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37、嫌な夢

 落ち着いた日常が戻ってきたある日の放課後。僕が寮の部屋に戻ると、キースが机で手紙を読んでいた。微笑んでいるようにも見える。両親からの手紙だろうか。


「……あ、おかえり」


 彼は僕に気付くと、手にしていた便箋を軽く振ってみせた。


「いいしらせだよ。ステイシーから」


「ステイシー? 元気にしてるの?」


 キースと同じメニ草畑で働かされていた少女だ。今回の事件でトワリス病院に送られたことは知っていたが、その後は知らなかった。


「読んでみたら。君にもお礼の言葉が書いてある」


 僕は差し出された便箋を受け取り、目を通す。そこには丸みのある文字でこう綴られていた。


 親愛なるキース


 お元気ですか。私は三日前にトワリス病院を退院しました。とても晴れやかな気分で、今、こうして手紙を書いています。

 実は働く場所が見付かりました。キペルにあるマリオット縫製店に、住み込みで雇って貰えることになったんです。カイ副隊長の従姉妹が二年前にキペルに開いたお店だそう。

 カイ副隊長が口利きをしてくれたみたいで、従姉妹のノーマさんはとても親切です。私の裁縫の腕を見て、是非うちで働いてほしいって。まだ小さいお店だけど、腕のいいお針子を沢山雇って、いつかキペルで一番大きいお店にしたいと言っていました。ノーマさんの力になれるように、精一杯頑張ろうと思います。

 キースも勉強頑張ってね。あなたならきっと立派な医務官になれる。誰よりも優しい人だって、私は知っているから。応援しています。

 最後に、あなたのお友達のベスさんにお礼を伝えて下さい。私を働き者だと言ってくれて、とても嬉しかったと。ベスさんも、きっと素敵な魔導師になれると思います。

 二人とも体には気を付けて、どうぞお元気で。いつかまた会えたら嬉しいです。


 ステイシー・マイルス


 手紙を読み終え、僕も自然と頬がゆるんだ。ステイシーはどうやら穏やかな日々を送れているらしい。カイの親族なら、きっと彼女に対して酷い扱いはしないだろうという安心感もある。


「良かった。ステイシーも幸せになってくれたらいいね」


 そう言って手紙を返すと、キースはそれを大切に封筒にしまった。


「うん。カイ副隊長にはお礼を言わないと。これってたぶん、自警団の仕事の範疇はんちゅうは超えているから」


「個人的な配慮ってこと?」


「そう。彼は本当に優しい人だと思う」


 キースの言葉に頷きながら、僕はこう思った。カイが優しいのは誰よりも人の痛みを知っているからだろう。父親を失い、母親のメニ草中毒で苦しみ、魔導師になってから親友も失った。並大抵の苦労ではないし、僕だったらどこかの時点で心が折れている。


「……会う度に全力で走らされるけどね」


 そんな冗談を言って笑い合い、僕らはいつものように勉強にいそしんだ。もうすぐ6月も終わる。8月の下旬には第一試験、9月に第二試験、そして11月から12月にかけて第三試験がある。余裕をこいている暇はない。

 何度か質問をしてキースの勉強を邪魔しながら、僕は覚えるべきことを必死で頭に叩き込んだ。魔導師になりたい、第一隊に入りたいという思いは決して嘘ではない――自分自身に言い聞かせるみたいに。



 その夜は悪夢を見た。僕は鏡に映った自分を見ている。鏡の中の()は、僕が今まで誰にも見せたことがないような薄ら笑いを浮かべて言った。


「本当は魔導師になんかなりたくないくせに」


 違う、と僕が言うと、彼は鼻で笑った。


「お前は家族や世間に認められたいだけだろ。存在意義ってやつだ。魔導師になればそれが手に入ると思っている。浅はかな考えだな」


 違う、違うと否定して顔をらすと、彼は鏡の中から腕を伸ばして僕の胸倉を掴み、顔を正面から見据えて言った。


嘘吐うそつきめ。自分でも認めているのに。価値がなきゃ誰も愛してくれない。お前には()()()()がない。ガレット家の物分かりのいい子供、魔術学院の真面目な学生、誰かの親切な友達……何かの役割にしがみついていないと、何者でもなくなるんだ」


 やめろと突き放したいのに、体は動かず声も出ない。彼は手を離し、今度は悲しげに表情を歪めた。


「可哀想なベス・ガレット。まだ自分が誰だか分からないのか?」――


 僕は誰かに肩を揺すられて目を覚ました。部屋の中は薄明かりで、その視界の中に僕を覗き込むキースがいる。


「ベス! 大丈夫か?」


 キースは焦っているようだ。僕は全身に冷や汗をかき、両手は小刻みに震えていた。一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに夢の内容を思い出す。僕は飛び起き、キースの両腕にしがみついた。


「キースっ! ねえ、僕が嘘吐きでも友達でいてくれるよね!?」


「何を……、落ち着け、ベス。大丈夫だから。大丈夫」


 キースは僕の目を見て冷静にそう言った。そのおかげか、興奮がすっと引いていくように感じる。僕は彼から手を離し、しばらく呆然とした。


「横になった方がいい」


 キースは僕をベッドに寝かせて、額に手を乗せた。


「熱があるわけじゃないな……」


「夢を見たんだ。嫌な夢」


 僕は普通に会話が出来るくらいには落ち着いてきていた。


「びっくりさせてごめん。もう大丈夫だよ」


うなされ方が尋常じゃなかったぞ。どんな夢だったんだ?」


 彼は僕の手首で脈を取りながら尋ねた。流石は医療科の生徒、急病人の対応は当然のように出来るらしい。


「僕、何か言ってた?」


「違う、やめろって繰り返してたよ。あまりにも苦しそうだったから、心配になって起こした」


 夢の中の台詞をそのまま言っていたらしい。僕は夢の内容を話そうとしたが、キースには意味が分からないかもしれないと思った。全て分かるように話すには、僕がガレット家の子供でないことを説明する必要がある。


「……今、何時?」


「朝の4時半だけど」


 キースが答える。いくら早起きの彼でもまだ眠いはずだ。こんな時間に僕のあれこれを話すのは気が引けた。


「俺には話したくない内容だった?」


 何か察した彼が、心配そうに言った。


「いや。キースになら話してもいいと思ってるよ、何でも。こんな状態を見られちゃったし……」


 もう隠す必要もないと思うと、少し気が楽だった。


「ただ、君の睡眠時間を削ってまで話すことじゃないかなって」


「別にもう眠くないし、ベスのためなら睡眠時間くらい削る。君に助けてもらったこと、忘れるほどの恩知らずじゃないよ」


 彼は優しく言って、僕のベッドの端に腰掛けた。話を聴いてくれるつもりらしい。


「ありがとう」


 胸がじんとしながら、僕ものそのそと起きてベッドに腰掛けた。そして、僕が恐らく養子であることとそう思う理由、家族には聞けず出自が全く分からないこと、物心付いた頃から違和感と疎外感に悩まされていたことを話した。

 他人に話すのはこれが初めてなのに、少しも躊躇ためらいはなかった。キースは地獄を見てきた人間で、彼の前だと僕の悩みが些細なことに思えるからだ。他の人だとこうはいかないだろう。

 キースは静かに話を聴き、実は、と言ってこう切り出した。


「学院の入学式の日に君とお父さんが話しているのを見てから、実の親子じゃないんだろうなとは思ってたんだ。仲は良さそうだけど、空気感が違うというか」


「えっ。そんなことまで分かるなんて、君、すごいね……」


 思わず感心すると、キースは苦笑した。


「自分が実の親子じゃないからな。親への変な気の遣い方とか、見てて分かっちゃうんだよ」


「そっか……。僕ら、もっと早くに色々と話せてたら良かったね」


 そうすればキースの復讐を止められていたかもしれない、なんて思うのはおこがましいだろうか。彼はふふっと小さく笑って、僕を見た。


「そう思うよ。そうすればベスを何回も失神させずに済んだ」


「あ、ちょっと馬鹿にしてる。……それさ、僕が変なのかな。あんなに簡単に失神するなんて。僕は他の誰かが失神する場面なんて、ほとんど見たことないんだけど」


 考えてみれば、僕は短期間に何度も意識を飛ばしている。血塗ちまみれの部屋を見たとき、キースの復讐を止めて安心したとき、……そして雑誌でグレーン乳児院の記事を読んだとき。


「実は君が帰ってくる二日前にも失神してて。雑誌で、前に話したグレーン乳児院放火事件の記事を読んだら、変な光景が頭に浮かんだんだ。まるで自分が経験したみたいに。それで何だか血の気が引いて」


「本当に? ちゃんと医務室行ったか?」


 キースが険しい顔をした。心配してくれているのだろう。


「行かなかった。すぐに目が覚めたし、体調も悪くなくて……というか、失神したことが他人事みたいに思えて。変な感じだったな」


「感受性が豊かすぎて、と言ってしまえばそれまでだけど」


 キースは腕を組んで考えながら言った。


「何か引っ掛かる。他人事みたいに思えて、ってところ。その雑誌、俺にも読ませてくれるか?」


「あ、うん。こっち」


 僕は机に向かい、ランプを点けてそこにあった雑誌を開いた。グレーン乳児院放火事件のページだ。キースが側へ来て誌面を覗き込む。視線が素早く文字を追い、彼は2分とかからずに読み終え、真剣な顔でこう言った。


「まさかとは思うけど、その光景、本当に見たんじゃないか?」

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