59、気配
「良く撮れているだろう? これから先、私の一生の記憶に残るロエナの姿だ。美しく飾ってあげたくてね」
もはや言葉も出ず思考も働かない僕に、キルデはそう言った。それから写真立てを机に戻し、僕の側に寄った。
「……どうしたんだい、黙ってしまって。ロエナはね、私を否定したんだ。愛していないと。あなたのものになるくらいなら死んだ方がましだと。だから仕方なかったんだよ」
仕方なかった……。ぼんやりとした表現でも、僕には分かる。この男が母を殺したのだ。キルデは僕の肩に手を置いて続けた。
「彼女は若く美しかった。いずれは他の男のものになっていただろう。だがそれは許されない。ロエナは私のものだから」
それが当然のことのように彼は話すが、僕はもう何も考えたくなかった。頭も痛むし、吐きそうだ。俯いてその言葉をただ聞き流した。
「その内お前もロエナに会わせてあげよう。お前を殺すという意味ではないよ。ロエナはね、この屋敷にある美しい花畑の下に眠っているんだ」
ああ、最悪だ。この男は殺した後の遺体にまで執着するのか。僕も同じ道を辿るのだろうか。それならそれでいい。母と同じ場所に埋めてもらいたい。
「おや、具合が悪いのか、オーウェン。殴られた傷は治してもらったはずだが……。医者を呼ぼう」
ようやく僕の様子に気付いたキルデが慌てて部屋を出ていく。彼はすぐに、白い仮面で顔を隠した男を連れて戻ってきた。僕に顔を知られたくないのだろうが、ずいぶん滑稽な姿だ。
その男は僕の頭に触れる。微かに動揺したのを、その指先から感じた。彼が何分か触り続けて痛みは少しだけ治まったが、完全ではない。ルカ医長なら恐らく一瞬で治せるのに、この男は治療が得意ではないのだろうか。そもそも医務官なのか?
治療を終えると、男はさっさと部屋から出ていった。
「気分はどうだい、オーウェン」
キルデが労るように声を掛けてくる。僕を殺すつもりがないのは本当のようだ。
「……今のは医務官なのか?」
「野良医務官とでも言おうか。正式な医務官ではないよ。魔術学院にも通ったことがないらしい。世に言う闇医者で、裏社会では重宝されている人物だ」
僕が口を利いたことに安心したのか、キルデは素直にそう説明した。
痛みが和らいだおかげで僕の思考も戻ってきた。とにかく今の時間が知りたい。寮の門限である21時を過ぎていれば、少なくともキースは僕が外出から戻っていないことに気付いてくれるはずだからだ。
部屋に視線を巡らせて時計を探す。壁に掛け時計がある。時刻はまだ20時前だった。
「時間が気になるのか?」
僕の視線の先を追ってキルデが言った。
「奇遇だね、私も時間は気にしている。今夜12時を過ぎれば、誰もあの事件のことで私を捕まえられなくなるんだ。心置きなくお前と過ごせる日々が訪れるよ」
「上手くいくわけがない。僕を監禁していることなんて、すぐにばれるぞ」
脅しではなかった。実際、キルデからの手紙は部屋に残してきている。今夜彼と会うことになっていたのはそれを読めば明らかだし、それを知った教官たちだって黙ってはいないはずだ。
「大丈夫。君は魔術学院で起きた大事件で、多くの仲間と共に犠牲になったという筋書きだ」
キルデは平然と言ってのけた。
「大事件?」
「そう、『蜥蜴』による大事件だよ」
キルデの口から蜥蜴の名前が出て、僕は一瞬混乱した。だがさっきの闇医者といい、彼が裏社会の組織と関わっていてもおかしくないのだ。もしくは……。
「お前は蜥蜴の人間なのか?」
「まさか。冗談でも言って欲しくないね、私があんな感情的で幼稚な組織の一員だなんて。それに私は魔導師に恨みはない。わざわざ魔導師の芽を摘んでやろうなんて思わないよ」
「魔導師の芽を摘む……」
「それがつまり今夜の大事件だ。魔術学院の生徒、教官皆殺し。彼ら、頭が悪い割には技術力があるみたいでね。今までとは違う連射式の銃を開発したらしい。魔導師も銃の前では無力だろう。一斉射撃で、全員蜂の巣の予定だ」
僕は絶句した。銃弾を止める魔術はある。しかし、蜂の巣になるほど連射されたらどうなるのだ。ましてや魔術も未熟な生徒に銃弾など止められるはずもない。これから抵抗も出来ずに殺されるなんて。キースやリローが、そして教官たちが。
僕はもう一度時計を見た。蜥蜴の作戦まであと1時間。それまでに何とかここを出て、止めなくては。
焦る僕に、キルデはこう続けた。
「偶然にも今日という日に実行すると知って、私も便乗させてもらったんだ。君が死んだことにするために、同じくらいの少年の遺体を事件現場に投げ込んで火を放つよう蜥蜴に依頼した。すっかり燃えてしまえば誰の遺体かなんて分からないよ。15年前に既に実証されている。門限を過ぎて生徒が揃ったところで作戦開始だ。生き残りがいては困るから。ああ、お前は例外だよ。二度も生き延びるなんて強運だね」
あまりの怒りで全身が震えた。過去から現在まで、こいつは人の命を何とも思っていないのだ。頭痛が激しくなり、吐き気が一層強くなる。僕は胃から込み上げたものを床にぶちまけ、ぜいぜいと息をした。
「ああ、オーウェン。もう一度医者を――」
キルデはたじろぎながら部屋を出ていく。僕は汚れた床を見つめながら、このままキースたちを助けられないなら死んだ方がましかもしれないと思った。
その時だった。部屋の隅に何かを感じた。はっきりとは分からないが、何かがあるのだ。目を凝らしてみると、棚に載せられた小さな犬の置物があるだけだった。
何かの希望にすがるように、僕はその置物に意識を集中してみる。やはり感じる。しかも、以前に感じたことのあるような何か。
「あ……!」
僕はようやく気付いた。これは魔術の気配だ。もっと言うなら、誰かの魔力の霊態。僕は確実にその誰かを知っている。今までに関わったことがある人物だった。
自分に霊態を感じ取る能力があるなんて、今の今まで分からなかった。誰にでもある力ではない。過去に聞いたグルー教官の話を思い出す。
――本来、霊態が誰のものかを調べるには魔術で手順を踏んで照合するしかないんだがな。それをすっとばして、魔術の痕跡から直感で分かる人間もいる。あ、これは誰某の霊態だ、ってな。俺の兄貴とかもそうだ。数は少ないがそれほど珍しいことでもない。このクラスにも一人くらいはいるかもな。
危機に晒されて能力が開花したのだろうか。僕はとにかく、その霊態が誰のものか探ってみる。意識せずとも嗅いだことがある匂いのように、感じたことのある霊態……。数秒考えて、はっとした。
「……フィルさん?」




