32、居心地
「よかった、まだいた!」
ナイジェルは僕の姿を見てぱっと顔を輝かせた。一緒に部屋に入ってきた少女は焦ったように僕とセオを見ている。ぱっと目を引くような可愛らしい子で、顔を動かす度に緩くウェーブした栗色の髪がふわりと揺れた。彼女が着ているワイン色のワンピースは、キペルにある王立学校の制服だ。
「ごめんなさい、勝手に入ってしまって……」
彼女は申し訳なさそうに僕に言った。緊張しているのか表情が固い。
「大丈夫。気にしないで」
僕が言うと、彼女は一礼して逃げるように部屋を出ていってしまった。
「ねえ、ベス。一緒に夕食を食べようよ。お祖父様もいいって言ってたよ!」
ナイジェルが無邪気に僕の腕を揺する。喉元過ぎればなんとやら、一人で街に出てカイに叱られたことはすっかり忘れているようだ。
「あれ、セオ、お父様は?」
部屋を見回してカイがいないこと気付いたのか、ナイジェルはそう尋ねた。
「急なお仕事ですよ、坊っちゃん」
「そっか。今日は一緒にいられると思ったのにな」
ナイジェルは唇を尖らせる。ただこういうことには慣れているのか、それ以上は何も言わなかった。非番の日に自警団からカイへの呼び出しがあったのは、一度や二度ではないらしい。
「代わりにベスがいてくれればいいや。ね? 食べていくでしょ?」
期待の籠った目で見られると無下にも出来ないが、どうしたものかと思った。夕食までご馳走になっていくのは流石に図々しい気がする。困ったようにセオを見ると、彼は微笑んで言った。
「どうぞ遠慮なさらずに。そちらの方がご主人様もお喜びになります。魔術学院の生徒だと聞いて、大層興味をお持ちでしたから」
「そうだよ、お祖父様優しいよ。じゃあベスは食べてくって伝えてくるね!」
「あ、待って、ナイジェル……」
もちろん止めても無駄で、彼はあっという間に部屋を飛び出していった。もう諦めてご馳走になっていくしかないようだ。ふうと息を吐いて、僕は気になっていたことをセオに尋ねた。
「セオさん、さっきの女の子はどなたでしょうか?」
「あの子は私の妹、デイジーです。失礼な態度を取ってしまい申し訳ありません」
セオは少し眉尻を下げた。
「いえ、失礼だなんて。妹さん、このお屋敷に住んでいるんですか?」
執事はもちろん住み込みの使用人だが、その家族まで同じ屋敷に住むというのは珍しいことではないだろうか。
「私の家庭も色々と複雑でして。ご主人様のご厚意で、妹は10年前からこのお屋敷に住まわせて頂いております。2年前からは、王立学校の寮に入っています」
「あの制服、やっぱりそうでしたか」
王立学校とは、キペルにある6~13歳までの子供が通う初等学校だ。いわゆるお坊ちゃま・お嬢様学校で、通っている子供は親の地位が高かったり裕福な家庭というのが通説だった。デイジーは後者ということになるのだろうか。学院の同期にも、2人くらい王立学校出身がいた。
「ええ。今は12歳、6年生です。これから寮に戻るところでしょう。学校の敷地内は、休日でも制服着用の規則がありますから」
「週末はいつも帰ってきているんですか?」
「いいえ、最近はほとんど寮に。……あの子にとってここは、居心地が良くない場所なのかもしれません」
セオは視線を落としてぽつりと呟き、はっとしたように僕を見た。
「失礼しました。夕食までお暇でしょうから、書斎に案内致します。こちらです」
彼は流れるような所作で僕を案内する。家庭が複雑と先程聞いていたから、僕はそれ以上突っ込んで質問出来なかった。
デマン家の書斎はさながら図書室のようだった。部屋の奥まで続く本棚の列や、そこにびっしりと並ぶ蔵書の数に驚く。
「棚の半分くらいは新聞になります。ご主人様が趣味で大切に取っておかれた、過去50年分くらいのものですね。こちらに日付順に並べてあります」
セオに連れられて奥へ進むと、白表紙の薄い本で埋め尽くされた棚がいくつもあった。背表紙に年月日が記載されている。新聞を丁寧に製本してあるようだ。
「凄いですね。一日も欠かさずですか?」
「はい。ご主人様は几帳面な方ですので。どうぞ、気になるものはお手に取ってご覧下さい。ご用があればそちらの呼び鈴の紐を。夕食の準備が整いましたらお迎えに上がります」
セオはそう言って書斎を後にした。僕はさっそく、過去の新聞を探すことにした。気になることはいくつもある。19年前に起きたクーデターのことや、その後に起きたガベリアの悪夢のことなど。魔導師として知っておくべき内容に違いない。
日付を遡りながら棚の間を歩いていると、書斎のドアが静かに開く音がした。
「誰かいるの……?」
か細い声が聞こえて、僕は棚の端から顔を出した。何冊かの本を手に、デイジーが入口の側に立っていた。
「あ、さっきの……」
彼女は何度か目をしばたき、会釈した。礼儀正しい子だ。
「やあ。実は夕食もご馳走してもらうことになって。セオさんが時間潰しにここを案内してくれたんだ。君、妹さんなんだってね」
親しげに話し掛けてみると、デイジーは少し恥ずかしそうに頷いた。
「デイジー・リブルです。さっきはすみませんでした」
「謝らなくていいよ。僕はベス・ガレット。よろしく」
僕が笑うと、デイジーもようやく控え目な笑顔を見せてくれた。
「小説が好きなんだ?」
僕はデイジーの手元に視線を遣った。彼女が手にしていた本は、10代の少女に人気の恋愛小説だった。書店でも目立つ場所に並んでいるシリーズだ。
「本は何でも好きです。読んでいる間は現実を忘れられるから……」
デイジーは僕から視線を外し、棚に本を戻していく。このくらいの歳の子でも現実逃避したくなることがあるのか、と少し驚いた。彼女の憂いを帯びた雰囲気と何か関係あるのかもしれない。
じっと見ているのも失礼かと思い、僕は新聞の棚に移動して話を続けた。
「僕も本は好きだよ。兄が3人いるから、お下がりの本がたくさんあって。たまに……痛っ」
手持ち無沙汰に開いた新聞の端で、指の皮膚がすっぱりと切れた。油断していると良くあることだ。
「大丈夫ですか?」
デイジーが心配そうに顔を覗かせた。
「ああ、うん、紙で指が切れちゃって」
「……見せて」
彼女は側に来て僕の手を取ると、血が滲む箇所を自分の指先で軽く撫でた。驚いたことに、ほんの一瞬で傷は消えていた。




