40、大切なもの
兄の家での夕食を終えて寮の部屋に帰ると、机に向かっていたキースがぱっと顔を上げて僕を見た。
「おかえり。……どうだった?」
今日の予定は彼にも話してあった。だから、心配して待っていてくれたのだろう。
「ただいま。予想通りだったよ。僕はガレット家の養子だった」
さらりと言ってみると、キースはじっと僕の目を見た。兄の家で泣いてから結構時間は経っているはずだが、まだ赤いのだろうか。僕は治療の魔術が全く使えないから、こういうときに赤い目を治して誤魔化せないのは困る。
「泣いたな?」
彼は少しからかうように言った。空気を暗くしないためだろう。僕もふっと笑い、答えた。
「多少ね。家族みんなが僕を大切に思ってくれているって、分かったから。本当のことを聞いてみて良かった。君が背中を押してくれたおかげだ」
僕は彼の隣にある自分の席に座り、背もたれに体を預けて長く息を吐いた。長年の悩みが解消されて気分爽快……とはいかないのだが。
「それで、ベスがどこから来たか、分かったの?」
キースが核心を突いてきた。僕の胸に残るもやもやとしたものは、まさにそれだ。僕は彼に向き直り、首を横に振った。
「キペルのブラウン乳児院っていう所にいたのは分かった。生まれてすぐの頃、そこの前に捨てられていたんだって。兄が嘘を吐いているとは思えない。けど、やっぱり自分とグレーン乳児院が無関係だとは思えなくてさ。ブラウン乳児院の人たちが何か隠しているってことはないかな?」
キースは少し考え、僕の机の上に置かれたあの雑誌に目を遣った。
「隠しているとしたら君のためだろう。放火犯は捕まっていないし犯行の動機も分からない以上、生き残った子供に危険が及ぶ可能性もある……とその記事に書いてある」
「記事にしてくれなきゃ良かったのに」
そうすれば僕はグレーン乳児院のことなんて知りもしなかったし、あんな光景を思い出すこともなかった。とはいえ、今さらそんなことを言っても仕方がない。キースが言うようにこれも何かの因果なら、逃れる術はないはずだった。
キースもそう思っているのか、困ったような顔で肩を竦めるのだった。
「すっきりさせるには自分で動くしかない。ブラウン乳児院の人に話を聞いてみるとか」
「当時の人、いるかな。というか、いきなり行ってそんな秘密を教えてくれる?」
僕が言うと、キースは難しい顔をした。
「正面から当たっても恐らく駄目だろうな。自警団に口止めされていたとしたら」
「だからって、またカイ副隊長を頼るのはね……」
彼はあくまで事件解決のために僕と関わっていたのだ。私事で頼るのは調子に乗りすぎのように思う。
僕は頭を捻った。身近で、ブラウン乳児院に何か繋がりがある人物はいないだろうか。
「あっ」
思い出した。ブラウン乳児院という名前をどこかで聞いたことがあると思っていたが、デイジーから聞いたのだ。彼女はそこで生まれたと話していたはずだった。
「どうした?」
キースが怪訝な顔をする。
「この前カイ副隊長の家……というか屋敷に行ったとき、同じ家に住むデイジーっていう女の子がいたんだ。屋敷で働く執事の妹さんなんだけど、彼女、ブラウン乳児院の出身だって話していた」
「なるほど。でも、そのデイジーさんに話を聞くとしたら慎重にな。乳児院に嫌な思い出があるかもしれない」
「あ、そっか……」
あのとき詳しくは聞かなかったが、もしかするとキースの言う通りかもしれない。それに彼女は10年も前にブラウン乳児院を出ていて、今も関わりがあるのかどうか定かではなかった。
僕は溜め息を吐き、雑誌を手に取って机の引出しに突っ込んだ。
「雑誌は封印だ。このことを考えるの、一旦やめにするよ。もう少しで第一試験だし」
今はそっちで結果を出せるかどうかの方が、僕の出自より遥かに大事だ。首席になりたいなら8教科中の6教科で満点を取れ、とチェス教官に言われていた。
「それもそうか。まあ、俺にとってベスはベスだから、どこから来ていようが試験に落ちようが関係ないし」
キースはさりげなく縁起でもないことを言って勉強に戻った。酷い奴だ。
「やめろよっ。試験に落ちたら即退学だぞ、この学校」
「そうならないために頑張れ」
彼は既に教科書に集中していて、僕には視線もくれないのだった。
日々は静かに流れていく。7月の半ばになり、魔術学院の生徒たちにも4日間の短い夏期休暇が与えられた。大抵の生徒は家で休暇を過ごし、キースも去年は寮に残っていたが今年は帰るらしい。
「スタミシアにあるクライドの墓に行ってくるんだ」
部屋で帰り支度をしながら、キースはそう言った。
「ようやく墓石に名前を刻んだって父さんが言ってたから。俺も色々、クライドに報告しなきゃならないことがあるしな」
彼は爽やかな笑顔を見せる。こんな笑顔、以前なら絶対に見られなかったものだ。
キースはこの数週間で、ある意味吹っ切れた性格になっていた。一年生の女子生徒に告白されて、「俺は無垢な労働者だったから、普通の子とは話が合わないんだ。ごめんね」と断ったときには、側にいた僕が驚いてしまった。
「……後輩にもてるようになったこととか?」
後輩に、というのが重要だ。同期の女子生徒は、キースの態度は和らいだが妥協を許さないその本質は変わっていないことを知っている。だから、惚れるなんてこととは無縁なのだった。
キースは困ったように小さく息を吐いて言った。
「見た目だけで好きになられても嬉しくない。変な期待をしないでほしいよ」
「なんて贅沢な悩み。……だからって、無垢な労働者だったことを明かさなくてもいいのに」
「隠すことじゃない。今の俺には大切なものがあるから、偏見の目で見られたって大丈夫だし。無事に医務官になれたらベロニカ院長の活動を手伝おうと思ってるんだ」
キースが言っているのは、トワリス病院の院長のことだ。メニ草畑で働かされていた無垢な労働者への偏見と差別を無くそうと、彼女は何年も闘っている。高尚な雑誌『青葉』にそう書いてあった。それのことかと聞くと、彼は頷いた。
「俺はクライドとして生きてきたおかげで偏見も差別も受けずに済んだけど、ステイシーや他の子たちはその苦しみを味わってきたわけだから。彼女らの分も、それから……生きて畑を出られなかった子供たちの分も、出来ることは精一杯やりたいんだ」
キースは穏やかに微笑むが、僕は子供たちの苦しみを想像して辛くなってしまった。メニ草畑で廃人になってしまったノアを知っているから、余計に。
「そんな顔するなよ、ベス。俺たちは魔導師になるんだろ? 苦しい思いをする子供が一人でも減るように、行動あるのみだ」
「そうだね。口だけじゃなくて行動しないと」
自分を奮い立たせるようにそう言った。第一隊に入りたいなら、この夏期休暇も勉強漬け必至だ。僕は教科書を詰め込めるだけ鞄に詰めながら、ふと気になってキースに尋ねた。
「ねえ、今の君には大切なものがあるってさっき言ってたけど、それって何?」
キースは僕を見てくすりと笑うと、視線を逸らして帰り支度を続けながら言った。
「生きるのが楽しいと思う気持ち。あと、家族とか仲間とか……ベスみたいな友達かな」
「奇遇だね。僕もキースみたいな友達がいて良かったと思ってたところ」
正直に言うと、キースはまじまじと僕を見た。
「二回も失神させられて、むせび泣きまでしたのに?」
「おいキース。いじってんのか、この野郎」
しかめっ面の僕と半笑いの彼は目を見合わせ、どちらからともなく声を上げて笑ったのだった。
ベスのきょうだい
・モーリス…28歳、長男。
・レイ…27歳、次男。
・アリッサ…25歳、長女。
・チェスター…21歳、三男。
・シェリー…19歳、次女。
・ジョエル…生きていれば15歳、四男。
・ヒューゴ…10歳、五男。
・トニー…8歳、六男。




