17、引率者
「元上官を顎で使うようになるとはたまげたぜ、カイ副隊長?」
第一隊の会議室で待つ僕とカイの前に颯爽と現れたのは、グルー教官だった。言葉はかなり嫌味っぽいが、そのくせ表情は嬉しそうだ。彼がカイの上官だったということは、今初めて知った。
「ベスとクライドの一年次の担任はフロウさんじゃないですか。クライドのことを物凄く心配しているって、チェス教官から聞いてますよ。で、これからの作戦なんですが」
カイは流れるような言葉でグルー教官を黙らせ、机の上にキペルの地図を広げた。結構生意気な態度なんだな、と僕は驚いたが、教官は何も言わず地図に目を落とした。
地図上には各地に散らばる7つのバツ印があった。どれも人の居住区からは離れた山や森のようだ。印は一つだけ赤いインクで、その他は青で描かれている。
「俺たちはまず西14区のメニ草畑に向かいます」
カイが赤いバツ印を指差した。その畑は今回、スラム街から誘拐された子供たちがいると思われる場所だ。
「この畑で売人と栽培人、人数ははっきりしませんが子供の姿も確認出来ています。周囲に見張りを置いていますが、まだ動きはないようです。自警団が来るという噂が本当かどうか確認してから動くつもりでしょう。奴らも逃げ損にはしたくない。経験から言って、逃げるのは俺たちの姿を発見してからだと思います。西14区以外の印は今まで自警団が潰してきたメニ草畑です。追い立てられた売人たちはまだ見付かっていない畑に逃げると思いますけど、これらのどこかに逃げる可能性もゼロではないので、何人か隊員を送ってあります」
「ほう……すごいな。第一隊だけで足りたか?」
グルー教官が感心したように言う。
「偵察には第二隊、畑への配置には第三隊から人員を借りました」
「よりにもよって第三隊……。売人の奴ら、もし捕まったら相当痛め付けられるぜ」
自警団の第三隊は一般人でも乱暴者の集まりだと知っているほどの隊だ。グルー教官の言ったこともたぶん、冗談ではないのだろう。
「痛め付けられるだけで済んで有り難いと思ってもらわないと。メニ草の売人なんて全員死ねばいい」
カイがそう吐き捨てたことに、僕は驚いた。彼が魔導師として不適切な発言をするような人には思えなかったからだ。売人への個人的な恨みなのか……やはり、彼はメニ草と深い因縁がある。図書室で読んだブロルの本にはそこまで書かれていなかったけれど、カイの元上官だったグルー教官は何か知っているに違いない。彼は複雑な表情でカイを見つめたまま、黙っていた。
カイはすっと息を吸って、気を取り直したように言った。
「……売人たちがどこへ逃げるのか、まだ俺たちにも予想がついていません。運び屋が2、3人いるとしても、十数人の子供たちを連れて移動出来るのはせいぜいスタミシアまででしょうね」
「どうやって追うつもりだ?」
グルー教官が尋ねる。
「第二隊のフィルに頼みました。既に西14区の畑にいる売人の血液は入手していますから、追跡の魔術でどこまでも追えます」
「血液を入手って、売人と接触したってことか?」
「まさか。蚊ですよ、蚊。フィルが編み出した技で、蚊を魔術で操って対象の血を奪うんです。動物を魔術で操るのは禁止ですが、虫は規制されていないので」
「お前の同期はぶっ飛んだ奴ばっかりだ」
グルー教官が苦笑する。確かに蚊を利用するなんて発想がぶっ飛んでいるし、それを実際に出来ることにも驚いた。虫を操ろうなんて、僕は考えたこともない。
「フロウさんが結婚したのも俺の同期ですけど。クロエもぶっ飛んでますか?」
カイがほんの少し笑っているような気がした。
「おい、しれっと名前までばらすな。学生には言ってないのに……これは秘密だぞ、ベス。他の生徒には黙っていろ」
グルー教官がしかめ面で僕を見る。僕は大きく頷きつつ、クライドが無事に帰ってきたら話してみたいと思った。いつもみたいに「教官の個人情報なんてどうだっていいだろ?」と、冷たくあしらってくれるはずだ。
「話を戻しますけど」
カイが言った。
「クライドの正体がキース・アルバだということは、先に報告した通りです。そして今現在、クライドはステイシー・マイルスという名の少女と行動を共にしていると思います。年齢は14歳、8年前にクライドと同じ畑から救出した子供です。理由は分かりませんが、売人たちの運び屋をやっています。……二人が売人たちへの復讐を考えているなら、止めなければならない」
――でも、過去のことではないんです。まだ終わっていなかった。あの日助けた子供が、まだ苦しんでいるかもしれないんです。
僕はカイがスタミシア支部で言っていた言葉を思い出す。二人がこうなってしまったことに、彼は責任を感じているのだろうか。毎年救出されて数を増していく『無垢な労働者』たちのその後を、他の任務も抱えながら見守り続けるなんて不可能に近いのに。それでも彼はきっと、努力を惜しみたくない人なのだ。
「分かったよ、カイ。俺も教え子には責任を持つ必要がある。自警団に丸投げってのも悪いしな」
グルー教官はそう言って、僕の肩をばしばしと叩いた。
「引率は任せろ。お前の邪魔にはならないようにする。で、ここの出発は何時だ?」
「向こうに動きがなければ、予定通り18時40分です」
「オーケー。その前に訓練用のサーベルを一振り、ベスに借りるぜ」
僕は早足に歩くグルー教官の後に着いて、本部の廊下を進んだ。教官にとっては勝手知ったる場所なのだろう。彼は迷うこともなく倉庫のような場所に入り、パチンと指を鳴らして部屋のランプを灯す。壁際のスタンドに、ずらりと並んだサーベルが見えた。長さは様々だ。
「ベス、お前の身長って何センチだった?」
教官はサーベルを吟味しながら僕に問う。
「167です」
「じゃ、このくらいか。ベルトも拝借して……」
一振りのサーベルを選んで僕に渡し、教官は壁に掛けてあったベルトも手に取る。サーベルを携帯するためのベルトで、僕ら学生は剣術の授業でのみ使用していた。腰に回す部分と肩の斜め掛けが一体になったものだ。ベルトをすると普段は冴えない灰色の制服姿も少しはましになる、と同期の誰かが言っていた。
「ほら、さっさと装備しろ。監察科の二年生なんだから、自分の身くらい自分で守ってもらわないとな」
教官はベルトも投げて寄越し、にっと笑った。
「使うことになるんでしょうか……」
僕は教官が否定してくれることを期待しつつ、ベルトを着けてサーベルを装備した。
「お前には極力抜かせないつもりだが、状況次第と言っておこう。あのチェス教官に剣術を教わっておいて出来ませんは通じないぞ」
教官がじっと僕の目を見た次の瞬間だった。眼前で、彼が抜き放ったサーベルの刀身が光った。反射的に体が動く。僕は自分のサーベルを抜き、教官の一撃を受け止めた。
「……上出来だ」
そう言うと、教官はサーベルを引いて鞘に収める。僕は激しく鼓動する胸を押さえて、少し恨めしく思いながら彼を見た。彼は表情を和らげて言った。
「そう怒るなよ、ベス。お前が止められると思っていなければこんなことはしない。俺も教え子を現場に連れ出す以上、最低限の安全は確認しておきたかっただけだ。ま、杞憂だったか。行くぞ」
教官が倉庫を出ていこうとするので、僕は呼び止めた。今のうちに聞いておきたいことがある。
「グルー教官は、カイ副隊長のことを良く知っているんですか?」
教官は振り返り、軽く肩を竦めた。
「知っているも何も、あいつが新人だった頃に指導したのはこの俺だ。……大方、カイとメニ草との関係が知りたいんだろ? 悪いが俺の口からは言えない」
図星を指されてしまい、返す言葉がなかった。
「今は副隊長とはいえ、俺にとってはまだ可愛い部下なもんでな。本人が黙っているなら、傷は抉ってやりたくないんだ」
その言葉が、過去にカイが味わった苦痛を表しているようだった。もしかして、彼自身が無垢な労働者だったのだろうか? 自分の身に置き換えて考えてみたら、他人に探られるのは嫌だという気持ちも分かる。
「すみませんでした。出過ぎたことを……」
「真面目過ぎるぞ、ベスは。気にするな」
教官は僕の肩を叩き、笑った。
「そういうところ、カイに似ているのが困る」
だから放っておけないんだよなぁ……と呟きながら、彼はすたすたと行ってしまったのだった。グルー教官は厳しくもあるが、たまにとても優しい一面を見せる。僕が無事に進級できたのは彼のおかげでもあるのだ。いい教官なんだよなぁ……と思いながら、僕はその後を追った。