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25、患者

 トワリス病院に足を運ぶのはこれで二度目になる。クライドの聴取からちょうど一週間経った今日、僕はラシャに連れられてクライド、もといキースの病室に向かっていた。

 廊下の窓から射し込んでくる西陽が眩しい。こんな夕方の面会になったのは、今日が平日だからだ。今朝がたチェス教官からキースの面会許可の話を聞いて、本当は授業をさぼってでも会いに来たかった。しかし、チェス教官の「退学にしますよ」の一言で思い留まった。キースが復学したときに僕がいないのでは意味がない。やむ無く僕は放課後まで待った。


「緊張する? それとも、楽しみ?」


 先を歩いていたラシャが振り返って、僕に尋ねた。


「楽しみの方が大きいです。やっと会えるので」


 僕はそう答えた。この一週間でキースは確実に回復していると聞いていたからだ。もしかしたら、今までより格段に愛想が良くなっているかもしれない。


「そっか。きっとキースも同じだよ」


 ラシャは優しく笑った。僕はふと、以前の彼の発言を思い出す。


 ――自分の人生を壊した人間には、苦しみ抜いた上で惨めに死んで貰いたいもんね。


 普段からその憎しみが根底にあるのだとしたら、この優しい微笑みも実は作り物だったりするのだろうか。

 そんなことを考えている内に、病室の前に着いた。白いドアに覗き窓は無く、キースが中でどんな顔をしているのかは開けてみないと分からない。


「事前に伝えてはあるから、どうぞ。ベスが面会している間、僕は他の仕事を済ませておくよ」


 そう言うと、ラシャはすたすたと行ってしまった。僕は緊張と期待が混ざった気分で静かにドアをノックし、声を掛けた。


「あの……、僕だよ。ベス・ガレット。開けてもいい?」


「どうぞ」


 聞き慣れた声が返ってくる。心なしか弱々しく聞こえるのは気のせいだろうか。

 思い切って中に入ると、部屋の窓にはカーテンが引かれ、ランプの薄明かりが室内を柔らかく照らしていた。思わず眠くなるような雰囲気だ。

 キースは病衣姿でベッドに腰掛けていた。さっきの声にたがわず、なんだか眠そうだ。


「ごめん、こんな格好で。さっき治療が終わったところなんだ」


 キースはあくびを噛み殺して苦笑した。


「治療の反動でものすごく疲れる。たぶん一日の半分以上は寝ていると思うよ」


「なんか、すごく患者っぽい。安心した」


 僕はほっとしてベッド脇の椅子に腰掛けた。いい意味で、もうクライドっぽくないからだ。以前の彼なら絶対に、きっちりと身なりを整えて僕を待ち構えているはずだった。

 しかし今目の前にいるのは、髪が少し乱れて照れたような顔をした少年だ。


「……来てくれてありがとう、ベス」


 キースは目を伏せた。


「どんな顔をして会えばいいかずっと考えてた。君はたぶん、今までと変わらず接してくれるって分かってはいたんだけど」


「偽ってない顔なら何でもいい。ポーカーフェイスはもう見飽きちゃったよ」


 僕が笑うと、キースの目が微かに涙で光ったような気がした。


「ねえ、これからはキースって呼ばせてもらっていい?」


「……うん。そうしてくれると嬉しい」


 彼は目元を拭って微笑んだ。それから深呼吸し、こう話し出した。


「入院してみて分かったんだ。俺は相当、病んでいたんだなって。嬉しいとか楽しいとか、そういう感情がかなり麻痺していたんだと思う」


「今は、分かる?」


「見ての通り。顔が勝手に……」


 キースは困ったような笑顔を見せる。以前と比べれば信じられないくらい、彼は簡単に笑うらしい。元々明るい性質の人なのかもしれない。今回の事件のお詫びにもっと愛想良くしてもらおうなんて僕は考えていたが、わざわざ言うまでもないようだ。


「ふふ。あ、ねえ、キース。君が学院に戻ってきたら――」


 その話を切り出した途端、彼の表情が曇った。


「……キース?」


「ごめん、ベス。俺は戻れないよ」


「えっ。だって、辛うじて退学は免れたのに」


 そこまで言って、僕は思い出した。彼が医務官を目指していたのは、クライド・リューターならそうしていただろうから、という理由だったのを。キース・アルバ自身は医務官に興味がないのかもしれない。


「……医務官になるつもりはないの?」


「いや、そうじゃないんだ」


 キースは首を横に振った。


「今でも医務官にはなりたいと思っている。でも俺はあれだけのことをして、ベスのことも医療科の仲間のことも裏切った。麻痺していた感情が元に戻ってきて、怖いと思うようになったんだ。本当のことを知ってみんなが俺をどう見るのかって。無垢な労働者だったし、人を殺しかけたし……」


 そう言って膝の上で握った手が、微かに震えていた。本当に怖いのだろう。彼にとっては初めて味わう感覚なのだ。

 しかし、それが杞憂であることを僕は知っている。


「医療科のみんなが君を差別すると思う? 毎日毎日、学院長に詰め寄ってるっていうのに」


「……え? 詰め寄るって」


「君を復学させて欲しいって。言質げんち取れるまで続けるんだってさ。もちろん、君が何をしたか知った上でだよ。それとこれだけは伝えてくれって、リローたちに頼まれた。『一緒に卒業しよう』って」


 彼らに言われた熱量でそのまま伝えたつもりだが、キースには届いただろうか。彼の視線はじっと僕に向けられたまま動かないが、その目が再び潤んでいるのは分かった。


「戻ってきてよ、キース。僕だって君と一緒に卒業したいんだから」


 念押しするように言った。でも、そんなことをしなくても気持ちは伝わっていたはずだ。ゆっくりとまばたきした彼の目から、大粒のしずくがいくつもこぼれ落ちていた。



 日が完全に沈むより少し前に、僕はキースの病室を後にした。感情が崩壊してしまったのか、彼はあの後に過呼吸を起こしたのだ。医務官が走り込んで来て、面会は終了になった。


「大丈夫。回復途中の患者にはよくあることなんだ。むしろ治療の効果が出ている証拠だよ。日常生活に戻れるまでもう一息だ」


 キースを眠らせた後、医務官はそう言って僕を慰めた。嘘ではないと思うが、僕が余計なことをしたのではと少し落ち込んだ。

 とぼとぼと廊下を進み、玄関口でラシャを待った。数分待って、彼が走ってきた。


「ごめん、ベス。待たせちゃって。……浮かない顔だけど、何かあった?」


 ラシャはそう言って、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


「僕がキースの感情をたかぶらせすぎたみたいで、過呼吸を起こしちゃったんです。回復している証拠だって医務官は言ってくれたんですけど、彼に申し訳なくて……」


「そうだったんだ。でもそれって、キースにとって君が特別な人ってことだよ。どうでもいい人相手にそこまで感情は昂らないでしょ? 今日の面会が悪かった、なんてことはないと思う」


 ラシャはいつものように励ましてくれるが、彼の様子で一つ気になることがあった。微かに目が赤いのだ。さっきまで泣いていたと言われれば、そう見えるくらいに。


「……僕、変かな。いつもと違って見える?」


 僕の視線に気付いたラシャがじっと見返してきた。僕は思わず、正直に答えてしまった。


「いえ、あの……。目が赤いので、どうしたのかなって」


「そっか。カイ副隊長に見られる前になんとかしないとなぁ」


 そう言って、ラシャは弱々しく笑った。


「長期休暇を取らされちゃうからね」


「ラシャさん、どこか具合が悪いんですか……?」


 僕が尋ねると、彼は長く息を吐いてからこう言った。


「僕はね、何年も前からこのトワリス病院の患者なんだ」

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