39、慰め
「ブラウン乳児院?」
どこかで耳にした名前だと思いながら、僕は聞き返した。
「そうだよ。キペルの南12区にある乳児院。そこから生後6ヶ月だったお前をうちに引き取ったんだ」
レイはそう言った。では、グレーン乳児院にいたというのは僕の思い込みなのだろうか。放火の光景まで覚えているのに?
しかし、彼が嘘を吐いているようには見えなかった。
「僕がブラウン乳児院に入るまでのことは、知ってる?」
「ああ。……生まれてすぐの頃、乳児院の前に置き去りにされていたって。乳児院にお前を迎えに行ったとき、父さんと母さんだけじゃなくて俺とモーリス、アリッサとチェスターも一緒だったんだ。この耳で聞いた話だから、間違いない」
レイはそう言った。アリッサは上の姉で25歳、チェスターは三番目の兄で21歳だ。
「じゃあ、実の親がどこの誰なのかは全く分からないんだ」
「そういうことになる。だからお前の誕生日も、実は推測でしかないんだ。成長の具合から恐らくこの辺りだろうって、乳児院の人が決めた」
僕の誕生日は1月7日だが、言うなれば当てずっぽうだったわけだ。本当は12月かもしれない。しかし、それだとキースや他の仲間たちとは違う学年になっていたわけだから、これで良かったと思う。
レイの表情がどんどん沈んでいくのは仕方がないのだろう。僕が乳児院にいたということは、恵まれない境遇であったということに他ならない。どう頑張っても明るい話には出来ないはずだ。
「ちなみに、僕に兄弟っていた?」
「いや、少なくともあそこの乳児院にはいなかったと思う。いたとしたら一緒に引き取ってたよ」
「そっか。どうしてお父さんとお母さんは、キペルの乳児院から子供を引き取ったんだろう。スタミシアにだって乳児院はいくつもあるのに。それと、どうして僕を選んだの?」
そう質問すると、レイは僕から目を逸らしてしばらく考え込んだ。言葉を探しているらしい。
「今さら傷付いたりしないから、本当のことを教えて」
僕が重ねて言うと、彼は視線を床に落としたまま答えた。
「……うちにはね、ベネディクト。もう一人きょうだいがいたんだよ」
「もう一人?」
「そう。シェリーの下、お前と同じ六番目の子供。生まれたのに産声を上げなかった子供が……」
レイはそう言って小さく鼻を啜った。産声を上げなかった、つまり、生まれた時点で亡くなっていたということか。レイの辛そうな表情と相まって、ずきりと胸が痛んだ。
彼は深呼吸して気を取り直し、僕を見た。
「家族全員その子が生まれるのをとても楽しみにしていたんだ。無事に、健康に生まれてくると信じて疑わなかった。今まで5人、何の問題もなく生まれていたからね」
僕は一番下の弟トニーが生まれたときのことを思い出していた。7歳だったから、良く覚えている。出産といえば大抵は地域の産婆が家に来るものだが、その日来たのは病院の医務官だった。父はずっと母に付き添い、きょうだいは全員が居間に集まって、落ち着かなげに歩き回ったり祈ったりしていた。
やがて母のいる部屋から産声が聞こえてくると、全員がわっと喜びの声を上げた。モーリスは涙ぐみ、アリッサなんか、シェリーと抱き合ってわんわん泣いていた。僕は兄姉たちの目まぐるしい態度に驚きながら、状況が良く分かっていない上の弟ヒューゴとその光景を眺めていた。
レイの話を聞いて納得した。言葉に出来ないような悲しい過去があったから、母の出産をあれほど心配し、喜んだのだろう。
「その子は男の子で、名前はジョエルといってね。父さんと、特に母さんの悲しみは深かった。家族でなんとか葬儀を終えてからは、何も手に付かない状態が続いたんだ。行き場を失った愛情ほど辛いものはないよ、ベネディクト。俺も人の親になって分かった。だから、その……」
レイは言い淀んだ。僕には何となく彼の言いたいことが分かっていた。早い話が、僕はジョエルの代わりということだろう。
「責めたりしないよ。お父さんとお母さんの気持ちは分かる。悲しみが深すぎて、そうでもしないと生きていけなかったんだよね。ジョエルに与えるつもりだった愛情を、他の誰かに与えないと」
「……その通りだ。お前は全く、物分かりがいいね」
目を潤ませてレイは言った。それから目元を拭い、続けた。
「母さんは恐怖心が勝って、もう次の子供なんて産めないと話していた。それで少し落ち着いた頃、ジョエルと同じ年頃の子供を乳児院から引き取ろうという話になった。うちならきっと、その子を幸せに出来ると思ってね。父さんが乳児院を経営する知人に頼って、見付かったのがベネディクト、お前だったんだ。俺たちは早速キペルに向かって、ブラウン乳児院でお前に会った」
「躊躇ったりはしなかったの? 目の色、みんなと……たぶんジョエルとも、全然違うけど」
「そんなものは関係ないよ。お前が俺たちを見て、嬉しそうに笑ってくれたから。たくさん愛情を注いで幸せにしてあげよう、最初からうちの子だったみたいに。父さんも母さんもそう思ったらしい。俺たちも同じだ。乳児院で、お前は仮称でコニーと呼ばれていたけど、うちに来るならちゃんと名前を付けてあげようってモーリスが言い出してね」
レイはふふっと笑った。僕はコニーという名前だったのか。しかしそれも仮称だから、本当の名前は結局無いのかもしれない。僕はどこかほっとしていた。
「家族全員が付けたがって、あのときはかなり揉めたな。最終的に兄三人でってことになったが、一つに絞れなくて全部付けたから、長くなった。お前には苦労させることになったが愛情故なんだ。悪く思わないでくれ」
「せめてみんな、ベスで統一してくれると有り難いんだけど」
「難しい相談だ。俺はベネディクトと呼びたいし、モーリスはテディ、チェスターはヘイデンと呼びたいらしい」
「この頑固野郎共め」
僕が言ってやると、レイは面食らった顔をした。
「初めてだな。お前が兄貴に生意気な口を利くのは。……うん、それでいいよ。いい子でいる必要なんてない。お前が生意気でも悪童でも、大事な家族であることに変わりはないんだから」
彼はそう言って優しい笑顔を見せた。不意に目頭が熱くなる。彼の言葉は、僕がずっと欲しかったものだから。
「例えば……魔導師になれなくても?」
自分の声が震えていた。
「もちろん。職業や肩書きでお前の価値が決まるわけじゃない。お前が本当に幸せだと思う生き方をしてほしいというのが、俺たちの願いだよ。そのために引き取った。今ならはっきり言えるが、ジョエルはジョエル、お前はお前だ。なあ、ベネディクト」
レイはソファからすっと立ち上がり、僕の隣に来て座った。僕はどうしようもなく視界が曇って、彼の顔が見えないくらいだった。
「こんなに泣き虫だったか。よしよし」
レイが僕を抱き締め、小さな子をあやすみたいに背中をさすった。実際、僕が幼かった頃に何度かこうして慰めて貰ったことがある。
「あ、そうだ。お前にはあれが一番効くな」
彼はそう言って僕の手を取り、その掌に指で星の形を描く。そして拳を握らせ、彼の両手でそれを包んで言った。
「幸せになーれ」
昔、兄たちが何度も僕に掛けてくれたおまじないだった。今になってようやく理解した。ずっと前から彼らは、僕が大切な存在だと伝えてくれていたのだ。優しい声が耳に染みて、僕は泣き崩れてしまった。




