54、期限
ルカは一度目を閉じて深呼吸し、再び僕を見た。
「……本当にいいんだな? 言葉は選ぶつもりだが、君を傷付けないという保証はないぞ」
「今の僕なら大丈夫です。お願いします」
もう一人で全てを抱え込んでいた頃とは違うのだ。本音を話せる家族も、情けない部分をさらけ出せる友人もいる。ルカは納得したように頷いてから、口を開いた。
「俺がスタミシア支部で遺体の検案に当たったのは、事件のあった日の翌朝だ。支部から要請があって、俺以外にも2名、検案の応援に向かった。その時点で只事ではないと思ったよ。支部にも医務官は十分にいるはずだったから。到着して詳細を聞くと、医務官が次々と体調不良になって人手が足りないとのことだった」
「体調不良……」
「ああ。その数の多さと、あまりに悲惨な遺体の状態に耐えられなかったそうだ。吐いたり、手が震えたり、泣き出したりして、とても検案を続けられる状態ではなかった。俺も部屋に入ってすぐ理解したよ。あれは地獄だった」
僕は地獄という言葉に縁があるのだろうか。キースの口からも聞いたその言葉は、そう簡単に使えるようなものでないことは分かっていた。
ルカはまた深呼吸し、淡々と続けた。
「子供たちの遺体が16人分、2列になって床に並べられていた。その子らが寝ていた乳児院のベッドの順に。一つだけ空いている場所があって、そこが君の場所だったんだろう。生き残った子供がいたというのは最初に聞いていた」
「そのとき、ルカ医長は僕に会ったんですか……?」
驚きと期待を込めて尋ねたが、彼は首を横に振った。
「いや。君に会った医務官はスタミシア支部のデイン医長だけだ。情報規制は自警団の中にもあったから。ちなみに、君に精神の治療をしたのも彼だよ。元々中央病院にいた精神治療のベテランだ。……今回、治療の魔術の効果が切れて君が飛び降りたことも医長に報告が行っている。近いうちにもう一度診察を受けてもらうことになるが、構わないか?」
それは初耳だった。僕を治療してくれた医務官は今も現役で自警団にいるらしい。会って色々と聞きたいことがあるから、診察を受けるのは願ってもないことだった。
「はい、もちろん」
「良かった。では、そう伝えておくよ。……話を戻そう。俺は君の両隣のベッドで寝ていた子供の検案を担当した。まずは、それぞれの子供の年齢を魔術で調べた。見た目ではとても分かる状態ではなかったんだ。性別も。ああ、すまない」
ルカは少し上を向いて黙り、やがて赤くなった目で僕を見た。
「恥ずかしい話だが、医長なんて立場になってもあの光景を思い出すと辛くてな。……続けようか。子供はそれぞれ、3ヶ月と7ヶ月だった。7ヶ月の子はそれ以上のことは分からなかったが、3ヶ月の子は奇跡的に目の色が判別できた。本当に奇跡的だ。他のどの子も、そこまでの情報は得られなかったらしいから」
「目の色、ですか」
どきりとした。僕がガレット家の中でただ一人違う色をしていた、目。それが、僕とその子がきょうだいと判断する要因だったのだろうか。
「そうだ。君と同じ、灰色がかった青い目だった」
ルカは不意に、その頬に涙を一筋伝わせた。
「何度精神の治療を受けても忘れられなかったが、忘れなくて良かったと思うよ。あの子の目は、君の目と同じだ。記録も何も残っていない中で確定は出来ないが、俺は間違いなくきょうだいだと思う」
その言葉で胸が震え、僕の視界が曇った。嬉しかったのだ。僕と血の繋がった家族を知っている人にやっと出会えた。そして、覚えていてくれた。それは長い間ルカを苦しめてきた記憶に違いないが、僕にとっては唯一知ることが出来るきょうだいの痕跡だった。
「あの時点で俺が君を見ていたら、もっと早く繋がりに気付けた……、いや、分からなかった可能性の方が高いか」
ルカは自分の目元を拭いながら、涙のせいで言葉も出ない僕に言った。
「目の色だけでは、何とも。俺がその子と君がきょうだいだと感じるのは、今になってベッケンス博士の説を知ったのと、実際にベスという人間を知ったからだと思う。キースが失踪したとき、君は自分のことを後回しにしてでも彼を助けようとしていただろう。胃潰瘍になりかけながら。そういう優しさが、似ているんだ」
「……その子が僕を助けてくれたのは、優しさなんですか? ベッケンス博士が言うように本能的に助けたのではなく? だって、まだ3ヶ月の何も分からない赤子ですよ」
僕は震えた声で言った。ルカの言うことを否定したいわけじゃない。優しさだとしたら、苦しいのだ。
「すごく怖かったはずなのに。僕が治療を受けても忘れられなかったあの火事の光景を、その子も見たはずなのに。どうして……」
込み上げてくる嗚咽で、僕はそれ以上喋れなかった。その子は僕が今感じている苦しさなど比べ物にならないくらい苦しい最期を迎えたのだ。そう思うと辛くて、胸が裂けそうだった。
「無理矢理にでも理由を付けるなら、先に魔術を使えたのがその子だったから、だと思うよ」
慰めるようなルカの言葉が、俯いた僕の耳に届いた。
「もし君が先だったら、君がその子を助けていた。そう思わないか、ベス。君たちはお互いに自分ではなく相手を助けたかった。それが本能と言われればそうかもしれない。本当のところは結局、誰にも分からない」
彼は一呼吸置いて、こう続けた。
「この件に関して、君に明確な回答が出来ないのは自警団として申し訳ないと思う。だが少なくとも俺にとっては、君がここまで無事に育ってくれたことは何物にも代えがたい救いだよ。恐らく、あの事件に関わって辞めていった隊員たちにとっても」
「救い……」
「ああ。生きていてくれて良かった……なんて言うと、君は自分を責めそうだから先に言っておく。犠牲になった他の子供たちのことを背負う必要はないよ。君の辛い境遇を作ったのは、他の誰でもなく犯人なんだ」
いつもなら否定してしまいそうになるその言葉を、今は素直に受け入れられた。ルカのまだ微かに赤い目が、僕への優しさに溢れているような気がしたのだ。家族以外にも僕の幸せを願ってくれている人が、しかも自警団にいたなんて。彼らに抱いていた不満や不信感がすっと消えていくようだった。
僕が涙ながらに何度も頷くと、ルカはようやく微笑んだ。すると、彼の隣で今まで黙っていたフィルが口を開いた。
「そしてその犯人を未だに確保出来ていないのは、俺たち自警団だ。何とでも責めてくれ」
冷静な言葉と表情だった。見方によっては、僕らの今までの会話で一つも心が動いていないようにも見える。少し前までは僕への思いやりを感じられたのだが、単に私情を引っ込めて仕事に集中しただけだろうか。
射抜くような彼の視線を感じると、僕は何か説明しなければいけないような気になる。ごくりと唾を飲んでから、言った。
「責めるなんて、そんな偉そうなこと……。僕、夏休みの間にグレーン乳児院の跡地に行ったんです。そこで近所の人に話を聴きました。その当時、近所の人は乳児院に関わるのを避けていて、そのせいで消火も遅れたって。一人だけ乳児院に関わっていた男性がいましたけど、脳卒中の後遺症で記憶も曖昧だと……。それに近所の人はたぶん犯人のことも見ていないし、怪しい人物がいても興味すら持たなかったんじゃないかと思うんです」
言いながら胸が痛んだ。もし誰かが乳児院を気に留めていたら、今頃犯人は捕まっていたのではないか。もし、を考えても仕方がないのは分かっているのだが。
「君の言う通りだ。目撃証言が無いというのは、犯人を絞る上で少なからず障壁になる」
フィルは溜め息混じりに言ってから、頭を振ってその発言を取り消した。
「いや、あの事件については少なからずではないか。大いに。もちろん自警団はあの乳児院に関わりがあったと思われる人間に手当たり次第話を聴いた。それでも、何の手掛かりもなく15年が経ってしまった。……期限はあと2週間を切っている」
「え、何の期限ですか?」
唐突な話に、僕は思わず口を挟んだ。フィルは一枚の書類をすっと僕の前に差し出す。あの放火事件に関する書類だ。事件発生日は15年前の4月7日となっている。
「自警団には事件取扱期限というものがある。その期限を過ぎると我々に事件を取り扱う権限がなくなるというものだ。もし仮にそこを過ぎて犯人を確保しても、獄所台に送ることは出来ない。学院で教わっているはずだが」
確かに法律に関する授業で聞いたことがある。期限を決めなければ、とてもではないが自警団は膨大な事件数を捌ききれない。とはいえ、被害者にとっては理不尽な仕組みだと思った覚えがあった。
僕が頷くと、フィルは続けた。
「事件にも優先順位があって、最も優先されるのは国の治安を揺るがすような事件だ。放火殺人は残念ながら順位が低く、取扱期限は15年と4ヶ月。今日が7月27日……実際、残りの日数は11日ということになる。この間に確保出来なければ、犯人は誰にも裁かれることなく晴れて自由の身ということだよ」




