31、監視の理由
セオに案内された客間でお茶を飲みつつ待っていると、私服に着替えたカイがやってきた。さっきまで制服だったが、今日はもう非番なのだろうか。
「待たせてすまない。……お菓子、口に合ったか?」
カイは僕の前にある空っぽの皿を見て笑い、向かいの席に腰掛けた。セオが当然のように側へ来て彼にお茶を入れ、一礼して去っていく。
「はい。とんでもなく美味しかったです」
用意されていたお茶菓子は、クリームをたっぷりと挟んだクッキーのようなものだった。空腹も手伝ってカイが来る前に平らげてしまったから、少々恥ずかしかった。
「それなら良かった。妻が気に入っているお菓子なんだ」
「奥様が。……そういえばナイジェルが、奥様はずっと具合が悪いって言っていたんですが」
僕が言うと、カイは真面目な顔で頷いた。
「もう一ヶ月くらいになるか。二人目がお腹にいるんだが、つわりが長引いててな。代わってやることも出来ないし……」
「そうだったんですか。魔術で何とか出来るものじゃないし、人によっては薬も効きませんもんね」
僕がそれを良く理解出来るのは、上の姉が昔、長いことつわりで苦しんでいたからだ。一日中船酔いしている気分、と本人もげっそりした顔で言っていた。カイが怪訝な顔をしたので、僕はそれを説明した。
「そういえば、きょうだいが多いんだったな。まだ学生の君に共感してもらえるとは思わなかった」
カイはそう言うと、カップからお茶を一口飲んでふうと息を吐いた。
「ナイジェルが言っていたと思うが、確かに俺の誕生日には何もしなかったんだ。三日前だったんだけど。妻の状態も良くないし俺も忙しかったから、お祝いはしなくていいと自分から言った。そこをナイジェルが気にしているとは思わなかったよ。まさか一人で街に出るなんて……」
少し憔悴したようなその様子に、副隊長の顔とは違う一面を見ているようだった。彼は椅子にもたれ、遠くを見つめながら言った。
「仕事を終えて家に帰ってきた途端、ナイジェルがいないと言われて血の気が引いた。誘拐されたんじゃないかってな。いつでも追跡の魔術を使えるようにあの子の髪の毛は持っていたが、本当に使うことになるとは思わなかった」
カイは息子が誘拐に遭わないか常に警戒しているのだろう。そうでなければ、髪の毛を常時持ち歩いたりはしないはずだ。
「やっぱり、これだけ家が立派だと狙われてしまうんでしょうか。その……お金目的の犯罪者に」
「それだけならまだいい。俺が警戒しているのは、妻の元婚約者が手を出してこないかってことだ」
カイは眉間に皺を寄せて言った。
「元婚約者……」
それを聞いてぱっと思い浮かんだのは、10年前に出た号外だった。元近衛団長セレスタ・ガイルスの死刑執行を伝える記事。学院の入学当初に読み、先日ラシャの話を聞いてからまた読み直したのだ。そこで僕の頭に刻み込まれた名前、ファルン・ガイルス。相手の実名こそ載っていなかったが、彼は元婚約者に暴力を働いたと書かれていた。
いや、流石にそんな偶然はない。それがカイの妻だったなんてことは。
しかし、カイはこう続けた。
「10年前に獄所台に収監されて、既に出所している。大した魔力はないし未だに自警団の監視対象だが、頭は切れる人間だから。監視の目を掻い潜って何かしてくるかもしれない。俺や自警団にそこそこ恨みがあるはずだし。……悪い、君には何のことだか分からない話をしてしまった」
彼は僕を見て困ったように笑う。
「君の話を聞くつもりで呼んだのに」
「いえ。……その元婚約者って、ファルン・ガイルスですか?」
思い切って名前を出してみると、カイの目にほんの少し驚きが浮かんだ。
「奴を知っているのか?」
「つい最近、10年前の号外を読み直したんです。ラシャさんの話を聞いて」
「ラシャの……」
そう呟き、カイは納得したように何度か頷いた。
「そうか。自分のことを君に話したくなるのは偶然じゃないみたいだ。ラシャからどこまで聞いた? 妹の話だろ」
「はい」
僕は頷き、ラシャから聞いた内容をかいつまんで伝えた。ファルン・ガイルスが彼の妹の事故死に関わっていたこと、トワリス病院で治療を受けていること、そして、彼がカイに監視されていると言っていたことも。
「まあ、事実だな。部下を犯罪者には出来ないから」
カイはあっさりと認めた。
「ラシャは優秀な魔導師だ。でも何かの拍子に道を踏み外す可能性だって十分にある。以前に俺が、35年経って復讐した人を知っていると話したのを覚えているか?」
「はい」
確か、殺人を犯して獄所台に収監されたと言っていたはずだ。
「彼は俺が第一隊の新人だった頃の、隊長だった」
「え、隊長……?」
あまりにも衝撃だった。自警団の隊長が殺人を犯すなんて。僕が絶句している間に、カイは続けた。
「そうなるよな。俺も当時は信じられなかった。尊敬していた人だったから、信じたくなかったと言った方が正しいか。口では言えないような復讐の動機があったとはいえ……どんなに立派な人間でも憎しみに負けることはあると、そのときに学んだよ。それと、復讐を実行したときに周りの人間が苦しむってこともな」
「周りの人間が、ですか?」
「君なら分かるはずだ。もしキースが計画通りあの売人を殺していたら、君はそれを止められなかった自分を責めるだろう?」
想像してみると確かにそうだった。一番近くにいて何故止められなかったのか。恐らく一生、僕は後悔し続けるに違いない。静かに頷くと、カイは言った。
「当時の副隊長と最近、話をする機会があってさ。彼も言っていた。未だに隊長の復讐を止められなかった自分を責めることがあるって。……話が少しずれたが、ラシャが復讐を実行しないように見張っているのはそういう理由だよ。あいつには新婚の妻もいるし、何より魔導師として道を踏み外してほしくない。自分を慕ってくれているならなおさらだ。ラシャにもその辺の話はしてあるんだが、いざというときにどうなるか」
心配になるのも分かる気がした。ファルン・ガイルスのことを話すときの憎しみに満ちたラシャの顔を見れば、もしやと思うのも無理はない。
「トワリス病院での治療が終われば――」
僕が言い掛けたそのとき、部屋の窓をすり抜けたナシルンがカイの肩に止まった。自警団からの連絡に違いない。
「……」
カイはしばらく無言でメッセージを聞き、眉間に皺を寄せて立ち上がった。
「悪いな、ベス。急ぎの用事が出来た。本部に戻らないと」
副隊長というものは息つく暇もないのだろうか。僕も慌てて立ち上がる。
「はいっ、僕もすぐ帰りますので」
「いや、ゆっくりしてくれていい。ナイジェルを助けてもらったお礼もちゃんとしていないんだから。セオ」
カイが呼ぶと、セオがすっと現れた。
「俺は本部に戻るが、ベスを頼む。帰りは馬車で学院まで送ってやってくれ」
「かしこまりました。お気を付けて、カイ」
セオが微笑むと、カイは僕が声を掛ける間も無く行ってしまった。
「どうぞお気になさらず。カイがお客様を置いて仕事に行ってしまうのは、いつものことです。おかわりはいかがですか?」
セオはにこやかにテーブルを手で示す。お茶もお菓子も美味しかったのだが、流石にこれ以上頂こうとは思わなかった。
「いいえ、もう十分に頂いたので。ご迷惑は掛けられないので帰ります。あ、馬車は大丈夫です、歩いて帰れます」
「真面目だね。なんだか昔のカイを思い出す」
セオはくすりと笑い、親しげに言葉を崩した。
「昔というのは?」
「10年くらい前かな。このお屋敷も色々あって、自警団にはとてもお世話になったんだ。全部話していたら日が暮れてしまうかもしれない」
彼が部屋の時計に目を向けた、その時だった。
「こら、ナイジェル! 勝手に入ってはダメよ!」
誰かの声と、廊下を駆ける足音がドアの向こうから聞こえた。開いたドアからするりと入り込んで来たのは、ナイジェルと、10代前半くらいの少女だった。




