28、評価
様々なことに悶々として過ごしながら、土曜日になった。午前中の授業を終え、僕は教務室に向かっていた。これからチェス教官と進路についての面談があるのだ。
「失礼します……」
教務室に入ってすぐ、グルー教官と話す自警団の隊員の姿が目に入った。思い切り目が合ってしまったので、慌てて敬礼する。三十代くらいのすらりと背の高い男性で、ブロンドの髪の下に覗く榛色の目が綺麗だった。その整った顔立ちから第二隊員かと思ったが、彼の襟には隊長の襟章がある。第二隊長はエスカだから、彼は別の隊ということだ。
「初めまして。グルー教官に用があるのかな?」
彼は意外にも、僕に人懐っこい笑みを見せた。
「いえ、チェス教官に……」
そう言うと、彼は僕の襟元を見た。そこには学年を示す襟章が付いている。
「そっか。チェス教官の教え子なんだね」
「彼がベスですよ、ルース隊長。カイが担当した事件の」
グルー教官が口を挟んだ。彼の口振りからすると、どうやらこのルース隊長とやらもカイの知り合いらしい。
「ああ、君が。色々と大変だったね。だいぶ活躍したって聞いているよ。僕は第九隊長のルース・ヘルマー、よろしく」
淀みなく言ってルースは微笑んだ。第九隊というとガベリア支部だ。彼の名をどこかで聞いたような気がするが、どこだっただろうか。
「ベネディクト・テディ・ヘイデン・ガレットです。よろしくお願いします」
緊張しながら答えると、グルー教官が笑った。
「面接試験じゃないんだから。硬すぎるぞ」
「君まで私の生徒にちょっかいを掛けるんですか、ルース」
いつの間にか側にチェス教官が立っていた。口調は穏やかだ。呼び捨てにするということは、彼女もまたルースと親しいのだろう。
「興味はありますね。根性があると、あのカイが言うくらいですから」
「なるほど。とはいえ、今の時期は学業に専念させてほしいものです。もうすぐ卒業前の第一試験ですから」
それを聞いて、僕の胃がぎゅっと縮まった。この学院を卒業するためには第一から第三までの試験を通過しなくてはならない。第二までは筆記、第三は剣術や魔術の実技試験だ。
「懐かしい響きですね。僕も徹夜で勉強したなぁ」
ルースが楽しそうに言った。
「剣術の実技試験、試験官を募集しているんですが。どうですか、ルース」
「チェス教官はやらないんですか?」
「私がやると誰も卒業出来なくなりますから。それに、試験官は外部の魔導師と決まっています」
剣術の試験は、試験官の両手足に結んだリボンのどれか一つでも切れれば合格だ。だが元近衛団長かつ手加減はしない主義のチェス教官に、勝てる生徒などいるはずもない。
「去年はエーゼルに頼みましたよね。疲れるからもうやりたくないって言ってましたけど」
グルー教官が言う。
「たった一日でそんなに? 学生を15人くらい相手するだけなのに」
ルースが怪訝な顔をすると、グルー教官が答えた。
「評価しなくちゃいけないから、ってことらしいです。その生徒が魔導師になれるか否か、自分が付けた成績で決まるわけですからね。明確な基準があるとはいえ、心苦しいって」
「そうでしょうね。しかし、基準に満たない生徒を自警団に入れるわけにはいかない。監察部は特に、下手をすれば現場で死にますから。……そろそろいいでしょうか。ベスの面談をしないと。さあ」
そう言うとチェス教官は僕を連れ、廊下に出た。僕は背筋がひやりとしていた。下手をすれば現場で死ぬ――僕が目指す世界はそういうものなのだと、その一言で再確認させられたのだ。
面談室で向かい合わせに座ると、チェス教官は手元の書類に目を通す。僕が書いた進路希望の紙だ。
「卒業後の任地は特に希望なしとありますが、それで構わないんですか?」
彼女が視線を上げて尋ねる。キペル本部か、スタミシアかガベリア支部か。大抵の人は自分の出身地を希望するか、上を目指して本部を希望するかだ。やはり凶悪犯罪などはキペルの方が発生件数が多く、経験を積む上で他の支部とは差が出てくる。
「今まではそうだったんですけど」
僕は教官の目を見返した。
「やっぱり、キペル本部を希望します」
「理由はなんですか」
「本部がいいというより、僕は……」
大それたことを言おうとしているのは自分でも分かっている。しかしこの短期間で経験したこと、出会った人々が、僕に信念を与えていた。
自分や誰かの大切なものをこの手で守る。最前線でそれが出来るのはそこしかないと思ったのだ。僕は深呼吸し、真っ直ぐに見つめてくるチェス教官に言った。
「第一隊に入りたいんです。今の成績で、無謀だって分かってはいるんですけど」
「そうですね。少なくとも監察科で首席にならなければ、新卒で第一隊は無理です」
チェス教官の答えは素っ気ないものだったが、彼女はふと表情を和らげ、こう付け加えた。
「今からでも遅くはないかもしれません。卒業まであと半年、君の根性に賭けてみるのも一つですよ。剣術の腕はそこまで悪くありませんし……来週キースが帰ってきたら、勉強も捗るでしょう」
「えっ。キースの復学、決まったんですか!?」
僕の心は一気に浮き立った。面会の後から何も情報がなかったから、もしかして戻ってこないかも、と思い始めていたところだった。
「ええ。本人の希望ですからね。来週の火曜から復学です」
チェス教官が微笑み、僕は思わず目頭が熱くなった。キースは仲間にどう見られるのかが怖いと話していたから、復学は相当勇気のいる決断だったと思う。それでも戻って来てくれるのだ。
「良かった……」
全身の力が抜けるくらいに安堵した。一緒に卒業するという夢が叶うなら、監察科の首席という高い壁も越えられそうな気がする。
「君はこの短期間でずいぶん成長したように見えますよ、ベス。今後も期待しています」
チェス教官は優しくそう言った後、僕の現在の成績表を取り出して机の上に置き、真顔に戻った。
「第一隊を目指すというなら私もそのつもりで指導します。いいですか。君の成績は凡庸中の凡庸、本来なら本部にすら入れないような状況です。少なくともこの教科は満点を取り――」
チェス教官は成績表にびしばしと赤ペンで注を入れていく。空欄が無くなるほどに書き込まれてしまい、僕はさっきとは別の意味で泣きそうになったのだった。
真っ赤になった成績表を制服のポケットに押し込み、僕は落ち込んだ気分で街に出た。これから勉強に本腰を入れるならノートもペンのインクも足りなくなるはずだから、文具店に買いに来たのだ。
通り過ぎた書店の店先にいくつかの雑誌が並んでいた。その一冊に書かれた見出しの文字がなぜか気になり、僕はその場に後戻りした。
――酸鼻を極めた『グレーン乳児院放火事件』、その後を追う。
乳児院への放火、その字面だけで十分に凄惨だ。詳細を知りたかったが、立ち読みは店主に睨まれてしまう。いつも買っている『枯れ草』はまだ新刊が出ていないし、どうせだからと僕はその雑誌を購入し、後で読もうと鞄に入れた。勉強の息抜きになるかもしれない。
それから文具店に寄り、寮に戻った。玄関を入るなりリローと他の医療科の生徒が走ってきて、僕を取り囲んだ。
「ベス! 聞いたか? 火曜日にクライドが戻ってくるって!」
リローが興奮した様子で言った。他の生徒も同様だ。キースの復学を巡って学院長に詰め寄っていたくらいの彼らだから、相当嬉しいのだろう。
「うん、知ってる。さっきチェス教官から聞いたんだ。……あのね、リロー。クライドの本当の名前は」
「キース・アルバだろ? 教官から全部聞いた。それで確認したかったんだよ。名前の綴り、これで合ってるか?」
リローはメモ紙に走り書きしたキースの名前を僕に見せた。
「えーと、ここはIじゃなくてEかな。他は合ってる。でも、どうして?」
「まあまあ。火曜日、楽しみにしてな」
リローはにやりと笑い、仲間と走り去っていった。




