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64、家族

 僕自身、今までその可能性に思い至らなかったのが不思議だった。キルデが何らかの手段で母を支配していた。あの男ならやりそうなことだ。甘い言葉でなのか、脅しでなのかは分からない。だが僕が初対面でキルデの外面に騙されたように、母も初めは騙されたに違いなかった。

 僕が言葉に詰まる中で、エスカは説明を続けた。


「エラはロエナを不憫ふびんに思い、逃がすことに協力した。自分が悪役を買って出たんだ。夫の不倫に激怒してロエナを追い出した妻、という役を。そういう理由もあってエヴィング家の人間はロエナを探さなかったし、キルデも表向きは反省の態度を示して大人しくしていた。ロエナのお腹に子供がいたというのはエラ以外知らなかったそうだ。……ここまでが、ハーパーがエラから聞いた話になる」


 エラはずいぶんと母に同情的であったらしい。少しでもキルデの異常さに気が付いていたのだろうか。


「そのエラさんに、直接話は聞いていないのですか?」


 僕が尋ねると、エスカの表情が微かにかげった。


「エラは2年前に窓からの転落事故で亡くなっている。彼女がハーパーにロエナのことを打ち明けた4日後のことだ。ハーパーによると、事故が起きたのはエラがキルデと何か長い話をした直後だったと。俺が思うに、何らかの覚悟を決めたエラはロエナのことについてキルデと話をしたのだろう。彼女はそこで、キルデが既にロエナを殺害していたことを知った」


「わざと教えたんです、きっと。僕にしたみたいに、母の殺害方法を嬉々として話したに違いありません。花畑に遺体を埋めてあることも……」


 恐らくキルデは錯乱状態になったエラが窓から飛び降りることまで想定していた。彼女が邪魔になり、そんな手段を取ったのだ。

 ふと、疑問に思った。


「ハーパーさんは事故を不審に思わなかったんですか? エラさんに打ち明け話をされた後なのに」


「それがあったから、余計に誰にも相談出来なかったそうだ。彼にとってキルデは得体の知れない存在で、自分もいつか殺されるのではないかという恐怖を抱いていた。だからエラにされた話についても胸の奥にしまって、何も知らない振りをした」


「いい父親ではなかったんですか……?」


 外面の良いキルデなら子供の前でそのくらいの演技はしそうだった。しかしエスカは、首を横に振った。


「他人よりも他人、とハーパーは言っていた。同じ屋敷に住んではいるが、顔を合わせるのは家族で何かの行事に出席する時だけ。他人の目がなければキルデは自分を視界にも入れなかったと。物心付いた頃からずっとだそうだ」


「……どちらが不幸なんでしょう」


 思わず呟いていた。


「殺されるほど父親に執着されるのと、完全な無関心と」


 そう言いながらも僕の中で答えは出ていた。どちらも不幸だ。ハーパーと僕は、同じ父親に地獄を見せられた兄弟ということになる。母を奪われたのも同じだ。何とも表現しにくいこの気持ちは、親近感なのだろうか?

 エスカは一度目を伏せ、また僕を見た。


「俺には何とも言えないが、はっきりしているのは君たちに何の罪もないということだ。自警団はこの先、君たち、特にハーパーが世間の目に晒されないように配慮する」


「どういうことでしょう?」


「キルデ・エヴィングがグレーン乳児院放火事件の犯人であったということは公表しない。キルデの地位や顔の広さを考えるとあまりにも影響が大きいからだ。ハーパーは父親のことで針のむしろになるだろうし、恐らくソーン銀行も潰れる。そうなると君への補償も出来なくなるからと、キッシャー・エヴィングと話が付いている」


「補償……?」


 今までの話だと、キッシャーは僕の祖父であり大伯父でもある。赤の他人というわけではないが、会ったこともない人物だ。


「君が一生、生活に困らない程度の金額を詫び金として受け取って欲しいそうだ。キルデのことについても親として、君の祖父として直接謝罪したいと申し出があった」


「まともな人なんですか、キッシャー・エヴィングは」


 つい言ってしまった。あの狂人の親だから、ただ単に世間体を気にしたのではないかと思ってしまう。

 エスカは真剣に頷いた。


「俺が直接話を聴いたから、そこは保証する。魔術で尋問もした。彼の証言や発言に嘘はなかったよ」


 容疑者でもないキッシャーに尋問とは、エスカも容赦ない人間らしい。魔術での尋問は精神的な苦痛を伴うものだ。


「キッシャーの提案を受け入れるかどうかは、君がゆっくり考えた上で決めていい」


「補償もいらないし、会いたくもないです」


 僕は即答していた。


「もう関わりたくない。僕の家族はガレット家の人たちです。母のことだけ分かれば、後は何も知らなくていい。……そういえば、僕の家族にはどこまで話してあるんでしょうか?」


 少し心が落ち着いたのか、ようやくそこに意識が向いた。彼らはそもそも、僕がここに入院していることを知っているのだろうか。


「ご両親には脳出血で入院したとだけ伝えてある。無事ではあるが念のために安静が必要で、面会は許可が下りてからと。……君の意思を確認せずにキルデの話を伝えるのは勝手が過ぎると思ってね。15歳は子供だが、一人の人間としてその意思が尊重される年齢だ」


 エスカは廊下の方にちらりと目を遣り、続けた。


「一応、ご両親と兄のレイ氏が病院まで来て待機している。キルデのことについて説明が必要なら、俺が責任を持って話をする。自分の口から話すのは辛いだろうから」


「いいえ。まだ話さなくていいです」


 僕はそう言った。レイがいるならなおさらだ。自分がキルデと僕を結び付けたと、彼は責任を感じてしまうに違いない。


「余計な心配をかけたくないんです。僕を、たぶん僕自身よりも大切に思ってくれている家族だから。キルデのことなんかで心を痛めて欲しくないと思って」


「……君は本当に優しい子だよ、ベス。俺がルカに軽蔑されるのも納得だ」


 エスカはふっと力が抜けたように笑う。ここへ来てようやく緊張が解けた気がして、僕も少しだけ笑った。


「では、彼らをここへ呼んでも大丈夫か?」


「はい、お願いします」


 そしてエスカは部屋を出ていき、数分経って両親とレイが駆け込んで来た。


「ベス! まあ、なんて顔色の悪い……。でも無事で良かった」


 母がまず僕を抱き締め、労るように背中を擦った。幼い頃からよく知っている温かい腕の中で、すっと肩の力が抜けていくようだった。


「朝早くに自警団の人が家に来てな、お前が入院したと聞いてそりゃ心配したんだぞ。父さんたち、すっ飛んで来たんだ」


 父が安堵の溜め息を吐く。レイはその後ろで、少し青白い顔をして立っていた。


「もしかして、俺がエヴィングさんとの食事に誘ったのが悪かったか?」


 レイの言葉にどきりとした。まだ彼は何も知らないはずだが。


「え……?」


「緊張させたから、そのせいで脳の血管が切れたんじゃないのか?」


「まさか。それくらいで切れてたら僕、もう何十回も死んでる。今回は転んで頭を打って、打ち所が悪かっただけ。たまたま起きた事故だよ」


 ほっとして思わず笑ってしまった。レイはようやく表情を和らげ、顔にも血色が戻る。僕はとてもじゃないが、キルデの本当の姿を彼には話せないなと思った。話せばその衝撃で彼の脳血管が切れるかもしれない。


「明日には退院だって、なんだか乱暴な言葉遣いの医務官に説明を受けたよ。良かったな、ベス」


 父が僕の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。その医務官は恐らくレナ院長だろう。トワリス病院に転院しなければならない件は伏せてくれたようだ。


「うん。ごめんね、心配かけて」


 僕が言うと、三人は信じられないといった顔で僕を見た。


「謝ることじゃない。お前はもっと家族に甘えなさい。それに具合の悪いときくらい、弱音を吐いていいんだぞ。何度でも言うがお前はうちの子だ。父さんたちに変な気を遣わないでくれ」


 父が真剣にそう言った。母もレイも、大きく頷きながら同意する。不意に目頭が熱くなった。キルデに酷い目に遭わされたせいで感情が麻痺したのかと思っていたが、家族の前では普段通りに心が動くようだ。

 キルデが実の父親であることは間違いなく不幸。しかし、このガレットの家族に迎え入れてもらえたことは他に比べようもないくらい幸せなこと。この先もっと悲惨な真実が出てきたとしても、きっと耐えられる気がした。彼らに貰った幸せがそのまま僕の強さになっているのかもしれない。


「みんな、ありがとう……」


 最後の方はもう、涙に混じって言葉にならなかった。

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