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26、責任の所在

 突然のラシャの告白に僕は何と言葉を返すべきか分からなかった。彼はトワリス病院の患者、つまり、治療が必要な程の心の病にかかっているということだ。無神経な一言が彼の病状を悪化させるかもしれないと思うと、発言するのが急に怖くなった。

 黙ったままでいると、ラシャはくすりと笑いを漏らして言った。


「そんなに構えなくていいよ。急に人格が変わって襲い掛かったりはしないから」


「いえ、そんなことを思ったりは――」


「冗談。本当にベスは真面目だね。……行こう、あんまり遅くなるとチェス教官が心配する」


 ラシャはくるりと背を向けて歩き出した。てっきりこれ以上の会話はしたくないのかと思ったが、病院を出て夕闇の路地を歩きながら、彼は再び口を開いた。


「僕がトワリス病院に通っていることは、同じ隊の人ならだいたい知ってる。理由はただの不眠症ってことにしてあるけど。実は魔導師に不眠症って多いんだよ。昼夜を問わず任務があって、生活が不規則だから」


「……ラシャさんは、不眠症ではないんですか?」


 聞いていいものか一瞬迷ったが、きっとラシャは話したいのだと思った。彼の言葉の一つ一つから、トワリス病院でネリーが自分の境遇を僕に話したときのような切実さを感じる。

 ラシャは前を向いたまま、頷いた。


「残念ながらね。子供の頃の出来事が原因で、突然、息も出来ないくらいに苦しくなることがあって。元々は別の病院に通っていたけど、魔導師になってから更に悪化して、トワリス病院を紹介された。本当のことを知っているのは隊長とカイ副隊長だけなんだ」


「今日もその症状が出たんですか?」


 だから赤い目をしていたのかもしれない。だが、ラシャは首を横に振った。


「いや。具合が悪そうに見えたのは、治療を受けてたから。この間君をトワリス病院に連れてきたときも、実は治療を受けてたんだ。仕事を済ませておくなんて言ったけど」


 確かに以前トワリス病院へ来たときも、ラシャは席を外していた。そういうことだったのか。


「あの病院の医務官はみんな優秀だよ。おかげでもう何年も発作は出ていない。その分、治療は結構きついかな」


「どんな治療なんですか?」


 キースにも聞いてみたかったのだが、遠慮してしまった質問だった。魔術による精神の治療というものは、全く想像が付かない。

 ラシャは嫌な顔もせずに答えてくれた。


「嫌な記憶に慣れさせる、って言えばいいのかな。感情を魔術で鎮静化した状態で、最も辛い記憶を追体験させる。それを繰り返すと、その記憶が徐々に他人事みたいに思えてくるんだ。そうすると、思い出しても何も感じなくなる。年単位で時間が掛かる治療。僕は魔術が効きにくい体質だから、余計に時間が掛かってる」


 辛い記憶の追体験。聞いただけで胃が千切れるようだった。キースのように治療の度にぐったりするのも頷ける。そして気になるのは、やはりラシャの過去に何があったのかということだった。

 彼は一度深呼吸し、続けた。


「僕にはポーラっていう妹がいてね。15年も前に、馬車の事故で死んでしまったけど。僕は10歳で、ポーラはまだ5歳だった。僕のせいで……」


 ラシャは言葉を切り、しばし無言で歩き続けた。僕らの横を明かりを灯し始めたスタミシアの街並みが流れていく。僕は何も言えず、家路を急ぐ人混みの中、ただただ彼の隣を歩いた。

 やがて人混みが途切れ、静かな路地に入ったところでラシャが口を開いた。


「僕はスタミシア出身なんだけど、その日は家族みんなでキペルに来ていたんだ。ポーラの誕生日で、ずっと欲しがっていた人形を買ってあげるために。僕が手を繋いで歩いていた。道路の向こうに人形店が見えて、ポーラは嬉しくなって突然走り出した。そのときに、僕は手を離してしまった」


 そのときのラシャの恐怖感は僕にも分かる。弟が急に道路に向かって走り出して、思わず繋いでいた手が離れてしまったことがある。弟は結局無事だったが、ラシャの場合は……。


「道路には馬車がいた。ゆっくり走っていたのに、急に馬が暴走して……、あっという間にポーラをいたんだ。僕の目の前で血溜まりが広がって、何が起きたのか分からなかった」


 凄惨な話なのに、こうも淡々と話せるのは治療のおかげなのだろうか。僕は血の気が引いたような感覚になりながら、言葉の続きを待った。


「あの日から全て変わったんだ。両親は僕が手を離したせいだと責め続けたし、僕自身もそう思っていた。完全に関係が壊れてしまって、それからは会話らしい会話もなかったかな。しばらくして僕は祖父母の家に預けられた。両親は悲しみのやり場がなかったんだね。お互いのために、顔を合わせないようにするのが一番良かったんだと思う。幸いにも祖父母は僕に優しくしてくれて、魔導師になりたいって言ったときも応援してくれた」


「……ラシャさんは、どうして魔導師になろうと?」


 傷をえぐってしまいそうな気がして両親の件には触れられず、僕はそう尋ねた。


「事故が起きた後に、親身になってくれたのが自警団の魔導師だったから、かな。今は彼、獄所台の魔導師になっているから関わることは出来ないんだけど。きちんと記録を残していってくれた」


「記録、ですか?」


「そう。あの事故の記録。4年前、第一隊の配属になったときに……見たんだ。真実を」


 ラシャの顔が険しくなった。初めて見るような、憎悪に満ちた顔だ。


「あの事故が起きたのは、誰かが魔術で馬を暴れさせたからだった。その誰かっていうのが、当時の近衛団長の息子ファルン・ガイルス。君は知ってるかな……、ガベリアが甦る前まで、近衛団長を継ぐ一族には特権があったってこと」


 僕は記憶を辿ってみる。確か、学院の授業で習ったはずだ。ガベリアが甦った10年前までリスカスには巫女がいて、その巫女が魔力の秩序を保っていた。そして巫女に何かあったとき、自らの命と引き換えに巫女を救えるのが近衛団長を継ぐ一族、ガイルスとレクール、ユーブレアだ。彼らは特別な血を引いているが故に、特権も与えられていた。王族と同等の地位――現代の僕らには信じられないような扱いだった。


「知っています。王族と同等に扱われたって……」


「そう。つまり、罪を犯しても裁かれることがない。自警団にも近衛団にもその権限がなかった」


 ぎりぎりと歯噛みしているかのように、ラシャはその声に悔しさを滲ませた。


「ファルン・ガイルスはあの日、馬車に乗っていた人物を脅すために、馬に魔術を掛けて暴れさせた。自警団はそこまでは辿り着いていたんだ。でもファルン本人に話を聴くことすら出来なかった。特権があったからね。記録には、正直にそのことが記されていたよ。偶発的に起きた不幸な事故として処理する他ない、って」


「そんな……」


 絶句した僕の顔をちらりと見て、ラシャは悲しげにこう言った。


「まあ、確かに偶発的だよね。僕が妹の手を離しさえしなければ起きなかった事故かもしれない。結局僕は、ファルン・ガイルスに責任を負わせて自分が楽になりたいだけなんだ」


 彼は何度か頭を振って、ふうと息を吐く。それから僕を見て尋ねた。


「10年前にファルン・ガイルスが獄所台に送られたってこと、知ってる?」


「えーと、はい。当時の号外に載ってましたよね」


 近衛団長セレスタ・ガイルスの大罪に比べると霞んで見えるが、彼の罪も相当なものだった。未成年者への淫行。実業家として働いていた頃の、取引先への魔術での脅迫。元婚約者に対する暴力。特権を傘にやりたい放題だったらしい。ラシャは不幸にもその一部に巻き込まれてしまったのだ。


「刑期は5年だった。彼を獄所台へ送ったのは第一隊だから、出所に関する記録も残っていたんだ。つまり、彼は既にリスカスのどこかで生活しているということ。住所は……知っているんだけどね。見たから」


 ラシャは無表情にそう言った。職業柄、憎い相手の所在を知っている……。復讐しようと思えばいつでも出来るわけだ。彼がそんなことをするとは思いたくなかったが、その顔を見るとあり得なくはなさそうで、ひやりとした。

 ラシャは不意に立ち止まり、目を閉じて深呼吸した。それで気持ちを切り替えたのか、次に僕を見たときはいつも通りの彼に戻っていた。


「こんな話をしてごめんね。なんだか口が軽くなっちゃって。全部忘れてくれていいよ」


「はい……」


 僕のぱっとしない返事に何かを感じ取ったのか、ラシャはこう付け加えた。


「心配しないで。復讐なんてしない、というか出来ない。僕は常にカイ副隊長に監視されてるから」

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