23、罪悪感
僕はカイの言葉に衝撃を受けた。わずか7歳のクライドが、死を装って他人に成り済ます算段をしていたというのだろうか。まさかとは思ったが、彼の賢さを考えると有り得なくはないのかもしれない。
「正確には川に落ちて行方不明、だが。リューター氏からも話は聞いているが、君の口から話してくれるか? そこからどうやってクライド・リューターに成り代わったのか」
カイは責めるような口調ではなく、むしろ優しく、諭すようにそう言った。数秒の沈黙の後、クライドが答えた。
「確かに、良くあるような子供の事故だったんです。帽子が川に落ちて、それを追い掛けて水に入り、流れに足を取られた。どのくらい流されたのか分かりません。気が付くと知らない場所でベッドに寝かされていて、側に父と母が……ビル・リューターさんと妻のサリーさんがいました。ずいぶん憔悴した顔だったのを覚えています。服も、黒い喪服で」
「その日は亡くなったクライド・リューターを墓地に埋葬した日だった。そうだな?」
「はい。埋葬の帰りに、二人は俺が川で溺れているのを見付けて助けてくれたんです。そして彼らと話す内に、クライドのことを知りました。俺と同い年で、二人が彼をどんなに愛していたのか。……優しい両親に恵まれて、死後も愛され続ける子供。俺はクライドが心の底から羨ましかった。思わず涙が溢れたほどです。リューター夫妻はそれを見て、俺が彼のために泣いていると思ったようでした。『君は優しい子だね』と……」
クライドの言葉が途切れ、小さく鼻をすすり上げるような音が聞こえた。本当は違うのに、という彼の本心がそこに滲んでいるようだった。
「彼らは俺の境遇を知って、自分たちの子供、つまりクライドとして生きていかないかと言ってくれました。こんな日に出会ったのも何かの縁だと。俺にとってそれが願ってもないことだったのは、理解してもらえますか?」
カイが頷いたのだろう。クライドは続けた。
「クライド・リューターの死はまだ夫妻以外知らないことだったようです。埋葬も急だったから、墓石に名前すら刻まれていなかった。クライドの顔を知る人間さえいなければ、俺が彼に成り済ますのも容易なことでした。だから、夫妻はすぐにキペルへ引っ越すことを決めました。俺が偽者のクライドだと周囲に知られないために。それからずっと、俺はクライド・リューターとして生活を……。罪悪感は常にありました。俺は過去から逃れるために、彼らの愛情を利用していただけなんです」
「罪悪感、か。それはお互い様みたいだな」
カイが言った。
「え……?」
「ビル氏もサリー氏も、君に申し訳ないことをしたと話していたよ。クライドを失った自分たちの喪失感を埋めるために、君を利用してしまったと。だがもちろんそれだけじゃない。間違いなく君を我が子として愛していると、二人は強く言っていた。こんなことはやめるべきだとずっと悩んでいたが、無垢な労働者だった過去を考えると、元のキース・アルバとして生きていけとは言えなかった。君が偏見や差別で苦しむのが怖かったそうだ」
『無垢な労働者』、とりわけメニ草畑で働かされていた子供に対する偏見や差別は、リスカスで未だに根強い。トワリス病院のベロニカ院長が雑誌で書いていた通りだ。ステイシーも言っていた。『みんなの私を見る目が冷たくて、それでも、逃げる場所なんてないから……』と。
リューター夫妻がキース・アルバの過去を隠そうとしたのも仕方がないことだと思う。我が子同然の彼を、わざわざ地獄に落とすことなんて出来なかったに違いない。
言葉が出ないクライドに、カイはこう続けた。
「彼らの愛情のかけ方が間違っていたとは思わない。このリスカスの現状を考えれば、君の過去は隠し通す方がいい。魔導師としては歯痒いがそれが現実だ。だから、自警団はこのことでリューター夫妻と君を罪に問うつもりはない。身分を偽ったとはいえ、被害者がいないからな」
でも、とクライドが静かに口を開いた。
「学院には嘘を吐いて入学したことになります。それに今回のことで学院にも自警団にも散々迷惑をかけました。挙げ句……人を殺そうとした。俺は獄所台に送られても構わない覚悟です」
獄所台。犯罪者の処遇について一任された、どこからも干渉されない組織だ。リスカスで獄所台といえば、一般的にはガベリアの東特区にある監獄のことを指す。クライドはそこに収監されても構わないと言っているのだ。
「確かに、殺人未遂は君を獄所台に送る立派な理由になる」
カイがそう言ったので、僕は思わず声を上げそうになった。だが、彼はすぐに付け加えた。
「しかし送るかどうか判断するのは俺たち自警団だ。昔と少し仕組みが変わって、未成年に限り、情状酌量に足ると判断した場合は獄所台へ送らなくても良くなった。君の場合は十分それに当てはまる。まあ、あの売人を殺そうとした理由を正直に話してくれた場合に限るが。わざわざベスの父親の工場で殺そうとしたことにも、ちゃんと理由があるんだろう?」
その言葉で鼓動が乱れた。早く聞きたい、でも部屋から逃げ出してしまいたい。父がメニ草の組織と関わっていたと聞くのが恐ろしかった。もしそうだったら、僕の家族はどうなるのだろう。まだ小さい弟たちにとって、父が犯罪者になるというのは残酷なことだ。そして僕自身がどうしていいのか分からなかった。このまま魔術学院にいていいのか――。
そんな考えが瞬時に頭を巡り、椅子から半分腰を浮かせたところで、クライドが言った。
「誤解させたくないので最初に言いますが、ベスの父親は無関係です」
それを聞くと力が抜けて、僕はどさりと椅子に座り込んでしまった。二人の視線がこちらに向いた気がした。
「……いえ、無関係というと語弊があるかもしれません。正しくは被害者です」
クライドが話し出した。
「あの工場にはギジー・ランドという経理担当の男がいます。ステイシーが掴んでいた情報ですが、ランドは俺が殺そうとした売人のビルズ・ローダーと組んでメニ草の組織に金を流していました。もちろんあの工場の金を流用して。そして近々、ベスの父親に罪を擦り付けて逃げるつもりだったようです。それが許せなくて。あそこにローダーの死体を吊るしておけば、ランドへの見せしめになるかと」
「……それはある意味、ベスもショックを受ける話だ」
カイが僕の心を代弁してくれたようだった。クライドの口から『死体を吊るす』なんて言葉が出てきたことも、父が無実の罪を着せられる可能性があったことも、僕にとっては衝撃だった。
「だが、罪を重ねなくて良かったな。何よりも彼のおかげで」
「絶交されても仕方がないと思っています」
クライドは言った。
「ベスみたいに真っ直ぐな人が俺の友達になってくれて、本当に嬉しかった。俺の正体を知ってからも、『僕が知っているクライド・リューターは君だ』と言ってくれました。それだけで十分です。俺はこれ以上、ベスと関わるべきじゃない」
何を勝手なことを言っているのだ。声を出してはいけないとラシャに言われていたのに、思わずそんな言葉が出そうになる。
「人の優しさから逃げるのは、自分にその資格がないと思っているからか?」
カイが言った。クライドが口をつぐんだのは、肯定なのだろうか。
「もっと分かりやすく言おう。君は、誰かから愛されるには条件があると思うのか?」
「……そう思います」
「一体どんな条件なのか、教えてくれないか」
「……」
クライドは答えなかった。いや、答えられなかったのだろうか。僕も考えてみたが、誰かに愛されるための条件など思い付かなかった。性格がいいとか愛嬌があるとか、カイが求めているのはそんな表面上の答えではない。そんな気がした。
「分からないだろう。はっきり言って、俺にも分からない」
カイは平然と言った。
「それでもリューター夫妻やベスは君を大切に思っている。境遇が不幸だから、勉強が出来るから……そんな理由じゃないことは君が一番良く分かっているはずだ。君はもっと自分を大切にしていいんだよ。人から愛されても、生きることを楽しんでもいい」
「でも……」
涙混じりのクライドの声が反論しようとするが、それ以上の言葉は出てこなかった。
「なあ、キース。経験者として言わせてもらうが、自分を罰することが癖になるとこの先の幸せを掴み損ねるぞ。今のうちに矯正しておいた方がいい」
「……経験者?」
僕が気になった言葉をクライドも呟いた。そうだ、とカイが答える。
「自分を罰するという意味でな。それと……俺の母親も、メニ草中毒だったから」




