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30、お客様

 建物の屋根からさっと飛び降りて来た魔導師は、驚いたことにカイだった。子供の捜索に第一隊の副隊長が駆り出されるなんて、よっぽどナイジェルは重要な人物の子供なのだろうか。

 カイは一応僕の存在に気付いてはいたが、それよりもナイジェルが優先のようだった。すぐさま彼の前に屈み、両腕を掴んで強い調子で言った。


「どうして一人で出掛けたりした。どれだけ心配したと思ってるんだっ!」


 あのカイが烈火のごとく怒っている。僕は圧倒されて、声も掛けられなかった。ナイジェルは途端にその瞳を涙で一杯にし、顔を歪めて大泣きした。


「うぅ、ごめんなさい、お父様」


 お父様……ということは、ナイジェルはカイの息子なのか。二人を交互に見ると、確かに顔立ちは良く似ていた。


「やっていいことと悪いことがあるだろう、ナイジェル。命に関わる危険なことは――」


 えぐえぐとしゃくり上げるナイジェルをカイは更に叱り付けようとする。見ているのが不憫ふびんで、僕は思わず口を挟んでしまった。


「カイ副隊長、あの。ナイジェルはちゃんと理由があって街に来たんです」


「理由?」


 叱る勢いのまま僕に顔を向けられて、一瞬怯んだ。が、伝えないわけにはいかなかった。


「あなたへの誕生日プレゼントを買いに。家族が大変でお祝いどころではないから、プレゼントだけでも、って」


「誕生日……」


 カイは呟き、すぐに視線を和らげてナイジェルを見た。


「そうなのか?」


 ナイジェルは頷いたが、きゅっと唇を結んだまま言葉を発しなかった。叱られてふて腐れたらしい。

 カイは小さく息を吐き、真剣な目でナイジェルに言った。


「気持ちは嬉しいが、駄目なものは駄目だ。こんなことをして事故に遭ったらどうする。それに人混みは危ないと教えただろう。どんな悪い奴が狙っているか分からない。お前みたいに小さな子は絶対に一人で出掛けちゃいけないんだ。分かるな?」


「……はい」


 ナイジェルは素直に返事をした。自分がいかに危険なことをしたかは、先程のカイの叱責で十分理解したのだろう。

 カイはようやく表情を和らげ、ナイジェルを抱き寄せた。


「とにかく無事で良かった。お前が元気でいてくれれば、それが一番嬉しいんだよ」


 僕まで胸がじんとするような台詞だ。ナイジェルはまたぐすぐすと泣き始めたが、しばらくして落ち着いた。カイは体を離し、立ち上がって僕を見た。


「ありがとう、ベス。息子を見付けてくれて。休日なのに巻き込んで悪かったな」


「いえ、偶然ですから。……良かったね、ナイジェル。もうお家の人を心配させちゃ駄目だよ」


 そう声を掛けると、ナイジェルはさっとカイの後ろに隠れ、もじもじしながら頷いてみせた。元々は人見知りなのかもしれない。


「ちゃんとお礼を言いなさい。助けて貰ったんだから」


 カイに促されて、ナイジェルは彼の後ろから出てきた。


「ありがとうございました」


 そう言って控え目な笑みを見せる。それがなんとも可愛くて、僕も自然と笑顔になった。弟たちがいるせいか子供の純粋な笑顔には弱い。


「……ベス、良かったら家に来るか? ちゃんとお礼もしたいし」


 カイからの突然の提案に、僕は戸惑った。正直に言えば彼の家がどんなものかは気になる。ナイジェルの仕立ての良い服や『お父様』という呼び方から考えると、そこそこ立派な家なのは間違いないからだ。


「そんな、わざわざお邪魔するなんて。僕はほとんど何もしてませんし」


「真面目だな。俺の個人的な頼みなんだから、構えなくていいよ。君とはゆっくり話したいと思っていたところなんだ」


 カイはそう言って笑う。僕もいくつか、彼に聞いてみたいことはあった。……ラシャを監視しているというのは事実なのか、とか。


「カイ副隊長がそうおっしゃるなら……」


「よし、決まりだな。上から行こう」


 屋根の上を走って向かうということだ。彼のいたずらっぽい笑みに、僕は少し嫌な予感がした。



 その大きな屋敷に到着した頃には、僕は予想通り汗だくになっていた。カイはナイジェルを抱えたまま僕を置いていく勢いで進み、着いていくので精一杯だったのだ。


「お疲れ様。やっぱり根性があるな」


 カイはそう言って僕の肩を叩く。汗でじっとり湿った服が一瞬で乾いていた。


「そんなことは……。すごいお屋敷ですね」


 僕は改めて目の前の屋敷を見上げた。基本は二階建てで一部が三階まであるが、大きすぎて一体何部屋あるのか想像も付かない。恐らく使用人がたくさんいる家だと思っていると、玄関口からモーニングコート姿の青年が飛び出してきた。執事だろうか。人形のように整った顔で、第二隊にでもいそうな美青年だった。


「カイ! ああ、良かった、ナイジェルも。見付かったんだね」


 二人の姿を確認した彼は安堵の息を吐いた。


「心配掛けてすまなかったな、セオ。一人で街に出ていたそうだ、まったく」


 カイが呆れたように言うと、セオはふふっと笑った。


「お屋敷の中を探しても見付からないわけだ。でもそんなに心配してなかったよ。カイが探しに行ったならすぐに見付かるって、みんな言ってたし」


 どうやらこの家の中ではカイへの信頼が厚いらしい。セオとの関係性も気になるところだ。一般的に執事は主人に対して丁寧な言葉を使うものだが、セオはまるで友達のように話している。


「そちらは?」


 セオの目が僕に向いた。


「俺より先にナイジェルを見付けてくれた魔術学院の生徒。ベス・ガレットだ。客間に案内してくれるか? ちょうどティータイムだし、焼き菓子もあるはずだから。俺はナイジェルと、心配を掛けたみんなに謝ってくるよ。ほら、行くぞ」


 僕がおもてなしを辞退する暇さえ与えず、カイはナイジェルを連れて屋敷に入ってしまった。残された僕に、セオは微笑んで言った。


「カイのお客様なら、丁重におもてなししなければなりませんね。どうぞ」


 彼は扉を開けて中へ案内してくれた。僕はおずおずと玄関を入り、そこでパーティーでも出来そうな大広間に目を見張った。思った通り、使用人が何人もそこを行き交っている。


「立派なお屋敷ですね。ここ、カイ副隊長の生家ですか……?」


 思わず尋ねると、セオは僕を連れて廊下を歩きながら答えてくれた。


「ここはデマン商会の会長、ジェイコブ・デマン様のお屋敷です。そしてカイの奥様はジェイコブ様の娘、フローシュお嬢様なんですよ」


「デマン商会……!」


 僕は驚いてしまった。キペルでは知る人ぞ知る大企業だし、父の工場も確か取引があったはずだ。

 そのとき、また別の執事が向こうから廊下を歩いてきた。白髪混じりの壮年の男性で、その佇まいだけで熟練した執事だというのが分かる。彼は僕に穏やかな笑みを見せ、丁寧にお辞儀をした。


「ミスター・レンダー。こちら、カイのお客様で、街でナイジェルを見付けて下さったベス・ガレット様です。客間にご案内するようにと」


 セオはその執事、レンダーに僕を紹介した。様付けで呼ばれるとどうにも落ち着かなくなる。思えばお客様扱いをされるのなんて生まれて初めてだ。


「そうでしたか。ナイジェルの命の恩人というわけですね」


 レンダーは微笑みながら言った。


「そんな大袈裟な……。迷子で泣いているところを見付けただけなんです。すぐにカイ副隊長が来ましたし」


「ご謙遜なさらずに。デマン商会の会長の孫ともなれば、身代金目的で誘拐される可能性もございますから。最初に見付けて下さったのがあなたで本当に良かった」


 レンダーは真剣にそう話した。確かにこのくらい資産がある家の子供ならば、金銭目的の犯罪者に狙われていてもおかしくはない。カイが最初にあれだけナイジェルを叱った理由も、今になって分かった気がした。

 僕はふと、不思議に思った。レンダーはまだ僕について名前くらいしか聞いていないはずだ。素性も知らないのに、なぜこんなに信用してくれているのだろう。


「……あの、どうして突然来た僕をそんなに信用して下さるんですか?」


 思わず尋ねてみると、彼はセオと顔を見合わせてからふふっと笑いを溢し、こう言ったのだった。


「カイのお客様というだけで、私共には分かるのですよ」

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