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33、聖人

「すごい。治療の魔術、使えるの?」


 僕が言うと、デイジーははにかんだ顔をして僕の手を離した。


「少しだけ……」


「医務官になれるよ。これだけの魔力があるなら、余裕で魔術学院に入れるんじゃない?」


 別に誉めたててその気にさせようというつもりはなく、事実を言っただけだ。治療の魔術は魔力を持っていれば誰でも使えるものではない。完全に生まれ持った資質の問題で、例えば僕にはその資質がゼロだった。


「本当に?」


 顔を上げたデイジーは嬉しそうに目を輝かせていた。


「うん。あ、一応学力試験もあるけど、王立学校で勉強しているならきっと楽勝だよ。医務官、興味あるの?」


 僕の問いに、デイジーは少し口ごもった後でこう答えた。


「魔導師になりたいんだ。カイみたいな」


 呼び捨てにするくらいの関係性らしいが、それがどんなものなのかはまだ分からなかった。


「……てことは、医務官じゃなくて監察部の方?」


「そう。カイには反対されてるけど。せめて医務官にしろって」


 彼女は不満げに言った。しかしカイの気持ちも分かる。同じ魔導師でも医務官なら戦闘には参加しないが、監察部は命懸けの戦闘ありきだ。こんなか弱そうに見える子がその仕事に就きたいなんて言ったら、普通は反対する。


「危険さと大変さを分かっているから反対するんだと思うよ、カイ副隊長は」


「でも、セオは応援してくれてるもん」


 少しずつ素が出てきたのか、デイジーは年相応の子供らしい口調になってきた。


「カイのことは尊敬してるし、感謝してることもたくさんあるけど、やっぱり他人だから。家族が言ったことの方が私にとっては大事」


「カイ副隊長も家族みたいなものではないの?」


 そう言うと、デイジーの顔が明らかに曇った。そしてその目にじわりと涙が浮かんだ。


「カイもフローシュも、ご主人様も奥様もみんな私に優しくしてくれるけど、家族じゃない。私はこの家にいちゃいけないんだ。セオは執事っていう仕事があるからここにいるけど、私は違う。可哀想だから置いてもらってるだけ」


 自分の失態に焦る僕をよそに、彼女は溢れた涙を頬に伝わせながら続けた。


「分かんないでしょ。この家の中で自分一人だけ、よそ者みたいな気分――」


「分かるよ」


 思わず強い口調でそう言った。デイジーは驚いたように、じっと僕の目を見た。


「うそ」


「本当に。僕だって同じだ。10人もいる家族の中で一人だけよそ者なんだから。一人だけ魔力があって、一人だけ目の色が違って、小さな頃からずっと違和感を……」


 僕ははっとして口をつぐんだ。こんな小さな子相手に何をむきになって話しているのだろう。恥ずかしくて目をらしたかったが、デイジーのまっすぐな視線にはばまれた。


「……泣くほど辛いんだね。うそなんて言ってごめん」


「え?」


 慌てて自分の頬を触ると、確かに手が湿った。デイジーはふふっと笑いを漏らし、指先で自分の目元を拭った。


「私、分かってくれる人に初めて会ったよ。ねえ、もっとあなたのこと聞かせて。魔術学院に通っているんでしょ?」


 興味津々といった様子で、彼女は僕の顔を覗き込む。大人みたいに憂いを帯びてみたり、かと思えば子供らしい好奇心を見せてみたり、掴み所のない子だ。僕には弟しかいないが、妹がいたらこんな感じなのだろうか。


「これといって面白い話はないけど……」


 彼女を泣かせてしまった手前、断ることは出来なかった。二人で机に移動して腰を落ち着けると、僕は学院のことについて話し、デイジーは興味深く相槌を打ちながら聞いていた。

 やがて話は、デイジーの家族のことになった。


「家庭が複雑だって、セオさんが言っていたけど」


「うん。私もね、10歳になって初めてセオから詳しいことを聞いたんだ。それまではずっと『大きくなったらちゃんと話してあげる』って誤魔化されてたことなんだけど」


 デイジーはそう言って不意に立ち上がり、新聞の棚から製本された一冊を取って戻ってきた。それを机の上に広げ、記事の一つを指差す。


「10年前の新聞。ここ、読んでみて」


 僕は指示された箇所に目を通してみる。『ランブル社、組織的にメニ草の流通に関与か』という見出しだ。その当時デマン商会のライバルともいえる会社だったが、死刑となった元近衛団長セレスタ・ガイルスの屋敷で栽培されていたメニ草の流通に、社長のデリック・ランブルと社員の何名かが関与していたそうだ。全員獄所台に収監されたらしい。


「こんなことがあったんだ」


「うん。それでね、そのデリック・ランブルが私とセオの父親」


 デイジーは表情に嫌悪感を浮かべてそう言った。


「お母さんはランブル家の使用人だったの。デリック・ランブルにはちゃんと妻がいたのに、お母さんにも手を出して子供作ったんだって。すっごい気持ち悪い。理解出来ない。そんなのが父親なんて絶対に嫌」


「あ、うん……」


 正直過ぎるくらいの感想に、僕はどう返していいか分からなかった。


「それなのに、デリック・ランブルは私がお腹にいるときにお母さんを家から追い出して、残されたセオを使用人としてこき使って、酷い目に遭わせたんだ。どんなことをされたのかは絶対教えてくれないけどさ。それでお母さんは……」


 彼女の勢いが急にしぼみ、視線が机の上に落ちた。


「ブラウン乳児院ってところで私を産んで、すぐに死んじゃった。だから私はお母さんの顔も声も知らない。写真で見ただけ。……それで、2歳半くらいだったかな。セオとカイが乳児院に私を迎えに来てくれた。デリック・ランブルが捕まった後で、自警団が探し出してくれたんだって」


「そうだったんだ……」


 10年前の大きな出来事の裏で、こんなことがあったらしい。当時の号外を読むだけでは知り得なかった事実だ。

 デイジーは再び顔を上げ、悲しげな視線を僕に向けた。


「私はそれからずっとこの家にいる。乳母まで付けて大切に育ててもらって、本当に感謝してるんだ。私とセオの両親は事故で死んで、遠縁のご主人様が引き取ってくれたって嘘をずっと信じてたから。だけどね、セオに本当の話を聞いて、ここにいるのは息苦しいなって思うようになったの。私は赤の他人だし、父親は犯罪者だし。早く出て行かなきゃってそればっかり考えてた」


「それで王立学校の寮に?」


 二年前から寮に入っているとセオが言っていた。ちょうど、デイジーが真実を聞いた時期だ。


「うん。一度、寮生活を経験してみたいって言って。本当のことは誰にも言ってない」


「でも、セオさんは気付いてるみたいだったよ。この家は君にとって居心地が悪いんじゃないかって言ってた」


 そう言うと、デイジーはなんとも複雑な表情をした。


「セオは私のこと、何でも分かってる。でも、セオはセイジンだから」


 成人、かと思った。しかし。


「私がデリック・ランブルを許せない気持ちを分かってくれない。セオはもう全部、許してるんだって。大事な父親だって言うの。信じられない」


 続くデイジーの話から、聖人だと分かった。確かに彼女の話のような酷い目に遭って、その相手を許せる人間はなかなかいないだろう。彼女のように怒りを感じるのが普通だ。


ゆるすことが大切。何をされても、赦すことの出来る人間が一番強くて美しい」


 デイジーは台詞を読み上げるように、無感情に言った。


「お母さんがセオに教えたことなんだってさ。私はそんなふうには思えなくて。もう少し大人になれば分かるのかな。ベス、あなたには分かる?」


「僕だって君とそんなに変わらない歳だし……」


 言いながら考えてみる。僕は今まで、許す許さないで考えるほど誰かを恨んだりしたことがなかった。幸せに育ってきた証拠かもしれない。たぶんキースだったら、デイジーの気持ちが良く分かるだろう。相手を許せずに復讐を実行しようとしたくらいだ。


「正直に言えば分からない。けど、少なくとも僕は聖人じゃないから、君やセオさんと同じ目に遭ったら許せないと思うな」


「だよね。私がおかしいんじゃないよね」


 デイジーはほっとしたように表情を弛めた。


「セオのことは大好きだし、大事な家族なんだけど、ほんとにそこだけ分かり合えなくてさ。セオはお父さんもお母さんも一緒に過ごした記憶があるけど、私はどっちも記憶にない。その違いかな?」


「……そうかもしれないね」


 記憶にないという言葉を聞いて、僕は自分のことを考えてしまった。今の両親と血が繋がっていないのだとしたら、僕に実親の記憶はない。一番古い記憶にあるのは、今の両親の姿だ。

 急に黙った僕を見て、デイジーは申し訳なさそうに言った。


「大丈夫? 私、自分のことばっかり話しすぎちゃった。ベスの話も――」


 その時、ドアの向こうから足音が聞こえてきた。デイジーははっと顔を上げ、すぐに立ち上がった。


「セオだ」


 足音で分かるのだろうか。彼女の言う通り、ノックの音に続いて部屋に入ってきたのはセオだった。


「失礼致します。ベスさん、夕食の支度が……、デイジー?」


 彼の目がデイジーに留まる。デイジーはきゅっと唇を結び、何も話したくはないというように彼の横を通って部屋を出ていった。端から見ればただ兄妹喧嘩をしているだけのようだが、実際はもっと複雑なのだろう。デイジーの背を追うセオの視線に、やりきれない切なさが混じっているような気がした。

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