43、その場所
二日目の朝になった。今朝はレイの姿があり、代わりに父とモーリスがいなかった。仕事が忙しいのだろう。父はガレット第一工場、モーリスは第二工場の責任者だ。
僕は寝不足の青白い顔で食卓に着き、家族を心配させた。
「勉強もほどほどにしろよ、ヘイデン。多少馬鹿でも死にはしないぜ? 俺みたいに」
チェスターが笑った。彼はきょうだいの中でも一番楽観的だが、決して馬鹿ではない。初等学校を出てから船舶学校に入り、今は一等機関士としてガベリアで働いている。賢くなければ務まらない仕事だ。
「そうだよ。ベス、今日は何して遊ぶ?」
トニーが目を輝かせるので、僕は申し訳ない気持ちになった。
「ごめんね、トニー。今日はちょっと別の区に用があって」
僕はグレーン乳児院の跡地を訪ねるつもりでいた。乳児院は北10区にある。ここが北6区でそれほど離れていないから、運び屋に頼んでも料金は高くないはずだった。
「僕も行く!」
「俺も!」
トニーとヒューゴが色めき立つ。これは困った。20人以上が亡くなった場所に弟たちを連れていくのは流石に気が引けるし、何より僕は一人で行きたかった。かつて自分がいた、そして僕のきょうだいがいたかもしれない場所だ。
「こら。ベスを困らせるんじゃないの。たまーにしか帰って来られないんだから、今の内に行きたい場所だってあるでしょうよ」
僕の表情を見たアリッサが弟たちを優しく窘める。母の物言いにそっくりなのは、彼女もまた一児の母親だからだろうか。弟たちは不満そうな顔をしたが、素直に従った。
朝食を終えて部屋を出ると、廊下でレイに呼び止められた。
「どうしたんだ、思い詰めた顔して。今日の予定と何か関係が?」
僕は一瞬迷ったが、兄たちには本当のことを話しておこうと思った。
「グレーン乳児院の跡地に行ってみようと思って」
「グレーン乳児院……。この間も言っていたが、そこに何かあるのか? 酷い放火事件があった場所だろ」
心なしか声を小さくしてレイが言った。
「うん。信じられない話かもしれないけど……僕、ブラウン乳児院に入る前はそこにいたと思うんだ」
レイの困惑した表情が、彼が何も知らないということを物語っていた。恐らく、ブラウン乳児院は父や兄たちに真実を伝えていない。知らなくて当然なのかもしれない。
「ずいぶん変なことを言うんだな、ベネディクト。お前のことだから、ちゃんとした理由があるとは思うが」
「説明するよ。来て」
僕はレイを自室に呼んだ。封印すると言いつつ実は持ってきていたあの雑誌を鞄から取り出して、彼に渡した。
「グレーン乳児院放火事件の、その後を追った記事がある。それを読んで色々考えたんだ」
レイは雑誌をめくって素早く記事に目を通した。内容が凄惨だったせいか、みるみるうちに険しい表情になる。やがて顔を上げ、僕の目をじっと見て口を開いた。
「……この記事にある生き残った子供というのが、自分だと思う。そういうことか?」
「うん。それだけじゃないんだ」
僕は記事を読んで頭に浮かんだ放火の光景のことと、その後に失神したことも話した。レイは難しい顔をして、再び雑誌に目を落とす。
「……俺はな、ベネディクト。正直に言うなら、お前にもう自分の出自を探って欲しくない。探れば、傷付くような真実が出てくるかもしれないからだ。お前はガレット家の子供、それではやっぱり駄目なのか?」
レイの悲しげな視線が刺さった。彼の愛情は十分に理解している。けれど、僕は首を横に振った。
「僕はみんなのこと、本当の家族だと思ってるよ。つまり、傷付いても帰る場所があると思ってる。だからこそ知りたいんだ。あの日に何があったのか、誰が僕を助けてくれたのか」
「犯人に知られればその子供に危険が及ぶかもしれないって、記事に書いてあるじゃないか。俺は反対だ」
「分かってよ、レイ」
僕は知らず知らず、駄々をこねる子供のように涙を流していた。
「僕は自分の正体が知りたい。本当のお父さんとお母さんに会いたいだけなんだ」
父と母が聞いたら間違いなくショックを受ける言葉だろう。しかし産みの親に会いたいと願ってしまうのは、きっとそれが本能だから。心が求めていることを、頭ではどうにも出来なかった。
「生きているかどうかも分からないけど。最低な人達かもしれないけど。このまま自分が何者か分からないまま生きていくのは、苦しいんだ」
「ベネディクト……」
レイは呟き、そっと僕を抱き締めた。
「そうだな。傷付いて欲しくないってのは俺のエゴだ。お前がそれでも乗り越えられると言うなら、力を貸すよ」
そう言って彼は体を離し、赤い目のままで微笑んだ。
「まったく。俺たち兄貴が泣き落としに弱いって、実は知ってるんだろ?」
結局、グレーン乳児院の跡地へはレイが同行することになった。また失神するかもしれないし、一人で行かせるのは心配だと言うのだ。確かにそれは否定できなかった。
北10区は閑静な住宅街だった。十分な土地があるからか、どの家にも広い庭があり、家と家との間隔も離れている。密集しがちなキペルの中心地とは違った趣だ。
「8の15……、結構端の方なのか」
レイが地図を片手に道を進んでいく。いつの間にか住宅街を抜け、小さな川が流れている場所に出た。そこに架かる橋を渡った先に数件の家、そしてその奥に、家々の屋根よりも遥かに高く伸びた大木が見えた。
「住所的には、あの木の辺りだな。流石に建物は残っていないみたいだけど」
一度立ち止まり、レイが言った。それから僕の顔をちらりと覗く。気を遣ってくれているらしい。
「……どうする? 行くか?」
「大丈夫だよ。行こう」
僕は道を進んだ。早く早くと気が急くのは何故だろうか。家々を過ぎ、やがて大木が目の前に現れた。青々と葉を繁らせるその木は、軽く30メートルくらいの高さがある。限界まで上を向いても先端は見えないくらいだ。幹の周囲は大きく柵で囲まれていた。
「楡の木だ。事件の後に植えられたのかな……」
レイが呟く。博識な彼は植物にも詳しいらしい。
「たった15年でこんなに育つの?」
「成長が早い木だから。それに15年というのは、人間にしてみれば結構長いぞ。まだ乳飲み子だったお前が、もう少しで魔導師になるなんて……」
染々とそう言い、レイは柵に沿って進む。さっきとちょうど反対側の位置に、膝の高さくらいの石碑があった。
「これ……」
僕は近寄って、そこに刻まれた文字を見た。
グレーン乳児院の尊き10人の慈母
無垢なる16人の子供たち
ここに眠る
慈母とは、ここで働いていた世話人たちのことだろう。子供たちにとっては母親代わりといってもいいくらいの存在だ。ここに眠る……つまり、彼らはここに埋葬されているということか。
胸が詰まり、言葉が出なかった。世話人たちの名前は碑文の下に全て刻まれているが、子供たちの名前はない。記事にあったように全てが燃えてしまったため、名前も年齢も不明のままなのだ。僕を助けてくれたその子について、僕はこのまま名前も年齢も性別も知ることが出来ないのかもしれない。こんな悲しいことがあるだろうか。
嗚咽を堪えるために唇を噛んだその時、背後に人の気配を感じた。振り向くと、40代くらいの男性が花束を手にそこに立っていた。彼は僕らに会釈し、不思議そうにこう言った。
「おや、珍しい……。乳児院の関係者の方でしょうか?」




