6、斜め
ビラの発行者は『枯れ草編集部』となっていた。クライドが住所を書き移したらしい、あのゴシップ誌の編集部だ。
『昨夜、中央1区にある高等魔術学院の寮から二年生の生徒が1名、突如として失踪した。彼の部屋には鹿の臓物と血が撒かれ、さながら地獄の様相を呈していたという。一瞬の内に消えた生徒はどこへ行ってしまったのか? おどろおどろしい部屋の状況から推察するに、その生徒は黒魔術を使おうとした結果、消えてしまったのではないか!? 詳細は調査中とのこと、続報に期待せよ!』
低俗なゴシップ誌らしい、いい加減な内容だ。しかし部屋の状態については妙に詳しい。
「馬鹿馬鹿しくはあるけど……口外禁止ってみんな言われてたはずなのに、どっから漏れたんだ? チェス教官が全校生徒を集めて念を押したんだから、よっぽどのアホじゃなきゃ外で喋ったりしないはずだぜ」
リローが首を傾げる。確かにチェス教官に言われたなら、従わない生徒はいないだろう。だとすれば……。僕ははっとして彼に顔を寄せ、小声で言った。
「クライドが垂れ込んだのかも」
「なに?」
彼が目を見開いた。僕は部屋に置いてあったゴシップ誌のことと、クライドがその住所を書き移していたことを早口に伝えた。
「そうだとして、なんであいつが垂れ込むんだ?」
「分からない。でもこれで、クライドが自分で失踪したってことが確実になってきたね」
「だな。飯は食い終わったか? チェス教官のところへ行こう!」
そして僕とリローは、廊下で会ったジジも連れてチェス教官の元へ急いだ。彼女は訓練室にある倉庫で、剣術の訓練に使うサーベルの手入れをしていた。
「チェス教官、このビラを――」
リローが不用心に彼女に近付こうとするので、僕は慌てて彼の腕を引いた。よろけて一歩下がったその瞬間、サーベルの切っ先が彼の鼻先を掠めた。
「……医療科に行くと鈍ってしまうのですか。剣を手にした相手の間合いに入ってはならない。基本的なことです」
チェス教官は鋭い一瞥をリローにくれ、サーベルを鞘に納める。リローは青ざめた顔でぶんぶんと頷き、ジジは背筋をぴしりと伸ばしていた。生徒の気の緩みは絶対に見逃さないし、手加減もしない。それがチェス教官の恐ろしいところだ。
彼女はそれから、僕を見て言った。
「いい判断でした、ベス。それで、何か進展があったんですか?」
「はい。これ、街で配られていたビラなんですけど」
僕は固まっているリローからそれを受け取って、教官に渡した。彼女は眉一つ動かさずに素早く目を通した。
「僕らは、それ、クライド自身が垂れ込んだんじゃないかと思うんです。やけに詳しいし、編集部の住所も彼は書き写していたし。理由は全く分からないんですけど、どうでしょうか?」
「なるほど。その考えには同意します。この編集部に行けば、誰の垂れ込みかははっきりするでしょうね」
「じゃあ、今から私たちが行きます!」
ジジが唐突に宣言したから、僕とリローは驚いた。
「問題ないですよね? 話を聴いてくるだけですから」
「いいですよ」
反対されると思ったのだが、教官はあっさりと許可をくれた。
「仲間のために何かしたいと思う気持ちは、私にも分かります。それに、学生相手の方が編集部の人間も口が軽くなるかもしれません」
「ありがとうございます!」
僕らは思わず声を揃えた。教官が少し笑ったように見えた。
「しかし、寮の門限は必ず守ること。それから危険な状況になったら迷わず助けを呼びなさい。自警団には私から連絡しておきましょう。収穫を期待していますよ」
夜の街は少し風が冷たいが、僕らは額の汗を拭いながら路地を歩き、枯れ草編集部を目指していた。中央1区からこの北6区まで、屋根の上を走って20分はかかった。監察科の僕はまだ体力があるが、ジジとリローはもうへろへろのようだ。
「走って来なきゃいけないなら、言い出すんじゃなかったー……」
ジジが後悔したように言った。
「仕方ないだろ。貧乏学生の分際で馬車も運び屋も使えるわけがない」
リローの言う通り、僕らは学生という身分だ。魔術学院では学費や寮費、食費に至るまで全て無料だが、給料が出るわけではない。生活の部分で親のお小遣いに頼る部分も少しはあった。
「帰りは馬車にしよう。夜だし、女の子もいることだし。運賃は僕が出すから」
僕のお小遣いの使い途は、毎月『枯れ草』を買う以外にはほとんどない。こういうときに奮発しても問題はないはずだ。
「やだ、ベス、男前!」
ジジが顔を輝かせて僕に抱き付き、リローに咳払いされてすぐに離した。
「あ、あの建物じゃない? ゲイジハイムの2階って」
彼女が指差した先には3階建ての建物があった。2階の窓には明かりが見える。人がいるのは確実なようだ。
「いいか、俺たちは余計なネタを提供しちゃ駄目だぞ。あくまで垂れ込みの人物を特定するだけだ」
建物の前で僕らに顔を寄せ、リローが言った。
「オッケー。でも、そんなに簡単に話してくれるかなぁ」
ジジが不安そうに2階の窓を見上げる。
「やれるだけやってみようよ。クライドが何をするつもりなのか、僕は知りたい」
彼は一人で、自警団まで巻き込んで何かしようとしている。ここで弱気になっていたら、きっと彼には追い付けないはずだ。僕は先頭に立って階段を上がった。
編集部の部屋の中には、編集長と思わしき初老の男性がいた。資料が積まれた机の向こうで、椅子の肘掛けにもたれて斜めに座っている。眉間に刻まれた皺は深く、僕らの来訪を喜んでいないのは確かだった。
「情報源の秘匿は我々の使命だ。帰ってくれ」
僕らのお願いに対して、彼は声に不機嫌さを滲ませる。怯んでしまいそうになったが、僕は食い下がった。
「失踪したのは僕らの大切な仲間なんです。少しでも手掛かりが欲しいんです!」
「我が社の信用に関わる。駄目なものは、駄目だ」
僕が更に食い下がろうとするのを、リローが止めた。彼はすたすたと編集長の横へ行くと、顔を寄せてその耳に何か囁く。すると、編集長が微かに目を見開いて言った。
「……誰にも言わないか?」
「もちろんです!」
リローが満面の笑みを見せる。一体どんな提案をしたのだろうと、僕とジジは顔を見合わせた。
「君たち、少し待っていたまえ」
編集長は立ち上がり、リローを連れて部屋を出ようとする。
「リロー……」
ジジが不安な声で呼び止めると、リローは親指を上げてにっと笑う。心配するなということだろう。そのまま二人は部屋を出ていき、ドアは閉まった。
「ねえ、まさか、リローがあの編集長に身体売ったりなんてことは……」
ジジが狼狽える。僕も一瞬それを考えてしまったが、違う気がした。
「リローは賢いから。何か閃いたんだよ」
1分も経たない内に二人は戻ってきた。驚いたのは、編集長の顔が別人のように穏やかになっていたことだ。笑っているようにすら見える。
「いやぁ、すまなかったね。君たち、仲間のために駆け回っているなんて素晴らしいじゃないか。まさに青春だ。その美しさに免じて」
彼は机の引き出しから一通の封筒を取り出した。リスカスで一般的に使われる白い封筒だ。
「今回の垂れ込みの文書だよ。差出人は不明だが、君らの学校の生徒だろう。同封物を見て信頼に足ると判断した」
リローが引ったくるように封筒を受け取る。郵送で送られてきたらしく、表面には几帳面な字でここの住所が記されていた。クライドの筆跡だ。
封筒の中には事件の詳細を記した紙と、黒ボタンが一つ入っていた。よくよく目を凝らすと校章が刻まれている。僕らの制服に付いているものと同じだ。恐らくクライドのもので、外部の人間ではないだろう。学院の制服は、不正利用を防ぐため卒業時に返却しなくてはならないのだから。
「これ、手紙と一緒に返して頂けませんか? 友人のものかもしれないんです」
僕の申し出に編集長は少し嫌な顔をしたが、リローが思い切り微笑んでみせると、渋々頷いた。
「仕方あるまい。ただ、このことは決して口外しないでほしい。私の信用が――」
「分かっていますよ、編集長。それと、またお困りでしたら、俺が来ますんで」
意味深長なことを言い、リローは僕らを連れて部屋を後にした。建物から少し離れて、早速ジジがリローを問い詰めた。
「ねえリロー、一体、編集長と何をしていたの?」
「何って。痔だよ、痔。あの編集長、椅子に斜めに座ってただろ? たぶん切れ痔が痛くて真っ直ぐに座れないんだろうと読んで、俺がこっそり治してやるって提案してみたんだ。大当たりだった」
リローは得意気にそう言った。よく思い付いたものだ。
「ああいう男ってプライド高いからさ、痔では絶対に病院なんて行かない。だから治してやる代わりに、垂れ込みの人物を教えてくれって頼んだわけ」
「へぇー! 確かに切れ痔も、切創みたいなものだもんね。治療方法は一緒か。止血と創部回帰で」
ジジが医療科らしいことを言う。僕にはさっぱりだった。
「そうそう。さ、収穫もあったし、馬車を捕まえて帰ろうぜ! ベスの奢りで」
「屋台が開いてたら、甘いもの食べたいなー。ベスの奢りで」
リローとジジは笑いながら軽やかに路地を進んでいく。今回の僕は何も出来なかったが、いい仲間がいて本当に良かった。じわりと胸を熱くしながら、僕も彼らの後を追った。




