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44、贖罪

 見ず知らずの人に乳児院の関係者かと問われ、実は僕はここにいたかもしれないんです、とは流石に言えなかった。どうしたものかと言葉を探していると、レイが口を開いた。


「関係者ではないのですが、つい最近、ここで起きた事件についての記事を読みまして。そちらは?」


「ああ、名乗りもせずに失礼しました。私、ワルダーと申します。家がすぐ近くに」


 彼は振り返り、乳児院の跡地から少し離れた場所にある一軒家を指差した。他の家同様に大きな庭があり、そこに色とりどりの花が美しく咲いていた。


「といっても、住み始めたのは放火事件の後なんですがね。元は私の父が住んでいた家です。私自身、事件については新聞で読んだ内容や父から聞いた話しか知らないのですが……あまりに可哀想で。冬以外はこうして庭の花を手向たむけに来ているんです」


 ワルダー氏は手にした花束を軽く持ち上げてみせた。それから僕らの顔を交互に見て、尋ねた。


「あなた方は、ご兄弟ですか?」


「ええ。サム・リードと申します。こっちは弟のミシェルです」


 レイは言い淀むこともなく偽名を使った。放火の犯人がまだ捕まっていないから、警戒しているのだ。しかしワルダーは微笑み、それ以上踏み込んでは来なかった。怪しい人ではなさそうだった。

 彼は石碑の前に花束を置き、しばし目を閉じて祈りを捧げた。それから顔を上げ、再び興味深げに僕らを見た。最初に彼が「珍しい」と発言したように、ここを訪れる者は滅多にいないらしい。


「……ここも事件が起きてすぐの頃は、何人も花を手向けに来ていたんですがね。この木がまだ、私の背丈より少し高いくらいの頃です」


 ワルダーがにれの大木を見上げながら言った。


「あなたは、放火事件のすぐ後にあの家に住まわれたんですか?」


 レイが尋ねると、彼は頷いた。


「ええ、ひと月くらい後に。うちもそうですが、この辺り一帯、事件を境に人が入れ替わっているんです。残酷な事件でしたからね。夜中に赤ん坊の泣き声が聞こえるとか、女性の悲鳴が聞こえるとか、怪奇現象を訴える人が続出して」


「それで、続々引っ越していったと」


「はい。私の父も、もうここへは住めないと。乳児院の庭で遊ぶ子供たちを見るのが毎日の楽しみだったと言っていましたからね。ここに住む限り、その子たちの姿を思い出して辛くなると」


「あの」


 僕は思わず口を挟んだ。


「ワルダーさんのお父様は、乳児院にいた子供たちの名前とか、ご存知ないですか?」


「それ、当時自警団にも聞かれたらしいですが、なにぶん父は脳卒中の後遺症で記憶力が曖昧でして。何人いたかとか、それぞれの名前だとか、細かいことは全く分からないと」


「お父様以外で、ここの近所の方は子供たちのことを――」


 僕が言い終えるより先に、ワルダーは首を横に振った。


「皆、遠巻きにしていたんですよ。グレーン乳児院にろくな子供はいないって」


 なんて酷い言葉だろう。瞬時に怒りが沸いたが、ワルダーに怒っても仕方がない。なんとか堪えて、言葉の続きを待った。


「一時期、かなり酷い殺人事件を起こした犯罪者の子供をこの乳児院で預かっているという噂が広がりまして。その頃から、近所の人たちは乳児院に関わろうとしなくなった。その子には全く罪が無いというのに、残酷な話です。積極的に関わっていたのは私の父くらいで、そんな中で起きた放火事件ですから、消火も遅れたのでしょう。父は麻痺のある体で何とか乳児院の人たちを救おうと、隣近所に助けを求めたんですがね。『あそこまで燃えていてはもう無理だ』と取り合って貰えなかったそうです。川だって側にあるのに」


 彼はそう言って、眉間に皺を寄せた。


「そんな……」


 僕とレイは同時に絶句した。もちろん悪いのは放火犯なのだが、ここで亡くなった職員と子供たちは近所の人たちにも見捨てられたということなのか。怒りを通り越し、虚しかった。

 ワルダーは僕らの心を読んだのか、静かにこう言った。


「先ほど近所の人たちは怪奇現象を訴えたと言いましたが、それは恐らく自身の罪悪感からくるものだったのではないでしょうか。……だから事件後にお金を出し合って、この木を植えて石碑を置いたんです。彼らなりの贖罪しょくざいなのでしょう」


 彼はグレーン乳児院について、世間一般の人よりは遥かに詳しいらしい。僕は聞きたいような聞きたくないような気持ちになりながら、こう尋ねた。


「……ここに眠る、と石碑に書いてありますけど、亡くなった世話人や子供たちの遺体は、この木の下に?」


 氏名も何も分からない子供たちは仕方がないとして、世話人は身元が分かっているのだから、ちゃんと墓場に埋葬出来たはずだ。それを説明すると、ワルダーは悲しさと苦々しさが混ざった顔でこう答えた。


「遺体はすっかり燃えてしまって……、その、誰が誰だか分からないほどに。世話人たちのご家族もさぞや辛かったことでしょう。しかし自分の家族かどうか分からない遺体を墓に納めることは出来ない。苦渋の決断で、ここへ埋葬することになったと聞いています。それなら亡くなった子供たちも寂しくないだろうと」


「そう……ですか」


 レイが涙ぐみながら言った。子を持つ親として何か思うところがあるのだろう。僕は僕で、この木の下に自分を助けてくれた誰かが眠っていると思うと、改めて胸が締め付けられた。


「長くなりましたね。せっかくいらしたのに、お邪魔して申し訳ない」


 ワルダーは一礼し、去っていった。言葉も無く立ち尽くす僕らを風が撫で、楡の木の葉がさわさわと音を立てた。

 レイが言っていた、僕が傷付くような真実が出てくるかもしれないという言葉。まさに予想通りだったわけだが、僕はそれほどうちひしがれてはいなかった。少なくとも、幼い日を共に過ごした()()はここにいる。それが分かって、僕の中の抜け落ちた部分が少し埋まったような気がしていた。

 僕は石碑に触れ、心の中で『ただいま』と言ってみた。誰かの返事が聞こえたらいいのにと思ったが、耳に届くのは木の葉が風にそよぐ音だけだった。


「……行こう。僕は大丈夫。来て良かったと思ってる」


 眉間に皺を寄せているレイに笑いかけると、彼は安心したように表情を弛めた。


「そうか。お前は強い子だな」


「また来るつもりだよ。今度は花束を持って……出来たら、犯人が捕まったって報告をしに」


 瞬時にレイの顔が険しくなった。


「まさか自分で犯人を調べる気か? 絶対に駄目だぞ」


「もちろん危険な真似はしないよ。調べるのは自分のことだけ。でももしかしたら、その中で犯人の手掛かりが見付かるかもしれないでしょ?」


 僕はそんな気がしてならなかった。レイは小さく息を吐き、言いかけた言葉を飲み込んだようだった。


「ここで言い争うのはやめておこう。誰が聞いているか分からない」


 彼はまだ警戒を解いてはいないようだ。魔力があるなら、僕よりずっと魔導師向きかもしれない。


「そうだね。行こうか」


 僕らはもう一度楡の大木を見上げてから、その場を後にした。そして橋を渡り、また住宅街の路地を歩いていたときだった。

 レイが危険だ危険だと繰り返したせいだろうか。誰かの視線が背後から僕に向けられているような気がした。もちろん、振り向いてもそこには誰もいなかった。

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