29、迷子
日曜日の朝。今日は授業も予定もないので、僕は私服姿でぼんやりと朝食を摂っていた。制服を着ていないと気が抜けるのは僕だけではないらしく、食堂には寝癖頭で食事をしている生徒が何人かいた。
窓の外は穏やかな晴れ模様で、吹き込んでくる初夏の風が心地よい。それなのに、僕の気分は鬱々としていた。
今まで気にしないようにして生きてきた、自分は何者なのかという疑問。底無しに優しい家族にそんなことを聞けるわけもないし、自分だけ他所の子供というのは、そもそもが僕の妄想の可能性だってある。
いや、妄想じゃないと心の中で否定して、僕はスプーンに逆さに映った自分の顔を眺める。疎らな睫毛の奥にあるのは、灰色がかった青い目だ。父も母も目は茶色、きょうだい達も皆それに近い色をしている。
――ベスの目ってきれいだね。でもなんで、みんなと違う色なの?
僕が8歳くらいだったろうか、弟が無邪気に質問してきたときのことをよく覚えている。その場にいた母は目に見えて動揺し、震えた声で「ベスはお祖父ちゃんに似たのよ」と言った。弟はそれで納得していたが、僕はそれ以降、自分と他の家族との違いを意識するようになった。
とはいえ、僕が他の家族と明らかに違うのは目の色と魔力があることくらいだった。顔は個性の範疇だし、運動や勉強の出来だってきょうだいそれぞれだ。
違いを感じたのは、両親からの扱いだった。悪い意味ではない。二人は僕に優しかった。厳しく叱るときに他のきょうだいには必ず言っていた「気に入らないなら家を出ていきなさい」という言葉を、僕にだけは絶対に言わなかった。
両親が、あるいは兄姉たちがどことなく僕に気を遣っているのを、僕は物心付いたときから感じていた。弟たちが生まれて兄姉の彼らへの接し方を見る度に、僕への接し方とは何か違うなと思っていた。
全て気のせいだと思いたい。何か証拠があるわけではないのだから。あの両親から生まれていたのだとしたら、何年もこんな考えに囚われている僕は心の病気に違いない。一度トワリス病院で診てもらった方がいいだろうか。だがその前に、家族に聞かなければならない。僕は本当にこの家の子供なの? と。
考えすぎてすっかり食欲が失せ、僕はスプーンを置いた。朝食は半分も食べていなかった。
「どうしたの、ベス。また胃が痛む?」
朝食のトレーを手に隣の席に座ってきたのは、制服姿のジジだった。彼女には以前にも胃炎を治してもらったことがある。
「あ、おはよう……。胃は大丈夫だよ。なんで休日なのに制服着てるの?」
「あー、医療科はこれから授業なんだ。本当は金曜日にあるはずだったんだけど、外部の教官の都合で延期になっちゃって」
「そうなんだ。大変だね……」
とは言ってみたが、ジジはなんだか嬉しそうにしている。
「全然。外部の教官って自警団のルカ医長でね、厳しいけど優しいから好きなんだー」
「ルカ医長なら僕も知ってるよ。前に胃炎になったとき、治してもらった」
確かに優しい人だったから、ジジが好意を持つのも分かる。どういった種類の好意かは別にして。
「えー! いいなぁ、私もルカ医長の治療受けたい」
彼女がはしゃいでいると、同じく制服姿のリローがやって来た。
「おはよう。朝から何騒いでるんだよ」
「おはよー。リローには秘密の話」
ジジが笑って、朝食を掻き込む。一瞬リローの表情が不機嫌になった気がしたが、彼女は気付いていないらしい。
「……火曜日にキースが帰ってくるだろ?」
リローはそう言いながらジジの隣に座り、僕に顔を向けた。
「うん」
「その時にちょっと、あいつを驚かせようと思っててさ。ベスに協力してもらいたくて」
「いいけど、何するの?」
リローは少し声を落とし、その計画について僕に説明した。なるほど、キースはきっと驚くはずだ。もしかしたら泣くかもしれない。
「……分かった。それじゃ、間違いなく正面玄関から入るようにするよ」
「頼むな。あいつの性格上、裏口から入ろうとするに決まってるから。監察科のみんなにも話はしてあるんだ。ばっちり協力してくれるって」
リローが親指を上げてにっと笑った。みんなが自分をどう見るのかが怖いと言っていたキースも、これならきっと大丈夫だろう。
「わくわくしてこない? キース、どんな顔するかなぁ。じゃ、私授業の準備しなくちゃだから、行くね!」
ジジはぱっと立ち上がり、楽しそうに去っていった。リローの目がちらりと彼女の背を追っていた。
「……で、ジジと何の話してたんだ?」
リローがすかさず僕に聞いた。
「今日の授業のこと。ルカ医長が来るんでしょ?」
「ああ、うん。ジジのやつ、毎回張り切ってるからな」
面白くなさそうな言い方だ。
「あのさ、リロー」
「ん?」
「前から思ってたんだけど、リローってジジのこと――」
「それ以上言うな。怒るぞ」
リローは眉間に皺を寄せた。図星だったらしい。
「分かりやすいね」
思わずくすりと笑うと、リローはますます不機嫌になり、朝食を掻き込んですぐに行ってしまった。
キースへのサプライズの計画を聞いて、沈んでいた心がいつの間にか軽くなっていた。目の前に嬉しいことや楽しいことがあるのだから、一旦家族のあれこれを考えるのはやめよう。悩むのは後でも出来る。
僕は冷めてしまった朝食を平らげて、立ち上がった。
午前中は勉強に費やし、午後になって街へ出た。日曜日ということもあって店の並ぶ通りは賑やかだ。人混みに紛れながら僕が細い路地の入口を通り過ぎたとき、そこから微かに子供の泣く声が聞こえたような気がした。
もしかして迷子かなと思い、後戻りしてその路地に入った。案の定、建物の陰に5歳くらいの男の子がうずくまっている。しきりに涙を拭いながらぐすぐすと泣いていた。
「どうしたの? 迷子になっちゃった?」
側に寄って屈み、声を掛けてみる。男の子は顔を上げ、唇をすぼめて僕を見た。本人にとっては緊急事態なのだろうが、弟が泣くときの顔に似ていてつい笑ってしまった。
「なんで笑うのっ」
男の子は泣きながらも、少し怒ったようだった。案外気の強い子なのかもしれない。
「ごめんごめん。僕の弟に似てるなぁって思って。それで、どうしてこんなところで泣いてたの?」
僕は改めて男の子を観察した。身形は小綺麗だし、スラム街の子というわけでもなさそうだ。かなり仕立ての良い服を着ている。栗色のふわふわした癖毛の下に、意思の強そうな目が覗いていた。
「お家、わかんなくなった」
男の子はそう言って目を潤ませた。やはり迷子らしい。この人混みで親とはぐれたのだろうか。
「そうなんだ。お名前は? 歳はいくつ?」
なんか魔導師っぽいことをしているなと思いながら尋ねた。男の子は鼻をすすりながら答える。
「ナイジェル。5歳、です」
冷静さを取り戻したのか、丁寧な言葉遣いになった。しっかりした子だ。
「ナイジェル、今日は誰と街に来たの?」
「一人で来ました」
「え、一人? 家はこの近く?」
僕が驚いて尋ねると、彼は首を横に振った。
「遠い。いつも馬車で来てます」
「えっと……今日も馬車で?」
「お家に来てた人の馬車。荷物と一緒に隠れてた」
つまりこの子は、こっそり馬車の荷台に忍んでここまで来たわけだ。子供はよく突拍子もないことをするというが、彼の行動力には驚かされた。
「どうしてそんなこと……」
思わず呟くと、ナイジェルはまた目に涙を溜めながらこう話した。
「お父様の誕生日なんだもん。ずっとお母様の具合が悪くて、みんなそればっかりで、忘れてるんだもん。ケーキもご馳走もなかったの。僕、プレゼントだけでもあげたかったんだ」
なるほど、と思った。彼の家は今、父親の誕生日を祝うどころではないらしい。それでも彼はお祝いしてあげたかったのだ。その優しさに、僕は胸がじんとした。
「そっか。それを探しに街に来たんだね? だけど、お家の人は君がいなくなって物凄く心配していると思うよ。ほら、立てる? 家に帰れるように手伝うから」
恐らく立派な家柄の子だし、街を巡回している魔導師に聞けば家は分かるはずだ。
その時、路地に青白く発光する燕が入り込んで来た。追跡の魔術だ。燕はまっすぐにナイジェルの側に来て、その肩に止まる。きっと家族の誰かが魔導師に捜索を依頼したのだろう。
「ナイジェル!」
頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。




