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15、変える人と変わる人

 8年前にスタミシアのメニ草畑から救出した子供が、今も苦しんでいる。カイはそう言うと、封筒から記録の紙束を取り出して机に置いた。案内係のクラークは「終わったら声を掛けてくれ」と言って、静かに部屋を出ていった。

 僕はその記録を見ていいものかどうか分からず、隣で勢いよくページをめくるカイの横顔をちらりと見た。怖いくらいに真剣な目付きで、今は話し掛けるのすら躊躇ためらわれる。


「……見たいなら見て構わない」


 カイが記録の一枚をすっと僕の前に置いた。


「それが概要。トワリス病院でノアに会っただろう? ここの畑には、あの子より酷い状態の子供たちがいた。内容を読むならそれなりの覚悟が必要だ」


 メニ草畑で他の子供を庇い、栽培人にメニ草を使われ、廃人のようになってしまったノア。それよりも酷いとは、きっと想像を絶する状態に違いない。それでも僕は知らなければならないと思った。その事実がクライドと無関係でないのならば。


「読みます」


 意を決して、記録に目を落とした。まず『メニ草に関わる事案 T196号』というタイトルと、日付、畑の場所が記されていた。南17区以降の詳しい住所は黒塗りにしてある。恐らく魔術でマスキングしてあるのだろう。記録作成者はカイ・ロートリアンとなっていた。

 概要はこうだった。南17区のメニ草畑で売人1名、栽培人5名を確保。『無垢な労働者』として救出された子供は4歳から9歳までの5名。その他、同年代の子供の遺体が9体、子供たちが寝起きしていた小屋の中で発見されたという。また、同敷地内から4体分の人骨も発見された。

 これだけで、僕が今までの人生で知っている全ての不幸を超えた。生き残った子供たちは、どんな気持ちで遺体の横に眠っていたというのだろう。それを想像して思わず吐きそうになった。


「無理するな。当時は俺ですら、あの現場を見て吐いたんだから。部屋の外で待っていてもいいぞ」


 カイはそう言いながら素早く記録を捲っていく。彼は何を探しているのだろう。僕は口の中にいた唾を飲み込み、何とか吐き気を抑え込んだ。今は弱気になっている場合ではない。


「大丈夫です。あの……カイ副隊長はこの畑とクライドが関係していると考えているんですか?」


 8年前といえば、僕は7歳。クライドが年齢を誤魔化したりしていなければ同じ歳だ。考えたくはないが、メニ草畑にいた子供たちの年代と一致する。


「そうだ。もっと言えば、助け出した子供の中にクライドがいたと思っている。……あった」


 カイは5枚の記録を抜き出して、机の上に並べた。子供の氏名と顔写真が付いた記録だ。生き残った子供たちのものだろう。女の子も男の子もいる。


「当時7歳、で、クライドの髪はブロンドだったな……。この子だ」


 カイが指差した一枚には、キース・アルバという名前が記されていた。顔写真は可哀想なくらいにやつれた少年の顔で、確かにブロンドだ。しかしこれがクライドかと問われると、はっきりそうだとは言えない。僕が知るのは、現在の非の打ち所がない美少年の顔だけだ。

 それにこのキースがクライドだとしたら、どうやってクライド・リューターになったのだろう。彼からの手紙に『他人の人生』という言葉があったが、誰かに成り済ましているということなのか?


「最初にクライドの顔を知った時には気付かなかったが、確かに面影はあると俺は思う。この子がクライドだという前提で考えると……」


 カイの視線がキースの記録の文字を辿る。僕も同じようにした。

 キースが生まれてすぐに両親は離婚。母親がキースを育てていたが、彼が4歳の頃にメニ草に手を出す。母親が中毒状態になり、生活もままならなくなった頃にキースは売人に誘拐される。以降7歳まで、メニ草畑での労働を強制されていた。誘拐のすぐ後に、母親はメニ草の過剰摂取で死亡していた。

 保護時のキースは極度に痩せていたが、意識はしっかりしていた。しかし仲間の死を認識していなかったのか、救助に来ていた自警団の隊員に「みんなを病院に連れていって。助けてあげて」としきりに訴えていたようだ。小屋にあった遺体の口元は皆、水で濡れていたが、それは彼が水を飲ませてあげていたからだという。


「うぅ……」


 思わず漏れた呻き声と共に、涙が落ちた。極限の状態でも他人を思い遣れる優しい子。ノアもそうだが、どうしてそんな子がこれほど残酷な目に遭わなくてはならないのだろう。そして、キースが本当にクライドだとしたら……。この地獄に彼はいたのだ。いや、今もいるのだろうか。僕がどれだけ手を伸ばしても届くはずのない、深い深い地獄に。

 その時、部屋にナシルンが飛び込んで来て机の上に止まった。カイはすぐさまそれに触れてメッセージを聞き取る。恐らくラシャからの連絡だ。数分経って、カイは僕に顔を向けた。


「クライドの両親が話してくれたそうだ。やはり、キース・アルバがクライドだった。詳細は後で説明する。今はクライドが具体的に何をしようとしているのか考えるのが先だ。最悪の事態を想定してな。涙を拭け、ベス。大切な友人として彼を止めたいんだろ」


 カイはそう言って僕の目を覗く。僕はその瞳に、人を勇気付けるような不思議な光があるのを見た。あまりの現実に凍えかけた胸の奥が、じわりと温かくなったような気がした。


「……はい!」


 僕が手の甲でごしごしと頬を拭うと、彼は微笑んだ。


「やっぱり根性のある奴だよ、君は」


「そんなことはないです。ただ、クライドを犯罪者にはしたくないから」


 それこそ最悪の事態で、出来れば口にしたくなかった言葉だが、カイに勇気付けられた今なら大丈夫だ。


「違っていて欲しいですけど、彼は復讐しようとしていると思うんです。メニ草の売人とか、組織に。8年も前のことだから……って、当事者じゃないからそう考えてしまうけど、クライドにとっては年数なんか関係ないのかもしれません」


「同感だな。それに、俺は35年経ってから復讐を遂げた人を知っている」


 そのあまりに大きな数字に、僕は目をしばたいた。


「35年ですか……?」


 カイは少し目を伏せて、言った。


「ああ。その人は35年の間に何度も何度も立ち止まって、憎しみを忘れようとした。忘れることが出来ていたときもあった。立派な人だったんだ。それでも、きっかけ一つで簡単に崩れてしまった。結果的に殺人を犯して、獄所台の監獄に収容された」


 その言葉には悲しみが滲んでいるようだった。


「俺はその人に、あなたが獄所台を出てくるまでにリスカスを良くするって約束したんだ。まあ、実際は間に合わなかったってことになるんだろうけど……。毎年毎年、畑から子供を救出する度に分からなくなる。何も変わっていないんじゃないかって」


「変わっていますよ。少なくとも、僕はそう思います」


 カイが視線を上げ、僕を見た。僕はここぞとばかりに、熱を込めて一気にまくし立てた。


「カイ副隊長は、リスカスを変えています。あの、偉そうなことを言って申し訳ないんですが。あなたたちがガベリアを甦らせていなければ、僕は絶対に魔術学院に入ることを許してもらえなかったし、あなたがクライドを畑から救出していなければ、彼が魔術学院に入ることもなかった。あなたのおかげで、魔導師を目指す人間がリスカスに二人増えたんです。僕が魔導師になったところで世界が平和になるとは思いませんけど、それでも、状況はちゃんと変わっているじゃないですか!」


「……君がそんなに喋るとは思わなかった」


 カイは少し面食らった顔をして言った。僕自身、こんなに熱意を込めて何かを訴えることが出来るなんて、驚きだった。クラスでもそんなに発言しないし、家族の中でも自分の意見を主張したことはない。


「でもありがとう、ベス」


 カイが微笑んでいた。


「俺は確かに、君を変えることは出来たみたいだな」


「はい。そして僕は、クライドを変えたいんです」


 僕の頭にはひらめきがあった。彼に近付くために、今何をするべきなのか。


「カイ副隊長、ミミックと話をさせてください。彼はまだ、秘密にしていることがあると思うんです」

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