生のお墨付きを頂いたところ。ベスにもお礼を言わないといけない」
「僕は何もしていませんよ」
別に、彼におまじないを掛けたわけでもない。僕は無関係だと思ったのだが。
「そんなことはないよ。僕の話を聴いてくれた。それに君の存在そのものが救いになるんだ。ノアに奇跡も起こしたしね」
存在が救い。似たようなことをルカも言ってくれた気がする。畏れ多いような照れ臭いような気分で言葉に詰まっていると、ラシャは真剣な表情でこう言った。
「そんな君を自警団の作戦に利用して傷付けたことは、本当に申し訳ないと思っている」
「いいんです、それは。僕だってキルデ・エヴィングが野放しになっているのは嫌ですし。……ただ、母のことだけはちゃんと知りたいんです」
僕はラシャを見つめ返した。自警団の弱味に付け込んだ要求というわけではない。これは単純に、彼らにお願いしたいことなのだ。
「僕の力では知ることの出来ない真実が、きっとあるはずなんです。自警団なら調べられると思って」
「もちろん調査は進めているよ。それが僕らの責任でもある。そう遅くない時期……少なくとも君が学院を卒業するまでには、結果を伝えられると思う」
「……すみません。でしゃばったことを」
急に申し訳なさを感じた。蜥蜴のような組織と命懸けで戦う彼らに、一個人の希望で調査を頼むなんて。
ラシャはふふっと笑い、言った。
「本当に真面目なんだね、ベス。でもそれが君の良いところだ」
「真面目な人間は魔導師には向いていませんか?」
根に持っているわけではないが、以前、ラシャに「優しすぎて魔導師に向いていない」と言われたのを思い出したのだ。
「自分を追い詰めるっていう意味では。適度に息抜き出来れば大丈夫。それに最初から向き不向きを決め付けるのはもったいないよ。やってみないと分からないこと、世の中には星の数ほどある」
ラシャの言う通りだと思った。やってみないと分からないこと……僕だったら、首席を目指すこともその一つだろうか。
「……僕、第一隊に入りたいんです」
思ったままを口にしてみると、ラシャは少し嬉しそうにこう言った。
「そうなんだ。楽しみだなぁ、ベスが新人として入ってくるの。指導係に立候補しておこう」
「でも、学院での成績があまり良くなくて。新卒では無理だってチェス教官に言われています」
「成績より実績だよ、ベス。蜥蜴が起こした列車襲撃事件のとき、君たちが乗客を助けたことは僕らも知っている。爆発物も早い段階で見付けていたしね。十分、評価に値する実績だ」
ラシャに言われてあの時のことを思い出した。確かに学生としては頑張ったような気がする。覚えたての魔術で出来る限りのことはしたつもりだったが、それが隊の配属を決める際の評価になるとは思わなかった。
「それじゃあ……まだ希望を捨てなくてもいいですか?」
「もちろん。とはいえ、地を這うような成績では駄目だよ。少なくとも平均よりは上。君なら出来るだろう? 頑張ってね」
ラシャは厳しい要求を屈託のない笑顔で言う。もしかして彼は部下にスパルタ指導をするタイプの人間なのだろうか。指導係に立候補と言っていたが、少し怖くなったのだった。
スタミシア支部と本部を繋ぐ連絡通路を使い、僕らはキペルへ戻ってきた。ラシャと一緒に本部の廊下を歩いていると、向こうからフィルが歩いてくるのが見える。彼は立ち止まり、一瞬僕を見てラシャに視線を移した。
「……学院まで送るのか?」
「はい。一人で帰したら、たぶんチェス教官にぶっ飛ばされますから」
ラシャは冗談とも本気とも取れる言い方をした。フィルは表情を変えずに頷き、「お疲れ様」と言葉少なに去ろうとする。まるでさっさと僕から離れようとしているみたいだ。
その理由が分かった僕はフィルを呼び止めた。そして振り返った彼に、はっきりとこう言った。
「僕、元気ですから」
「……え?」
「辛い思いはしましたけど、皆さんが思っているより元気です。自警団には感謝しています」
フィルはきっと、僕を作戦に利用したことを気に病んでいる。「辛い思いをさせて、ごめんな」と先に謝っていたくらいだ。だから、僕は大丈夫だということを彼に伝えたかった。
フィルはしばらく無言で僕の顔を眺めていたが、ふと表情を弛めて微笑んだ。
「そうか。ありがとう」
そして、さっきよりも軽くなったように見える足取りで去っていった。
「……なに? 今のやり取り」
事情を知らないラシャが、不思議そうにフィルの背中を見送っていたのだった。




