49、規定
チェス教官の口から反魔力同盟の名前が出てきて、僕らは俄に緊張した。同盟と自警団との長年に渡る戦いについては学院の授業で聞いている。10年前に一掃されたはずなのに、『蜥蜴』がその後継組織とはどういうことなのだろう。
「え、だって反魔力同盟って」
リローが言い掛けたが、チェス教官に遮られた。
「確かに、自警団は過去に全力で彼らの掃討に当たりました。しかし現実は甘くはないんですよ、君たち。増えてほしくない植物ほど種を撒き散らす……、10年前に残ったその種が、今になって悪い芽を出すわけです」
教官は抽象的な表現をする。解釈すると、10年前に確保し損ねた同盟の残党が近年になってまた活動し始めたということだ。
「蜥蜴という名前は初めて聞いたんですけど、どんな組織なんですか?」
キアラが尋ねた。
「蜥蜴は自警団が便宜上付けた呼び名ですから、本当の名前は他にあると思いますよ。中身は初期の反魔力同盟より更に魔導師に敵意を持っている組織です。彼らにしてみれば、10年前に魔導師によってほとんどの仲間を獄所台に送られたわけですから。犯行の動機は概ね魔導師への復讐です」
教官は淡々と説明する。反対に、僕らは混乱し始めていた。魔導師に直接的な怨恨を持つ組織……それを聞くと、魔導師になった後の死の危険が何倍にもなったように感じる。
「君たちに――」
教官が続けようとしたとき、部屋に隊員が入ってきた。どこかの隊の隊長だろうか。額にうっすらと切り傷が残る、50代くらいの男性だ。
「アルゴ隊長」
チェス教官が呟いた。隊長と呼ばれた彼は僕らの顔を一瞥し、険しい顔をして教官を見た。
「蜥蜴について学生に話すのは規定違反ですよ、チェス教官」
「その卑怯な規定に従っていられるのも、生徒に実害がなければこそです。今回、殺されかけた生徒もいるんですよ」
驚いたことに、チェス教官が怒っていた。言葉は静かで表情も普段と変わりないが、思わずたじろいでしまうような空気がその身から発せられている。アルゴ隊長もやや圧倒されたようだったが、冷静に言い返した。
「卑怯、とは。自警団内部の機密事項は自警団に入ってから教える、当然のことでしょう」
「蜥蜴の存在を知れば恐怖心から魔導師になることを諦める生徒が出てくる。それどころか学院への入学者すらいなくなるかもしれない。規定まで作って蜥蜴の存在を生徒に隠すのは、上の人間が10年前の二の舞を演じたくないだけとしか思えませんが」
ラシャの代の学生が、オーサン・メイの死で何人も学院をやめたことを言っているのだろう。教官と隊長の間の空気がひりついてくる。僕らはとてもではないが口を挟めなかった。
「……さすがは元近衛団長」
隊長はふっと力を抜いて、笑った。僕とキース以外は初めてその事実を知ったらしい。驚愕の表情でチェス教官を見ていた。
「いえ、皮肉ではありませんよ。自警団という組織の奴隷になった私には言えないことをはっきりと言って下さって、胸がすく思いです」
それから隊長は真顔に戻り、続けた。
「蜥蜴について学生諸君が知ってしまったということは、ここだけの話にしましょう。学院と自警団の間で余計な波風を立てることはない。……君たち、分かっているな」
隊長に鋭い視線を向けられて、僕らは「はい」と答えるしかなかった。そこでまた女性の隊員が一人、部屋に入ってきた。
「あ、チェス教官、もう到着されていたんですね。皆さん、聴取の準備が出来たので案内します。全員同時にです」
僕とキースは自警団の聴取の経験者だから、それほど緊張はしていなかった。だがリローは青ざめているし、キアラは既に泣きそうになっている。
「大丈夫ですよ、君たち。何かあれば私が自警団に抗議しますから」
チェス教官が微笑んだ。
「下手を打つとあなたと決闘することになりかねない。安心して下さい。大事な生徒を傷付けるような真似はしませんよ」
アルゴ隊長はそんな冗談を言って笑ったが、実際、チェス教官は隊長級の魔導師と闘っても勝てるような気がした。二人の間の張り詰めた空気が消えて、生徒たちも少しだけ緊張がほぐれたようだ。
こうして僕らはそれぞれ聴取室に入った。僕を担当したのは、現場で絶対絶命の状況から助けてくれた隊員、アシュリーだった。
「はい、そこに座ってね。実際に現場を見た私が聴取した方が、話が早いでしょう?」
彼女はてきぱきと準備を始め、机を挟んで僕の向かいに座った。彼女のきらきらと輝く目が僕を捉える。どうすればこんなに目に光が宿るのか、不思議なくらいだ。
「なんだかんだで君の名前聞いてなかったね。教えてくれる? あと、年齢と所属も」
アシュリーが紙にペンを走らせながら言った。
「ベス……、ベネディクト・テディ・ヘイデン・ガレットです。15歳、高等魔術学院の二年、監察科です」
名前の部分で煙が出そうなほどペンが素早く動く。そういえば以前にラシャがこんな感じで……と、そこで僕は気付いた。彼女は最初に、アシュリー・アモンズと名乗らなかっただろうか。姓がラシャと同じだ。
「どうかした?」
僕がアシュリーを凝視していることに気付いたのか、彼女は手元から視線を上げてそう言った。
「いえ、何でもないんです。今回の事件とは関係ないことなので……」
「気になるなぁ。記録には残さないから、教えて?」
彼女はペンを置き、にこりと笑った。本来なら聴取内容に関係のないことは話さないようにと注意されるところだ。彼女は極めて柔軟な人らしい。
「あの、あなたは第一隊のラシャ――」
「そうそう、私の夫。君、ラシャのこと知ってるの?」
食い気味にアシュリーは言った。心なしか嬉しそうだ。
「はい。少し前に、学院で起きた事件でお世話になって」
「ああ、あの失踪事件! 第一隊の担当だったんだね。詳細はよく分からなくてさ。他隊の情報って、実はそんなに共有されないんだよ。隊によって機密事項もあるし、そんなものかな」
彼女は肩を竦めた後、興味津々な様子で僕に尋ねた。
「それで、君から見てラシャはどんな印象?」
「とても優しい人です。僕の話も良く聴いてくれて、昼食まで奢ってもらいましたし」
「そっかそっか。彼、私の同期なの。聞いてる?」
「はい。数少ない同期だと」
そう言うと、一瞬だけアシュリーの表情が翳った。
「……本当にね。監察部は4人しかいないなんてびっくりしちゃう。君の学年は、みんな無事に卒業出来そう?」
そう問われても、正直分からなかった。厳しい授業や訓練をここまで乗り越えてきた仲間だから、よっぽどのことがなければ卒業前に学院をやめたりはしないはずだ。しかし、よっぽどのこと――蜥蜴の存在はそれに当たらないだろうか?
僕が黙ったのを見て、アシュリーは明るく言った。
「ごめんごめん、気にしないで。さ、ちゃちゃっと聴取を終わらせよっか。チェス教官が怒って部屋のドアを吹っ飛ばす前にね」
僕らの聴取は短時間で終わった。いくつか質問に答え、現場の状況と自分たちの行動を話しただけだ。蜥蜴については結局、向こうからは何も教えて貰えなかった。最後の方で僕がアシュリーに尋ねると、彼女は申し訳なさそうに「ごめんね。それについては何も話すなという隊長の指示なの」と言った。他の生徒も同様だったようだ。
「隊員個人では責任を持てないことですから、仕方ないでしょう。我々魔術学院の教官も、蜥蜴については情報を制限されているくらいです」
僕らの話を聞いたチェス教官は、ため息混じりにそう話した。
「とにかく学院に帰りましょうか。グルー教官が心配して、二回もナシルンを送ってきていましたから」
彼女はそう言って笑う。あのグルー教官も意外と心配症なんだなと思った。そういえばキースが失踪したときも、顔には出さないがかなり心配していた気がする。
学院へ向かうのに汽車では時間が掛かりすぎるから、支部とキペル本部を魔術で繋ぐ連絡通路を使わせて貰えることになった。鉄格子のドアの向こうに真っ暗な空間がある。入ればそのまま落ちてしまいそうだ。
通路の準備で待つ間、僕は隣にいるキースにこっそり耳打ちした。
「今回の爆発が蜥蜴の仕業ってことはさ、グレーン乳児院に放火した犯人とは関係ないんだよね?」
「だろうな。別に、ベスが狙われたわけじゃないと思う。蜥蜴は恐らく貨物車両の火薬を奪おうとしていたんだろう。その汽車に、たまたま俺たちが乗っていたってだけだよ」
キースは僕を安心させるように言った。偶然だとしたらなんて不運なんだろう。あの汽車に乗っていたのが僕一人じゃなくて良かったと心底思った。同期が誰もいなかったら、きっと冷静には動けなかったはずだ。
チェス教官の視線が僕らに向いていた気がしたが、彼女は特に何も言わず、僕らを率いて連絡通路に入っていった。




