13、当事者の記録
ミミック保護の連絡を受け、僕とラシャは自警団本部に戻った。残念ながら、僕がミミックと直接話すことは出来ないらしい。クライドのことを聞きたかったのだが、きっとミミックもここ数日間で怖い思いをしたに違いない。専門的な知識のない僕が話をしても、彼の傷口を広げるだけだ。
「ミミックの聴取が終わったら、概要を教えることは出来るってカイ副隊長が。特別だよ。それまでここで時間を潰していてくれる?」
ラシャはそう言って、本部の図書室に僕を置いていった。学院の図書室とは比べ物にならないほどの広さと、本の量だ。天井まで届く本棚には専門書がずらりと並び、隊員が何人か、本棚に掛けた梯子に上って本を探していた。
「こんにちは。君が、ベス?」
横から声を掛けられ、慌てて振り向いた。そして驚いた。そこにいたのは、見たこともないような瑠璃色の目をした青年だったのだ。髪は白銀で、他の隊員と少し形状は違うが自警団の制服を着ている。右腕に『特別職員』の腕章を付けていた。
「はいっ、魔術学院二年生の、ベネディクト・テディ・ヘイデン・ガレットです」
僕は自己紹介をしながら彼の目をまじまじと見つめた。深い湖の底を思わせるような美しい色で、まるで水面を覗いているかのような感覚になる。
「……僕はここの司書で、ブロルっていうんだ。何だか君の反応、新鮮だな」
そう言って彼は笑った。無遠慮に見つめたのが失礼だったかと思い、僕は慌てて目を逸らした。
「すみません……」
「ふふ、気にしないで。最初はみんなそう。僕の容姿にびっくりするんだ。もともと山の民族だから」
山の民族。耳にしたことがある。
「えっと、スタミシアの山奥、ガベリアに近い場所に暮らして、古代ガベリア語を話す民族ですか?」
「お、詳しいね」
ブロルは意外そうな顔をした。僕の次兄は根も葉もない伝説の類が好きで、昔から良く話を聞かされていたのだ。山の民族も、本当にいるなら会ってみたいと言っていた。それをかいつまんで説明すると、彼は何だか楽しそうに言った。
「僕って伝説の類なんだ。会って驚かせてみたいなぁ。あ、それより、ベス。カイに君の面倒を見るように頼まれててね。一時間くらいだって。読みたい本があるなら探してくるけど、何か興味ある?」
「……あの、ご迷惑でなければ、ガベリアが甦った時のことが書かれている本を」
僕はどきどきしながら言ってみた。その時に犠牲になった魔導師についてもう少し知りたいと思ったのだ。自警団の図書室なら、世間に知られている以上の情報があるかもしれない。
「それなら、僕が10年かけて書いた本があるよ」
ブロルはカウンターの裏に回り、がちゃがちゃと金庫を開けているような音を立ててから、一冊の本を手に戻ってきた。深緑の革の装丁に、箔押しの銀文字が光る。『甦るガベリア、闇を巡る魔導師』。物々しいタイトルで、天の部分に『禁帯出』の赤い判子が捺されていた。厳重に管理されている本らしい。
「ブロルさんが、その本を?」
「うん。全て実名入りで、当時のことを記録してある。あの日に関わった者として、忘れてはいけないと思ったんだ。さ、どうぞ」
「そんなに大事なもの、僕なんかが読んでいいんですか?」
恐縮しながら本を受け取ると、ブロルはこう言った。
「カイが読ませてもいいって言ってたから。たぶん、自分の口から話すのはまだ辛いんだと思う。とにかく読めば全部分かるよ」
彼の言っていることはよく分からない部分もあったが、読めば分かるというなら読むしかない。
「こっちの席で、ごゆっくり。なんならお茶も出すけど」
ブロルは近くのテーブルに歩いていき、そこの椅子を引いて微笑んだ。
「いえ、お茶は大丈夫です。お言葉に甘えて、失礼します……」
僕が席に着くと、ブロルは頷いて自分の仕事に戻っていった。僕はテーブルに本を置き、もう一度タイトルを眺めた。闇を巡る魔導師……、明るい話でないことは確定だろう。それでも知りたい。ごくりと唾を飲み、表紙を開いた。
――この記録を、全ての巫女と尊い魔導師たちに捧ぐ。
まず、そんな一文が目に入った。その下に、手書きで氏名と括弧書きの補足が羅列してある。
セルマ(ガベリアの巫女)
イプタ(キペルの巫女)
パトイ(スタミシアの巫女)
オーサン・メイ(自警団第三隊)
エイロン・ダイス(近衛団)
ベイジル・ロートリアン(近衛団)
チェルス・レンダー(近衛団)
イーラ・テンダル(自警団第二隊46代隊長)
ロット・エンバー(自警団第一隊53代隊長)
彼らは皆、既にこの世にはいない人々なのだろう。面識などないはずなのに、氏名を見ると急に現実味が増して、胸がちくりと痛んだ。
それから僕はページを捲り、じっくりと内容を読み込んだ。ブロルやカイがガベリアの再生に関わった当事者であること、オーサンがカイの友人であったこと、19年前のクーデターで殉職したのが、カイの父親であったこと。
カイが自分の口から話すのはまだ辛いと思う、とブロルが言っていた通り、そこに書かれていたのはどうしようもなく心が痛む真実だった。
僕が学院で習ったことなど、ほんの一部に過ぎなかった。クーデターから悪夢、その後の再生にかけて、こんなにも人の思惑、憎しみや正義が複雑に絡み合っていたのだとは知らなかった。
脇目も振らず読み続け、気付けば窓の外の陽は傾いていた。その光が滲んで揺れる。僕の目に溜まった涙のせいだった。瞬きをする度に、それが頬を伝った。
「しっかり読んでくれたみたいだね」
ブロルが側へ来て、僕にハンカチを差し出した。
「それが真実なんだ。記憶を辿りながら、全ての当事者たちに話を聴いて、ダメ出しをされて、僕が何度も何度も書き直した。ガベリアの再生は単なる出来事の一つではなくて、人の想いが紡いだ奇跡だってことを後世にも伝えたくて。君には伝わったみたいだから、嬉しいよ」
「はい……」
声が震えてまともに言葉にならなかった。ハンカチで目元を何度拭っても、涙が止まらない。
「どうしよう、こんなに泣かせたらカイに怒られるかも」
ブロルが困り顔で背中を擦ってくれているところへ、そのカイがやって来た。僕は慌てて立ち上がり、何とか涙を引っ込めた。
「待たせて悪かったな、ベス。……ひどい顔だ」
カイは優しく笑った。その表情には、今朝がた彼が僕に見せた、あのぞっとするような暗さは無かった。
「僕が泣かせたわけじゃないよ。ベスは優しいから、本を読んで感情移入しただけ」
ブロルが弁明するように言った。
「知ってる。ほら、行くぞ。本来の目的を忘れてるんじゃないか? ミミックから聴取した話について、君にも説明する」
カイは僕の肩を叩いてすたすたと行ってしまう。僕はブロルにお礼を言ってから、その後を追った。