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58、執着

 キルデの発言で全てが罠だったと気付いたときにはもう、僕の体の自由は奪われていた。背後から頭を殴られて意識が飛んだのだ。殴ったのは僕の正面にいたキルデではない。どうやら共犯者がいるらしい。

 目を覚ますと窓のない部屋の中にいた。恐らく地下だが、家具や調度品は一通り揃っている。誰かの部屋だろうか。頭がずきずきと痛み、壁のランプの明かりが二重にぶれて見えた。

 しばらくすると視界がはっきりして、状況を確認出来た。木製の堅い椅子に座らされた僕の体を厳重に拘束しているのは、魔力を封じることが出来る銀色のロープだ。魔導師しか使用を許されない道具なのに、なぜキルデがこれを持っているのだろう。

 ロープのせいで手足は動かせないし、もちろん魔術も使えない状態だった。どうやって外に助けを求めようか必死で考えていると、背後で誰かの動く気配がした。


「おはよう、ベス。気分は?」


 キルデの声だ。彼は椅子を回り込んで僕の正面に立つ。平然とした表情だった。


「お前が犯人なのか?」


 僕は開口一番にそう言った。


「グレーン乳児院の職員を殺して、火を点けて、子供たちの命まで奪ったのは」


「やっと落ち着いて話が出来るね」


 キルデは質問には答えず、椅子を持ってきて僕の向かいに腰掛ける。僕はその澄ました顔に唾でも吐いてやりたかった。理由は何であろうと、この男が全てを奪ったのだ。罪のない人たちの命と、僕のきょうだいを。


「大切な話は二人きりの部屋で。私の信条だ」


 彼の言葉に虫酸が走った。何が信条だ。


「黙れよ。僕をどうする気だ。殺すのか?」


 怒りで声が震えた。


「まさか」


 キルデは驚いたように目を見開いた。


「君の存在は私にとって青天の霹靂へきれき、喜ばしい奇跡だ。()()()()殺すはずがない。あの雑誌を読んだ時は胸が高鳴ったよ……ああ、これだ。読んだことがあるかい?」


 彼が手近な机の上から手に取ったのは、グレーン乳児院放火事件について書かれたあの雑誌だった。雑誌を読んだ犯人が僕に辿り着く……自警団本部に呼ばれたときにフィルが否定していたが、僕の予感は当たってしまったわけだ。しかし、どうやって辿り着いた? 彼の口振りからすると、放火事件で僕が死んだと最近まで思っていたのは間違いない。


「意味の分からないことを言うな」


 混乱しそうになりながら、僕は呻くように言った。


「分からない? ああ、そうか。君は……いや、お前は知らないのだから仕方がないか。そんな怖い顔はやめなさい。説明してあげよう」


 キルデは妙に親しげに話し掛けてくる。背筋がぞわりとした。


「その前に」


 彼が急に手をぱちんと打ち、僕は思わず肩をすくめてしまった。


「その名前だ。私はベスとは呼びたくないんだよ。赤の他人が付けた名前だろう」


「お前、何を……」


 嫌な予感に、冷や汗が背中を伝う。キルデは僕の顔を指差し、たしなめるように言った。


「それも良くないね。親には敬意を払いなさい。ほら、言ってみてごらん? お父さん、と。パパでも構わないよ」


「……ふざけんなっ、この人殺し!!」


 僕は思わず叫んでいた。信じたくなかった。あの凄惨な事件の犯人が実の親だったなんて。優しい人かもしれないと心のどこかで期待していたのに、実際は我が子を燃やして平然と生きている鬼畜だったなんて。


「私にも事情があると言ったじゃないか、オーウェン」


 宣言した通り、キルデは別の名前で僕を呼んだ。僕が何を言おうとこの男は全て自分のペースで事を進めようとする。理解の範疇はんちゅうを超えた人間だ。

 彼は満足そうに息を吐き、こう続けた。


「うん、やはりいい名前だ。お前のお母さんの名前をもじったんだよ」


「何だって……?」


ロエナ(Rowena)から抜き出して、オーウェン(Owen)。お前もすぐに気に入るよ。元の名前なんて忘れてしまいなさい」


 初めて聞いた母の名前だった。しかも、こんな男の口から。ずきずきと頭が痛むのは殴られたせいなのか、絶え間なく込み上げてくる怒りのせいなのか、もう分からなかった。

 僕が荒い呼吸をしながらキルデを睨み付けていると、彼は僕の態度など意に介さないように続けた。


「ああ、ロエナの写真を見せてあげよう。お前と同じ綺麗な青い目をしていたんだ」


 そう言って立ち上がり、壁際の棚から冊子を取り出して戻ってくる。キルデは表紙を開き、それを僕の前にかざした。

 怒りで震えそうになりながらも、僕はその写真に目を奪われてしまった。実の母の姿を初めて知るのだ。その大きな写真は親子三代くらいの家族写真で、年寄りから子供まで10人ほどが一緒に写っていた。


「これが現在のソーン銀行頭取、キッシャー・エヴィング。私の父、つまりお前のお祖父さんだよ」


 キルデは中央の人物を指差しながら言った。まるで子供に絵本を読み聞かせるように、穏やかな口調で。この場の状況とその態度の落差に、僕はぞっとした。


「16年前の写真かな。お前が生まれる前のものだ。……そして父の隣にいるこれが私。29歳だ。この女性と子供は私の妻子でね。そしてこれが」


 キルデの指先が端の方に佇む少女を差す。まだ10代くらいだ。白黒写真だから実際のところは分からないが、少しウェーブした長い髪の色も、目の色も薄いように見えた。細身の、大人しそうな少女だった。


「お前のお母さん、ロエナ・エヴィング。17歳、私の従姉妹でもある。私にとって大切な、永遠に愛する存在だ。そうだ、お前も一緒に写っているね。このときはロエナのお腹の中にいたはずだ」


「は……?」


 思わず声が出た。意味が分からない。既に妻子があったのに、更に17歳の少女に手を出して子供を作っているだなんて。


「お前はまだ子供だからね、オーウェン。大人の事情というものを知るには早いかな」


 キルデは微笑んだ。倫理観が狂っていると思ったし、僕はこんな男の考えなど理解したくもなかった。歯噛みしながらくそったれと呻いたが、やはり彼は気にも止めていないようだ。


「ロエナも私を心から愛していた。そう信じていたんだが……」


 彼は呟くように言いながら冊子を閉じ、棚に戻した。それから振り返り、こう続けた。


「違ったようだね。彼女は私から逃げた。生まれたお前にも会わせてもらえなかった。おかしな話じゃないか? ロエナもお前も()()()()なのに」


 私のもの? 何を言っているのだろう。まるで僕らが彼の所有物みたいに。この男は全てにいておかしい。僕の怒りは冷める暇がなかった。


「ふざけるな。僕もお母さんも、お前のものじゃない!」


「お前もロエナも私のものだよ、オーウェン!」


 キルデが急に声を大きくした。爛々(らんらん)と輝くその目が僕をじっと見ている。狂っているとしか思えなかった。人に対する異常な執着、所有欲、それがこの男の本性なのだ。


「私が愛した女性とその子供だ。私のもの以外の何者でもないよ。怖がらなくていい。ここにはトイレもシャワーも付いている。快適に暮らせるよ。食事はシェフに作らせた最高のものを用意するし、欲しいものは何でも買ってあげよう。ただし外には出せない。お前は私のものだからね」


 キルデはにこやかに言って僕に近付いてくる。僕をここへ監禁すること前提で話をしているようだ。


「近寄るな、クソ野郎。お母さんはどこにいるんだ」


 この男は母の所在を知っている。これだけ人に執着するのだ。その確信があった。もしかすると、自分の屋敷に幽閉しているのではないだろうか。


「ずいぶんな言い様じゃないか。お前は礼儀正しい真面目な子だとレイに聞いていたんだが。そうか、お母さんに会いたくて仕方ないんだね」


 キルデは同情するような顔で僕を見てから、側の机に手を伸ばし、そこにある写真立てを取った。そして愛おしむようにそれを眺めながら、こう言った。


「永遠に美しいロエナ。埋める前に写真に残しておいて良かったよ。ほら」


 こいつは今、何と言った? 一気に血の気が引いた僕に、キルデは写真立てを見せた。

 目を閉じてソファにもたれ、美しい花に囲まれている母の姿がそこにある。少女のままの顔も、力なく肘掛けに乗せられた手も、白黒写真ではっきりと分かるほどに白い。驚くほど無機質で、まるで――


「嘘だ……」


 口から勝手に言葉が漏れた。嫌だ、今見ているものを理解したくない。それなのに、どこか冷静な僕の頭が結論を出してしまった。

 これは遺体の写真なのだ、と。

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