36、中身
消灯後の暗がりの中、ベッドに入ってからも僕らの話は尽きなかった。入学してからの一年半で交わした会話より多いかもしれない。
「グルー教官、実は結婚してたんだ。奥さんはカイ副隊長の同期なんだって」
僕が言うと、キースは素っ気なくこう返した。
「同期かどうかは知らなかったけど、その人なら知ってる。クロエ・グルー医務官だろ? スタミシア第一病院の。実習でお世話になったよ」
知っていたなら教えてくれても、と思ったが、彼はそもそも誰かの個人情報を勝手に話す人ではなかった。口の堅さは魔導師に必要な素質だから、僕も見習わなくてはならない。
「そうだったんだ。……ねえ、キース」
「ん?」
「15年前の、グレーン乳児院放火事件って聞いたことある?」
「グレーン乳児院……」
彼はそう呟いてしばらく黙り、やがてこう言った。
「確かスタミシアの事件だよな。現場が凄惨だったって、ルカ医長が授業で言ってたことがある」
「ルカ医長、現場を見たの?」
思わず起き上がってしまい、キースがびくりとしたのが分かった。
「どうした? いや、彼は見ていない。実際に現場を見たのはスタミシア支部にいた彼の同期だ。ただ遺体の検案に人手が足りなくて、ルカ医長も応援として支部に呼ばれたらしい。その日のことは思い出すのも辛いって言ってた。なんせ、赤ん坊の……」
キースはそこまで言って口をつぐんだ。16人もの乳幼児の遺体――しかも火事で焼けた――を見たら、誰だって心に傷を負うはずだ。
「そうだよね。想像するだけで辛いもん……」
「事件に関わった魔導師の半分は、それから一月も経たないうちに魔導師を辞めたらしい。現場が凄惨であればあるほど精神を病むって、魔導師としては避けて通れないことらしいけど。医務官は医務官で、遺体の検案は一番きついって言ってた。俺たちもいずれは直面することになるんだろうな」
キースは平然と話す。それもそうかもしれない。かつて彼がいたのは、メニ草畑という地獄なのだ。現場を見たカイが思わず吐いたほどの。
「というか、どうしてその事件の話を?」
「ついこの間、雑誌で読んでさ。衝撃的だったから、君は知ってるかなと思って」
読んで失神したということはまだ伏せておいた。余計な心配を掛けたくないし、どうして失神したのか僕自身もまだ分かっていない。
僕がまたベッドに横になると、キースはふふっと笑い、言った。
「雑誌が好きすぎないか。首席になりたいなら、しばらくは封印しないと」
僕が第一隊に入りたいという話はキースにもしてある。新卒であそこに入る条件は、監察科で首席になることだとチェス教官に言われていた。
「分かってはいるんだけど、ね……。とりあえずもう『枯れ草』は買わないようにする」
「それがいい。俺が代わりに買っておくから」
「え、なんで?」
「事件に巻き込んで迷惑掛けたから、少しは売上に貢献しないと」
なるほど、と思った。そもそも『枯れ草』を利用し、編集部に事件の垂れ込みをして事を大きくしたのは彼だ。
「じゃあ、編集長の痔を治してあげることだ」
「え? 何て?」
「痔だよ、痔。リローに聞けば分かる」
「どういうことだ……?」
混乱している彼が面白くて、僕はくすくす笑いが止まらなかった。思えばキースと消灯後に話をするなんて初めてだ。彼はいつも僕より後に寝て、僕より先に起きている。下らない話には付き合わない、一つの隙もない完璧な生徒、それが以前の彼だった。
なのに、今は彼とこんなに下らない話をしている。まさに友達という感じがして嬉しかった。
「あんまりからかわないでくれ。どう反応していいのか分からない」
キースが困ったように言った。
「そりゃそうだろうね。あれだけポーカーフェイスを極めてたんだから。でもさ、君が思ったままを顔とか言葉に出してくれたら、僕もリロー達も嬉しいよ」
僕の正直な気持ちを伝えると、彼は数秒黙ってから静かに言った。
「そう出来たらいいけど、俺はまだけじめを付けてないから。クライド・リューターという名前を、ちゃんと彼に返さないといけない」
「名前を返す、って?」
「クライドの墓はスタミシアにあるんだけど、その墓石にはまだ名前が刻まれていないんだ。俺がクライドとして生きていたから。両親もずっと心苦しかったと思うよ。我が子の墓に名前も刻めないなんて。それでも俺のために、精一杯クライドの死を隠そうとしてくれた」
彼の言葉からは、両親に対する思いやりを感じられた。偽物の親子関係だったとしても、今もお互いに愛情があるのは間違いないようだ。
「そういえば君が起こした事件の後、ご両親とは話せたの?」
「入院中に面会に来てくれた。そこでこれからどうするか、じっくり話し合ったんだ。俺としてはきっぱり縁を切ってくれた方が二人にとってはいいと思ったんだけど……。二人は、これからも親子でいようって言ってくれた」
心なしか涙ぐんでいるような声だった。
「ちゃんと、キース・アルバとしての俺を家族に迎えたいって。養子の手続きを進めるって言ってたから、その内、名前がキース・リューターになると思う」
「……ややこしいな。横断幕、作り直さなきゃ」
僕が真面目に言うと、キースはぷっと吹き出した。
「もう十分だって。けど、みんながあんなに温かく迎えてくれるなんて思ってもみなかった。結構、びくびくしながら帰ってきたんだから」
「君が失踪してから、みんなずっと心配してたんだぜ。君は無愛想を貫いてたけど、厳しい訓練を乗り越えてきた仲間なんだから。これからは愛想良くしないと、呪われるぞ」
「分かってる。まずは笑顔で挨拶、だろ」
キースが帰ってきてから、リローが子供に言い聞かせるようにしつこく言っていたことだった。
「そうそう。無表情でおはようって言われても怖いだけだからね……」
不意に眠気に襲われて、僕は大あくびをした。明日も授業だから、いくら楽しくてもあまり夜更かしは出来ない。
「寝よう。話す時間はこれからもたっぷりある」
キースが言った。彼から前向きな言葉が聞けたのはいいことだ。
「僕が落第しなけりゃね。じゃ、おやすみ、キース」
「うん、……おやすみ」
暗くて見えなかったが、彼は笑顔で言ったに違いなかった。
僕は翌日になって、キースに向けられる視線の違いをはっきりと感じていた。もちろん良い意味で、だ。
「おはようございます」
廊下で、一年生の女子数名が僕とキースにおずおずと挨拶をしてくれる。いつもなら無愛想におはようと返すキースだが、今日はリローの言い付けを守ってか、笑顔で返事をした。
人を惚れされるのは一瞬などと良く言うが、目の前でそれを見たのは初めてだった。女子生徒たちはほんの少し頬を染めて、早足に去って行った。「見た? 初めて笑ってくれた!」と小声で囁き合っていたのを、僕はばっちりと聞いた。
「……君さ、やっぱり第二隊に入った方がいいと思うけど」
「良く言われるけど、俺は医務官以外になるつもりはない」
ばっさりと切って捨てられた。その恵まれた容姿がもったいないと思っているのは僕だけではないらしいが、彼にしてみれば耳に胼胝が出来そうなのだろう。
「ごめん、もう言わないよ」
笑いながら廊下を進む。彼も冗談だと分かっているのか、ふっと笑いを溢していた。
「じゃ、また後でね」
監察科と医療科の教室は逆方向だから、僕らは廊下の突き当たりで左右に分かれた。
「ベス」
途中で呼び止められ、振り返った。廊下の窓から燦々と差す光を浴びて佇む彼の姿は、まるで一枚の絵画のように美しい。絵になるとはまさにこういうことだろう。
彼は穏やかに微笑みながら、一言、ありがとうと言った。何に対しての礼なのかはっきりしないが、彼の心からの言葉だというのは分かる。じわりと胸が熱くなった。
僕の返事も待たず、キースはさっさと行ってしまった。彼らしいといえば彼らしい。名前が変わっても中身はそのままだ。
僕はどうだろう。と、ふと考えた。自分の正体や本当の名前が分かったとして、中身は変わるだろうか。偽っていた人格が消えて、変わってしまうだろうか。魔導師になりたいという思いも実は全部嘘なのか?
急に背筋がぞっとした。僕は嫌な想像を打ち消すように頭を振って、急ぎ足に自分の教室へ向かった。




