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63、逃亡

「そう、ですか……」


 全身の力が抜けていくようだった。自分が狂人の犯罪者の子供であることや、母に捨てられたかもしれないことが辛いからではない。


「僕、実の父親に生きたまま燃やされたんですね」


 何とも衝撃的な、小説にもあまり出てこないような台詞だが、それを口にした僕自身は無感情だった。涙も出ない。監禁されてキルデの話を聞いていたときに流しきってしまったのかもしれない。

 床に落としたままの視界に、膝の上でぐっと握られるエスカの手が映った。顔を上げてみると、僕を見る彼の目は微かに赤くなっていた。第二隊の隊長ともあろう人がこんなに感情を出して大丈夫なのだろうか。ぼんやりとそんなことを思った。それくらい僕の境遇は悲惨なのかもしれない。


「すみません、余計なことを。続けて下さい」


「いや、先にデイン医長の診察を受けた方が――」


 エスカはそう提案したが、僕は断った。


「大丈夫です。感情が麻痺している今のうちに全て聞かせて下さい。後回しにするほど辛くなる気がして。どうせトワリス病院に入れられるなら、落ちるところまで落ちておいた方がいいんです」


 投げやりに聞こえただろうか。エスカは数秒沈黙した後、頷いた。


「分かった。出来るだけ簡潔に説明するよ。一応、君は病み上がりの体だ。無理をさせるとルカに殴られるかもしれない。君を利用することに一番反対していたのはあいつだから」


「ルカ医長が?」


 エスカの口振りからすると二人は親しい間柄のようだ。そういえば、ルカはどの時点で僕の正体を知ったのだろう。


「ああ。ルカは俺の同期だ。あいつがグレーン乳児院の事件後もその記憶に苦しんでいたのを、一番側で見てきた。ルカは俺に言ったよ。魔導師として関わっただけの自分がこれだけ苦しんだのに、当事者のベスが真実を知って正気でいられると思うのかって。キルデ確保の作戦についてルカに話したのは、ちょうど君がルカと初めて会った後だったから。あんなに優しい子をよく地獄に落とそうと思えるなと、軽蔑の目を向けられた」


 エスカは淡々と話す。ルカは以前に、学生時代の友人と分かり合えたのなんて30歳も過ぎた頃だと僕に話していた。その友人がエスカだとしたら、分かり合えた友に軽蔑の目を向けられるのは相当辛いことだ。それも含めて覚悟の上だったのだろうか。


「最終的には協力してくれたが……こちらの都合は君には関係なかったな。言い訳するつもりはないんだ。続けよう。キルデの自白について」


 にわかに緊張し、僕は膝の上で手を握った。


「奴が狂人であるが故、やはり尋問には時間が掛かった。俺たちの尋問では期限までに真実を引き出せなかった、つまり間に合わなかったと言わざるを得ない。従って、キルデが君に話した内容を証拠として獄所台に送るしかなかった」


 それを聞いて、肩の力が抜けた。ほっとしたというのが本当のところだ。これ以上悲惨な真実を知ることにならなくて良かった、と。


「では、特に新しい情報はないということですね」


「そういうことになる。獄所台の審理官に尋問を受ければさすがのキルデも全てを自白するだろうが、それは俺たちも知ることが出来ない。君を利用しておきながら、中途半端に終わらせてしまった」


 すまない、とエスカは呟いた。


「キルデを獄所台に送れただけで十分です。グレーン乳児院の職員たちも子供たちも……僕の兄弟も、これで安らかに眠れると思います」


 それは僕の本心だった。事件の真相は悲惨だったとしても、犯人がこの先ずっと野放しになっているよりは救いがある。エスカは一瞬だけ辛そうに表情を歪めたが、すぐに普段の冷静な顔に戻った。


「ありがとう、ベス。では次に君の母親、ロエナ・エヴィングについてだが」


 ぐっと心臓を掴まれたような感覚だった。知りたいが、知りたくない。もしかすると僕らが彼女に捨てられたという事実がはっきりしてしまうかもしれない。僕は葛藤しつつも、頷いた。


「キルデの自白を元に奴の屋敷を捜索したんだ。花畑の下を。……そして、彼女は見付かったよ」


 15年も前に埋められた遺体だ。どんな状態かなんて、聞かなくても分かった。


「骨になって、ですか」


 エスカは頷いた。僕が淡々としているから、それに合わせてくれているらしい。


「遺骨は全て集め、今は自警団で保管してある。いずれエヴィング家の人間に引き取ってもらう予定だが、息子である君の意見も聞いておかなければならない」


「それは……母が僕をどう思っていたかによります」


 正直にそう言った。


「どう思っていたか?」


「はい。キルデを憎んでいたように僕らの存在を憎んでいたのか、そうじゃなかったのか。憎い存在に引き取られたりしたら母も報われないと思うんです。でも、愛してくれていたなら……」


 そこで言葉に詰まり、不思議と涙がこぼれた。


「会いたいです。たとえどんな姿になっていても」


 エスカは優しい視線を僕に向け、何も言わずに頷く。今はどんな言葉を掛けられても辛いだけだから、その反応は有り難かった。しばらく沈黙が続いた後、彼が口を開いた。


「……彼女が失踪してからのことは、今自警団が調べているところだ。近いうちに君に伝えられると思う。それ以前のことはエヴィング家の人間から聞いているが、知りたいか?」


「お願いします」


 僕は強く頷いた。なぜ母はキルデと関係を持ったのか、そして逃げたのか。そこはきちんと知りたかった。


「分かった。ロエナ・エヴィングは、ソーン銀行の現頭取キッシャー・エヴィングの姪に当たる。キッシャーの妹マリーの娘で、キルデとはいとこの関係になる。マリーはロエナが生まれてすぐに離婚していたから、姓はエヴィングのままだったということらしい」


「母娘二人で生活していたということですか?」


 となると、母はなかなかに苦労の多い生活だったのかもしれない。


「そうらしい。そもそもマリーの元夫は、彼女の兄キッシャーが頭取であることを当てにして結婚した。早い話が金目当てだ。夫に借金があり暴力性もある、それに気付いたマリーはすぐに離婚してロエナと共に遠くへ逃げた。それからはスタミシアの田舎でひっそり暮らしていたそうだ」


 これは僕の母と祖母の話なのだが、現実味はなかった。ガレットの幸せな家庭とは状況がかけ離れているからだろうか。エスカは続ける。


「ロエナが16歳になるまで、母娘は平穏に暮らしていた。が、マリーは急病で亡くなった。一人きりになったロエナを不憫に思い、伯父のキッシャーが自分の家で一緒に暮らそうと声を掛けた。ここでキルデとロエナは初めて顔を合わせたらしい。キルデは当時28歳、妻のエラと3歳になる息子がいた」


 そう、キルデには既に家庭があったのだ。それなのに母に手を出した。怒りと嫌悪感がうっすら胸に渦巻いた。


「ここからはその息子、ハーパー・エヴィングの証言になる。現在19歳、当時のことは覚えていないが、2年前にエラから打ち明けられた話だそうだ。……聞きたいか?」


 エスカは念のためか僕に確認を取った。それほど酷い内容なのかもしれない。だが、僕に迷いはなかった。


「はい」


「そうか。この証言にはエラの主観が入っていることを先に言っておく」


 エスカはそう前置きし、話し出した。


「キルデは初め、ロエナの従兄弟として彼女に親切にしていた。人当たりの良いキルデのことだから、エラは特に不審にも思わなかったそうだ。エラ自身もロエナを妹のように思って接していた。ロエナもまた、エヴィング家の人間に心を開いてくれていたそうだ。だが、エラがキルデとロエナの関係性に気付いてからは地獄のような空気だったらしい。幼いハーパーもそれを感じていたくらいだ」


「地獄のような……」


 想像が付かなくもない。自分の夫がその従姉妹と恋愛関係になっていると知ったら、到底穏やかには過ごせないはずだ。


「それでも、エラは何も言わずにえた。そもそもキルデが自分と結婚したのは世間体のためで、愛情がないのは初めから分かっていたそうだ。だから息子であるハーパーの裕福な生活を守るために、我慢することを選んだ。それでも、ロエナがキルデの子供を身籠ったのを知って流石に黙ってはいられなかった。エラはロエナを呼び出し、家を出ていくように言おうと思った。だがそれよりも先に、ロエナはエラに頼んだんだ。『この家から逃げるために、手を貸して欲しい』と」


 逃亡の手助けを不倫相手の妻に頼むとは、どういうことだろう。頭が少し混乱した。エスカは続ける。


「理由を聞いても、ロエナは怯えた顔で『キルデが怖い』と繰り返すだけだったそうだ。そこでエラは初めて、二人が対等な恋愛関係ではなかったのではと思った。要するに、ロエナはキルデの支配下にあったのではないか、と」

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