19、黄色
先陣を切って地下への入口に飛び込んだのは、他の誰でもなくカイだった。指揮官は本来そんな危険な真似はしないはずだが、彼は違うのだろう。隊員たちもそれが当たり前のように次々に後を追っていく。僕とグルー教官は最後だ。
延々と階段が続く通路は狭く、人が一人通るのがやっとだった。隊員が手にしたランプの心許ない明かりで慎重に降りていくと、湿った冷たい空気が体にまとわりついてくるのが分かる。
そしてふと、階段が終わった。視界にはメニ草の黄色い畑が広がっていた。僕の人生で二度目の光景だ。美しいけれど、その内情を知れば知るほど忌々しい光景。
洞窟の高い天井から吊り下がったロウソクウリが、全体をぼんやりと照らしていた。岩壁に蔓を張って自生し、実の部分がオレンジ色に発光する植物だ。授業で習ってはいたが、目にするのは初めてだった。
畑の向こう側は闇に覆われ、人の気配は無く、不気味なほど静まり返っていた。あの向こうに誘拐された子供たち、そしてここで働かされている子供たちがいるのかと思うと、微かに動悸がする。悲惨な光景が広がっていないことを祈るしかない。
「……ベスはとりあえずここまでだ。もしこの奥でクライドを見付けたら教えるから、それまではグルー教官やオリエッタさんと待機していろ」
カイが僕らに向かって小声で言うと、運び屋のオリエッタは特に動揺もせず頷いていた。こういう現場には慣れているのかもしれない。
それからカイは隊員たちに指先で指示を出す。彼らは両側の壁に沿って、闇に紛れた洞窟の奥へと素早く向かっていった。一人、二人と暗闇の中へ姿を消し、やがてカイの姿も消えた。
僕らがそれを見送って一分と経たない頃、暗闇の中から突如として銃声が響いた。一発どころではない。乱射というのが正しいくらいに、その音は間髪入れずに続いていく。
「派手にやってるな……」
グルー教官は呟くと、初めて間近で聞いた銃声に固まる僕の腕を引いて壁際に寄った。
「ぶ、無事なんですか、カイ副隊長たち。あんなに銃声が……」
しどろもどろに尋ねると、彼は余裕の笑みを見せた。
「魔導師が使う魔術だって、ここ最近は進化してるんだ。第一隊なら弾丸を止めるくらいは出来るだろう」
そう言ってすぐ、表情を翳らせる。
「もっと昔にこの魔術が確立されていたら、助かった命もあったんだけどな」
僕には彼の言葉の意味が理解出来た。自警団本部の図書室で、過去のクーデターや悪夢に関する記録を読ませて貰ったからだ。王族を守るため凶弾に倒れた近衛団の魔導師ベイジル・ロートリアン――カイの父親は、あの時点で弾丸を止める魔術があれば死なずに済んだかもしれなかった。
僕が何も言えずにいると、暗闇の中からナシルンが一羽飛んできてグルー教官の肩に止まった。銃声はいつの間にか止んでいた。
「……売人を確保したそうだ。子供たちも保護した。オリエッタさん、すぐに病院へ移送を頼みたいそうです」
カイからの連絡だったらしい。オリエッタが頷くと、教官は「行くぞ」と僕の背を叩いて洞窟の奥へと走り出した。クライドの名前は出てこなかったから、この奥に彼はいなかったのだろう。
暗闇を抜けると、そこに広がっていたのは監獄とでも呼べるような場所だった。中央に少し開けた場所があり、そこから放射状に伸びる三本の通路を壁のロウソクウリが照らしている。そしてそれぞれの通路に、牢がいくつも並んでいるのが見えた。隊員たちが優しくその中に話し掛けているようだが、子供のすすり泣く声が返ってくるだけだ。
彼らが今までどれほど酷い目に遭ってきたのだろうと思うと、胸が締め付けられた。誘拐され、こんな場所で訳も分からず強制的に働かされる。クライドが過去に同じ経験をしたのだと想像すると、余計に。
開けた場所の隅に、捕まったと思われる売人たちが5名ほど転がされていた。全員、捕縛用の銀色のロープで手足と胴を縛られ、ラシャと3名の隊員に囲まれていた。
「ちょっと失礼」
ラシャは一人の売人を足蹴にして仰向けにさせると、屈んでその懐を探った。そこから出てきた鍵束を他の隊員に渡すと、隊員はすぐさま牢へ走っていった。
ラシャは立ち上がると、僕らの方へ体を向けた。どうやら彼も周りの隊員も無傷だ。地面に点々と落ちている小さなものは、さっき放たれた弾丸に違いない。魔術で止めたというのは本当のようだった。
「あぁ、ごめんね、ベス。ここでクライドは見付けられなかったんだ」
申し訳なさそうに言いつつ、彼は売人たちにちらりと視線を遣る。
「売人が一人いないらしい。知らない間に消えていたって話だから、もしかするとクライドと一緒にいたステイシーが別の場所に連れていったのかも」
ステイシーは過去にクライドと同じメニ草畑で働かされていた、運び屋の能力がある少女だ。売人とクライドを連れて移動することも出来るに違いない。
「何のために……ですか?」
僕はその答えを知りつつも、尋ねずにはいられなかった。
「復讐するためだろう。ここにいないその売人は、どうやら過去にクライドを誘拐した張本人のようだ」
背後からの声に振り向くと、カイが立っていた。救出した子供なのか、ぼろぼろの服を着た4歳くらいの女の子を腕に抱いている。彼女は小さく肩を震わせながら、泣き腫らした顔でカイの首にしがみついていた。
「そんなに小さい子が……。子供たちをあそこから出したら、まとめてすぐに病院へ連れていきますので」
オリエッタが少し涙ぐみつつ、カイの腕から女の子を抱き上げた。隊員たちは次々と牢から子供たちを救出しているようだ。泣く声が一層大きくなって、洞窟の中に反響した。
「よろしく頼みます。トワリス病院には連絡済みですから」
カイが答え、また僕に向き直った。表情こそ冷静だが、その目の奥には怒りが浮かんでいる。
「……君がこの惨状をどう思っているかは、その顔を見れば分かる。だが目的を忘れてはいけない。クライドを止めたいんだろ、ベス」
「はい、もちろんです」
声が上ずりながらも、僕ははっきりと答えた。どんな理由であれ、クライドを獄所台に収容されるような犯罪者にはしたくない。カイは頷き、親指で自分の後ろを差した。
「向こうに血痕があった。状況から考えると消えた売人、もしくはクライドかステイシーのものだ。誰のものだとしても、血液があれば魔術で行方は追える」
「結果出たぞ、カイ! すぐ近くだ」
そう言ってこちらへ駆けて来たのはフィルだ。彼がさっと手を振ると、青白く発光する地図が空中に浮かび上がる。どうやらこの洞窟の上、製粉工場と小麦畑の地図らしい。
とある工場の中に、明滅する点が一つあった。売人か、クライドかステイシーがそこにいるということだ。
ガレット第一工場――僕はそれに気が付いて、血の気が引いた。カイの視線を頬に感じながら、そちらには顔を向けられなかった。
「……父の、工場です」
掠れた声が出た。この洞窟が工場の側にあると知った時から抱いていた、父がメニ草の組織と関わっているのではないかという疑念。それが、余計に現実的になったようだった。
ステイシーが魔術でクライドたちを移動させたとして、なぜあの工場を選んだのか。偶然とは思えない。だってクライドは、あの工場が僕の父のものだと知っているはずだからだ。わざわざそんな場所で復讐を、殺人を犯そうとするなんて――。
「おい、しっかりしろ、ベス」
そう言って僕の肩を強めに叩いたのは、グルー教官だった。
「そこが親父さんの工場だからって、お前は何でも悪い方に考えすぎだ。クライドを取っ捕まえて話を聴けば全て分かるはずだろう」
流石は一年次の担任、僕のことを良く分かっている。少しだけ冷静になれた。
「はい」
「クライドのところへ行くのか、行かないのか、どっちだ」
カイが少し早口に、僕に尋ねた。
「怖じ気付いたなら全て俺たちに任せてくれていい。ここで迷っている暇はないぞ」
「行きます!」
僕は顔を上げ、真っ直ぐにカイを見た。彼は険しかった表情を少し和らげ、またすぐに引き締めた。優しい魔導師からこの場の指揮官という立場に戻ったようだ。
「ラシャ、売人たちの本部への移送と隊長への報告を頼む。尋問に関しては第二隊員を同席させてくれ。エスカ隊長に組織のパトロンの件だと言えば分かる。フロウさん、救出した子供たちと一緒に病院へ。クロエにも詳細を伝えて下さい」
てきぱきと指示を出し、カイは自分のサーベルを今一度確認してから僕に言った。
「よし、行こうか。クライドが君を待っているはずだ」