61、救出
絶体絶命とはまさに今の状況のことだ。僕は何の抵抗も出来ない状態で、話の通じない実の親に拷問されそうになっている。キルデの片手は僕の右手を押さえ付け、もう一方に持ったペンチの先は既に小指の爪を挟んでいた。
「叫んでも構わないよ、オーウェン。この部屋の声が外に漏れることはないから」
キルデは淡々と言いながらペンチに力を込めていく。指先に今まで味わったことのない痛みが走り、思わず悲鳴を上げそうになったその瞬間だった。
部屋のドアが内側に吹き飛び、同時にキルデの体も勢いよく壁際まで飛ばされた。そのまま壁に当たって床に倒れた彼は、目を白黒させながら体を起こし、部屋に入ってきた人々を驚愕の表情で見つめた。
紺色の制服、自警団の隊員たちだ。6名くらいはいるだろうか。こんな状況でも目を奪われるほどに全員が美形だったから、第二隊に違いない。
「キルデ・エヴィング。俺たちがここにいる意味が分かるな?」
すっと彼の前に進み出たのは隊長のエスカだった。静かな怒りに満ちた表情だった。
「ベス!」
別の隊員がすぐさま僕に駆け寄り、ロープの拘束を解いた。フィルだ。あの犬の置物に魔術を掛けていたのはやはり彼だったらしい。
「大丈夫か?」
「頭がぼんやりします……」
助けが来て安心したからだろうか。急に頭の中に靄がかかったようだった。
「ルカ医長!」
フィルは振り返り、焦ったように言った。すぐさまルカが来て僕の頭を診察し、顔をしかめる。後ろには自警団専属の運び屋オリエッタの姿も見えた。ずいぶん用意周到だ。
「……オリエッタ、直ちに中央病院に。大丈夫だ、ベス。少し眠っておくといい」
彼の指先が僕の額に触れる。ああ、僕はなんだかいつもこんな役回りだなと思いながら、もう何も考えずに済むことに安心していた。そして目を閉じた瞬間、意識が遠退いた。
目蓋の向こうがぼんやりと明るい。もう朝か、今日の授業は何だったろうなどと思いながら目を開ける。視界に入るのは、見慣れない白い天井だった。
微かな薬品の匂いが鼻に届く。枕に頭を沈めたまま視線を左右に動かし、ようやくここが病室だと認識した。
「ん? 起きたのか」
足元から声がして、ベッド際に誰かが立った。
「ルカ医長……」
「良かった。言葉は出るみたいだな」
彼はほっとしたように言うと、頭から順に僕の体に触れていく。
「触られている感覚はあるか?」
「はい」
「頭痛や吐き気とか、手足が痺れたりは?」
「していません」
何の確認なのかと考えながら質問に答えていく。手足を動かしてと指示を受け、言われた通りにする。ルカは頷き、最後にこう質問した。
「自分の名前と年齢は分かるな?」
「ベネディクト・テディ・ヘイデン・ガレット、15歳です」
「オーケー。とりあえず異常なしだ」
ルカはようやく笑顔を見せ、こう説明した。
「君は少し脳出血を起こしていたんだ。治療が上手くいって良かったよ」
なるほど、と思った。やはり殴られたせいで危険な状態になっていたらしい……などと、僕は妙に俯瞰して考えていた。昨夜の一連の出来事ははっきりと覚えている。しかし、どこか他人事のように思えた。
ルカは次に何を言うべきか考えているようだった。枕元の台にある薬や器具をいじりながら、しばし無言の時間が続く。
「……間違いなく僕の父親なんでしょうか。キルデ・エヴィングは」
僕の方から口を開いた。僕を見るルカの目が、分かりやすく動揺していた。
「それは俺の口から答えられるものでは……。本当に、何から話していいのか」
ルカは目を伏せてしまった。相当に困る質問をしてしまったのかもしれない。彼はあくまで医務官としてここにいるのだから、聞くべき内容を僕が間違えたのだ。
「すみません、変なこと聞いて。僕の治療、ルカ医長がしてくれたんですか?」
質問を変えると、彼は少し安心したようだった。
「俺と、この中央病院のレナ院長だ。最初に間違った処置をされていたから、余計ややこしいことになっていてな」
「ああ、あの闇医者……」
彼は治療が不得意なのだろうとあの時思ったが、まさにその通りだったようだ。ルカは苦笑した。
「院長が激怒していたよ。下手な止血のせいであちこち脳の血管が詰まって、危うく君の手足に麻痺が残る所だったから。今の様子を見る限り、その心配はないが」
「そうでしたか。あの……誰か、僕に精神の治療をしましたか?」
「え? いや、支部のデイン医長にはこれから診察してもらう予定だ。まずは頭の治療が最優先だったから。……どうかしたのか?」
ルカの表情がさっと険しくなる。心配してくれているのだろう。
「昨夜のことが全て他人事のように思えるんです。だから、もう治療してもらったのかと」
「なるほど。ベス、それは正常な反応だよ。人は精神的に大きな衝撃を受けたり、尋常ではない危機に晒されたりすると一時的にそんな状態になる。君がおかしいわけじゃない。君の……」
ルカは言葉に詰まり、ぱっと僕に背を向けた。その肩が微かに震えているような気がした。
「ルカ医長……?」
彼は少し俯き、目元を手で押さえていた。泣いているのだろうか。何故?
そのとき、医務官がノックもなしに部屋に入ってきた。小柄で、淡いブロンド髪を後ろで束ねた女性だ。割と年配に見える。目が大きくて丸い、可愛らしいお婆さんといった風貌だった。
彼女は俯いたままのルカに近寄ると、その腕を軽く叩いて言った。
「お前は本部に戻れ。そんな状態でここにいられても困る」
見た目に反した乱暴な言葉遣いだが、そこにはルカに対する優しさも感じられた。ルカは彼女に一礼し、無言のまま部屋を出ていった。
彼女はベッド際に来ると、上から僕の顔をずいと覗いて言った。
「院長のレナ・クィンだ。お前の治療を担当させてもらった」
つまり、ルカの前にキペル本部の医長を務めていた人。キースが以前にそう言っていた。彼女の物言いは粗野なのだが、視線が真剣ということもあって嫌な感じはしなかった。この人はたぶん、ぶっきらぼうなだけだ。
「ありがとうございました。あの……」
何を聞けばいいのだろう。一度に多くのことが起こりすぎて、思考が追い付かなかった。
「病状以外の質問なら私じゃなくエスカの野郎にしてくれ」
レナはそう言ってふんと鼻を鳴らすと、僕の頭に触れて診察を始めた。隊長であるエスカのことを野郎とは、ずいぶんな言い様だ。
「……頭の方は問題ないな。今日一日様子を見て、明日にでも退院、いや、転院だ」
「転院? どこにですか?」
レナはじっと僕の目を見て、言った。
「トワリス病院に。これから自警団の人間がちゃんと説明する。安心しろ」
「トワリス病院……」
今まで何度か足を運んだあの精神病院に、次は僕が患者として入院するらしい。別に何の感情も湧かなかった。やはり他人事にしか思えない。この状態がおかしいということなのだろう。レナの何ともいえない険しい表情を見て分かった。
「ベス。あまり頑張ろうとするなよ。お前はまだ15歳の子供なんだ。……少し待ってろ、エスカを呼んでくる」
そして慰めるように僕の肩を叩いてから、部屋を出ていった。
少し経って部屋にエスカが入ってきた。ポーカーフェイスだが、僕にはやや辛そうな顔に見える。のそりと体を起こそうとすると、彼はすぐに駆け寄って手を貸してくれた。
「起きて大丈夫なのか、ベス。寝たままでいいのに」
「寝たまま聞く気にはなれなくて。大事な話なんですよね?」
エスカの表情が、今度は明らかに苦痛に歪んだ。
「ああ。まず、俺は君に謝らなければならない。自警団の作戦に君を巻き込んで……いや、君を利用して申し訳なかった」




