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18、地下

 作戦開始時刻になると既に日は沈み切り、森の中は不気味な暗闇に包まれていた。繁った木々の隙間から注ぐ月明かりのおかげで、辛うじて互いの顔は判別出来る。

 ここはキペルの西14区、その奥地にある森だ。第一隊の隊員12名と僕とグルー教官は、早足に森を進んで行く。無言でその後を着いてくるのは、僕らをここまで送ってくれた運び屋の女性、オリエッタだった。本来は中央病院専属の運び屋らしいが、たまに自警団に協力しているそうだ。紺色の繋ぎ服を着て、ひっつめ髪で生真面目そうな印象があり、年齢はチェス教官と同じくらいに見えた。

 進んでも進んでも同じ景色が続く。人に見付からない場所というのは分かるが、鬱蒼うっそうとしているだけのこんな森の中に、本当にメニ草畑があるのだろうか。僕が不安になり始めた頃、隊員たちが不意に足を止めた。僕の側にいたラシャが無言で前方を指差す。

 少し先は崖になっているようで、繁っていた木々はそこを境に綺麗さっぱり無くなっていた。視線の先には紺色の空が覗くだけだ。

 隊員たちは更に慎重に進んでいく。僕も崖の淵ぎりぎりまで近付いて首を伸ばすと、10メートルほど下の開けた土地に一面の黄色が広がっていた。月光に照らされて、その色は目に刺さるほど鮮やかだった。


(これがメニ草畑……)


 僕はごくりと唾を呑んだ。実物を見たのはもちろん初めてで、何も知らなければ、それはただただ幻想的で美しい花畑に見える。

 しかし、クライドはミミックの部屋の壁に『黄色は幸せと地獄の色』と書き残した。今なら分かる。この光景は、彼にとって地獄に違いないのだ。無垢な労働者だった昔も、そこから8年が経った今も。

 僕は動悸を感じながら畑の向こうに視線を巡らせた。木製の質素な小屋があり、窓からぼんやりとした明かりが漏れている。時折そこで人影が動くから、誰かがいるのは間違いなかった。

 不意に僕らの横にあった茂みがかさりと揺れ、そこから自警団の隊員が3名、姿を現した。


「時間通りだな。こっちは万事順調だ」


 その中の一人がカイに話し掛けた。薄明かりでも十分に分かるくらい美しい青年で、第二隊であることは間違いなさそうだ。


「ありがとう、フィル。追跡は出来そうか?」


 カイが尋ねると、フィルは制服のポケットから小瓶を取り出した。中は空のように見えるが、恐らく蚊が入っているのだろう。小屋の中にいる売人の血を吸った蚊だ。


「ここまで来て失敗は許されないだろ、カイ副隊長。俺はいつでも構わない」


 フィルが言うと、カイは頷いて隊員たちに向き直った。空気がぴりっと緊張する。


「作戦通りに行く。おとり班、用意」


「了解!」


 5名の隊員が進み出て、崖の淵に足を掛ける。彼らがわざと姿を見せることで、売人たちはあの小屋から別の畑へと逃げるはずなのだ。


「3、2、1……開始!」


 カイの掛け声と共に、隊員たちは崖下へと飛び降りた。無事に着地すると、そのまま畑を突っ切って小屋へと向かって行く。


「……動いたな」


 じっと小屋に視線を向けていたカイが呟いた。確かに小屋の明かりは消えていた。畑を抜けた隊員たちは小屋を包囲しつつ、窓から中を覗いている。やがて一人がこちらに向かって大きく手を振った。作戦成功らしい。


「フィル、頼んだ」


 カイが言うと、フィルは掌に乗せた小瓶に指で軽く触れた。ほんの一瞬のうちに空中に青白く発光する地図が浮かび上がり、その一部で光の点が明滅した。そこが売人の居場所なのだろうか。地形からいって、スタミシアの地図だ。


「すごい……」


 思わず呟くと、フィルがくすりと笑ったようだった。


「褒められると嬉しいね。自警団にいるとこれが当たり前みたいに思われて困る。結構難しい魔術なのに」


「感謝はしてるだろ。……スタミシアの北4区か。今までにメニ草畑の情報はなかった場所だな」


 カイがそう言うと、ラシャが答えた。


「あそこって平地ですから、メニ草畑を隠せる場所なんてないはずなのに」


 スタミシア北4区。僕はその場所に覚えがあった。父が経営する製粉工場がある場所だ。小さな頃、父に連れられて見学に行ったことがある。とはいえ工場にそれほど興味の無かった僕は、外に出て虫を追いかけて遊んでいた。ラシャが言うように北4区はどこまでも平地で、小麦畑が広がる中に点々とレンガ造りの工場が並び、まばらに木が生えた林が何ヵ所かあるだけだった。

 けれど……。僕は唐突に思い出した記憶と、そのせいで胸に浮かんだ疑念をそのまま黙っていることが出来ず、こう口にした。


「あの、カイ副隊長。メニ草って地下でも育ちますか?」


「地下? そうだな。日光が無くても育てることは可能だ。何か心当たりがあるのか」


「北4区に父の製粉工場があって……昔のことなので場所の記憶は曖昧なんですが、林の中の地面に扉みたいなものがあったんです。土に埋もれていて、僕の力では開けられなかったんですけど」


 珍しい虫を夢中で追いかけているときに見付けたのだ。工場からは離れた林の中だった気がする。土からほんの少しだけ、鉄製の板のようなものが覗いていた。取っ手も付いていたから好奇心で引っ張ってみたが、小さな子供の力ではびくともしなかった。

 その内、父が僕を探しに来た。勝手に遠くまで行ったことを厳しくとがめられて、あの扉のことは言い出せなかった。そして成長し、そのことをすっかり忘れていたのだった。


「扉か……。それが地下の畑に繋がっている可能性もあるな」


 カイの言葉は、僕が抱いた疑念をより一層濃くした。畑が父の工場の近くにある――まさか父やその会社が、メニ草畑に関係しているのではないかと。


「よし、移動だ! オリエッタさん、お願いします」


 僕が不安を打ち明ける間も無く、カイが号令を掛ける。視界がふっと暗くなり、次の瞬間、鬱蒼とした森とは別の光景が広がっていた。

 静かな夜空の下で、収穫を待つだけの小麦畑が吹き抜けた風に実った稲穂を揺らした。月光がさざ波のように畑の上を滑っていくようだ。

 点々と建てられた工場は全てが今日の稼働を終えたのか、明かりも消えて小麦畑に大きな影を落としていた。その影の中に僕らは紛れている。注意深く辺りを見てみても、メニ草の売人たちの姿はなかった。やはり地下にいるのだろうか。

 昔と同じように畑のあちこちに林が点在しているが、僕が扉を見付けた林がどこかは分からなかった。これでは結局役立たずだと思っていると、視界の端に青白く発光する何かが映った。

 そちらに目を向けると、発光体の燕がフィルの肩に止まる所だった。これもきっと追跡の魔術だ。これで犯人を追えるのだから、僕が場所を覚えていなくても問題はないのだと気付く。

 カイは空に視線を遣った。煌々と光る月に、厚い雲が近付いていた。


「……もう少しで月がかげる。その間に移動だ」


「了解」


 全員が小声で答える。そして雲がすっぽりと月を覆い、辺りは辛うじて数歩先が見えるくらいの暗闇になった。

 フィルの肩に乗っていた燕が飛び立った。低空を、前方に見える林に向かって真っ直ぐに飛んでいく。隊員たちが静かに駆け出し、僕も慌てて後を追った。

 200メートルくらいは走っただろうか。僕らは林の中にいて、再び顔を出した月が地面を照らしていた。燕はその地面の、雑草が生え揃った場所に止まっている。隊員の一人がそこへ屈み、手で土を掘る。すぐに錆び付いた鉄の扉が現れた。僕が昔見たものと同じだ。


「この状態からすると、売人たちは運び屋を使って直接地下に入ったか、あるいは別の出入口を使ったかだな」


 カイが呟き、オリエッタに顔を向けた。


「いくらあなたでも、行ったことのない場所へ人を移動させるのは難しいですよね?」


「目視出来る場所なら可能ですけど、地下となると……」


 オリエッタは申し訳なさそうに言った。カイは頷き、隊員たちに向き直った。


「誘拐された子供たちの安全やクライド……キース・アルバが復讐を企てていることを考えると、別の出入口を探している暇はない。ここから突入する」

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