14、最悪の場所
「あの、カイ副隊長。ミミックはクライドと一緒にいたんじゃなかったんですか?」
廊下を進みながら、僕は待ち切れずにそう尋ねた。
「どうやらクライドが、ミミックだけを先に親元へ帰したようだ」
カイは早口に言って、第一隊の会議室らしき場所に僕を連れて入った。そこにいた10名くらいの隊員たちの目が一斉に僕に向き、心臓が縮み上がる。でも、その中にラシャの姿を見付けてほっとした。
「ベス、こっちこっち」
ラシャが僕を手招きする。カイを見ると小さく頷いたから、僕はおずおずとラシャの側へ寄った。
「そんなに不安な顔しなくていいのに」
ラシャは微笑み、僕の体を前に向かせる。カイが隊員たちの前に立って話し出すところだった。全員が一気に集中し、部屋の空気が変わったのを肌で感じる。
「ミミック・ロメリの証言を簡潔に説明する。彼は5日前の火曜日、20時頃、運び屋として客をキペルの西14区に連れていった。そこでメニ草の売人2名と、スラム街から誘拐された子供たちを目撃した。ミミックはそこで確かに『メニ草』と『畑』という単語を聞いたそうだ。
彼は怯えている様子の子供たちに声を掛けようとして、売人に肋骨が折れるほどの暴行を受けた。そして、今見たことや聞いたことを自警団に話せば殺すと脅された。お前の名前も、両親がキペルで運び屋をやっていることも知っていると。ミミックは命からがら中央1区まで逃げ、そこでクライドと出会った」
クライドの名が出てきて、僕は俄に緊張した。それにその売人、8歳の子供を骨折するまで暴行するなんて、まともな人間のすることじゃない。憤っているのは僕だけではなく、ラシャもその隣にいる隊員も眉間に皺を寄せていた。
「クライドはミミックの怪我を治して、彼の話を聞いた。それからクライドは『俺に考えがある。君を助けるために協力してほしい』と言ったそうだ。それが今回の失踪事件や諸々の出来事だな」
やはりクライドは、人助けのために事件を起こしていた。それが確定しただけでも気持ちが楽になる。カイは続けた。
「ミミック失踪後は、クライドと一緒にスタミシア南17区の山奥にある小屋で過ごしていたそうだ。細かく特徴を聞いていくと、8年前に自警団が潰したメニ草畑だと分かった」
「それって、カイ副隊長がスタミシア支部にいた頃に潰した畑ですよね?」
ラシャが口を挟み、カイは頷いた。
「今まで潰してきた畑の中で最も劣悪な場所だ。保護した子供より……遺体の数の方が多かった」
僕はカイの言葉に殴られたようだった。なんて酷いのだろう。メニ草畑での子供たちの扱いをトワリス病院で学んだとはいえ、その場面を想像すると血の気が引く。
カイは小さく息を吐き、気を取り直したように言った。
「17区の畑は偶然見付けられるような場所じゃない。要するに、クライドはあの場所を知っていた。現時点で理由は不明だけどな。ミミックから話を聞いてすぐ畑に隊員を送ったが、既にクライドの姿はなかった」
「安全が確保されたと判断してミミックを帰したなら、クライド自身も帰ってきていいはずなんですけど。まだ何か企んでいるということでしょうか?」
隊員の一人が言った。企んでいるという言い方は少し引っ掛かるが、僕も同じ疑問を抱く。クライドはまだ事を引っ掻き回すつもりなのだろうか。自警団に売人を確保させるのが彼の目的ではなかったのか。
「そこは俺が調べる。いずれにせよ、今夜の作戦は予定通り実行だ。準備に取り掛かってくれ」
「はい!」
隊員たちは声を揃えて部屋を出ていき、カイとラシャだけが残った。カイは僕に近付き、ポケットから白い封筒を取り出した。
「……ミミックから預かったものだ。クライドから君宛に」
「クライドからですか?」
僕は引ったくるようにそれを受け取り、封を切った。一枚の便箋に、クライドの几帳面な字が並んでいた。
我が友人、ベス・ガレットへ
まず、今回のことで君を心配させ、迷惑を掛けたことを謝らせてほしい。すまなかった。
きっと自警団の聴取も受けたと思う。万が一にも君が疑われることのないよう、失踪の方法は考えたつもりだったけど、もし疑われて怖い思いをしたなら本当にごめん。
優しくて真っ直ぐな君に嘘を吐き続けるのは辛かった。こうなってしまった以上、全てが明らかになるのも時間の問題だと思う。
俺は君の友人クライド・リューターでいられて、幸せだった。偶然与えられた他人の人生ではあるけれど、それだけは誓って嘘じゃない。
大切なベス、今まで本当にありがとう。
手紙を読み終えて、手が震えた。どういうことなのか理解できない部分もあるが、この内容はまるで――
「遺書……。カイ副隊長、こ、これ」
手紙をカイに差し出した。彼はそれを受け取り、ラシャと一緒に素早く目を通す。
「他人の人生……」
カイは呟き、顔を上げた。何か分かったのだろうか。
「ラシャ、この手紙を持ってクライドの両親の所へ行ってくれ。彼らはクライドの正体について絶対に何か知っているはずだ。俺はスタミシア支部で確かめることがある。ベス、君はクライドが悪いことをしようとしているなら止めたい、と言ったな。その気持ちは今も変わらないか?」
「はいっ!」
クライドの目的はまだ分からないが、このまま彼の勝手にさせてたまるか、という気持ちが湧き上がってきた。謝ればいいというものじゃない。僕もクライドの心が理解できないけれど、彼だって僕の心を理解していないじゃないか。彼が大切な友人と言ってくれるなら、僕だって同じ、いやそれ以上に大切な存在だと思っているのに。
「クライドを見付け出して、一発殴っ……ひっぱたくくらいのことはしないと、気が済みません」
「よし。それなら俺と一緒に行こう。案外、クライドは君に止めてほしいと思っているかもしれない」
スタミシア支部に到着し、カイは真っ直ぐ第六隊の隊長室へ向かった。女性の隊長が突然の訪問と僕の存在に驚くのをよそに、カイはこう言った。
「8年前の記録を見たいんです。南17区のメニ草畑から子供たちを救出した際の」
「それは構わないけれど……キペルで起きた失踪事件と関係が?」
隊長の目がちらりと僕に向いた。
「はい。それに関して今夜キペルのメニ草畑を叩きますが、その前にはっきりさせておきたいことがあるんです。必要でしたら後で報告書を出します」
カイは淀みなく言った。
「分かりました。メニ草に関してのあなたの功績は十分に認めていますよ、カイ副隊長。資料庫に案内させましょう」
隊長はナシルンを使って隊員を呼び出し、僕らは彼に着いて資料庫に入った。奥に向かって細長い部屋で、中央に長机と椅子、両の壁際に備え付けられた高い棚には封筒に入った記録物がずらりと並んでいた。
「あれって、8年前のいつだっけか?」
隊員は棚を眺めながら親しげにカイに尋ねる。40代くらいに見えるから、彼の元上官とかだろうか。
「12月7日です。クラークさん、いつの間に第六隊に異動したんですか?」
カイの問いに、クラークと呼ばれた彼は渋い顔をした。
「2ヶ月くらい前、任務中に膝を痛めてさ。まあ、医務官のおかげでちゃんと治ったけど、自信は無くすよな。第一線を走るのもそろそろ限界かと思って、記録を扱う部署に変えてもらったんだ。……ほら、あれじゃないか」
彼がすっと上げた片手に、棚から飛んできた封筒が収まった。クラークは数秒、無言でそれを眺めてからカイに渡した。
「お前は強いよ、カイ。俺はあの日のこと、思い出すだけで胸が苦しくなる」
カイは頷いて同意を示した後、こう言った。
「でも、過去のことではないんです。まだ終わっていなかった。あの日助けた子供が、まだ苦しんでいるかもしれないんです」