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最終話 陽だまりで眠る子供

 一皮剥けたようだ、と色々な人に言われる。

 自警団の新人に課される過酷な訓練、通称『地獄行き』を無事に終えて、季節は4月。キペルの雪もすっかり溶け、道端には緑が顔を出し始めていた。


「ベス、給料日だぜ! 初めての給料だ!」


 僕と一緒に本部の廊下を歩くリローが、うきうきした様子を隠さずに言う。新人は3ヶ月働いた後にようやく、それまでの給料をまとめて貰えることになっている。その間無給でもなんとかなっているのは、自警団から衣食住全てが提供されているからだ。


「何買おう。やっぱ自分へのご褒美だよな」


 リローは真剣に考えながら、僕に顔を向けた。


「ベスは?」


「両親ときょうだいに、何かプレゼントかな」


 それ以外は考えもしなかった。今までの恩返しだ。リローは咳払いし、もっともらしく言った。


「俺も忘れてはいないぞ、親への感謝。……というか、全員にってすごい数になるな。給料全額使う気か?」


「それくらいしてもいいと思ってる。今までずっと支えてくれた家族だからね。それじゃ、また後で」


 僕はリローと別れ、自分の隊へと向かった。給料は事務の窓口で小切手として受け取ることになっているが、まずは今日の任務が先だ。

 隊の詰所に入り、隊員たちと挨拶を交わす。少し経ってカイが入ってくると、部屋の空気がぴりっと緊張した。こういう時の彼の顔はいつも険しいのだ。


「おはよう。早速だが駐在所から蜥蜴(とかげ)についての新たな報告があった。南8区の孤児院で起きた子供4名の失踪は、蜥蜴による誘拐と確定した。既に第二隊が居場所を突き止めている。実行犯は3名だ。エーゼル班、子供の救出と犯人確保に動いてくれ」


「了解!」


 僕を含めた7名が返事をした。エーゼルを班長とした、10代から30代の隊員が集まる班だ。


「シーラ班、孤児院の関係者に蜥蜴との繋がりを持つ人間が必ずいるはずだ。探し出せ。エリック、トワリス病院に連絡を。ラシャ、聴取の準備だ。残りはそれぞれの担当事件に全力で当たって欲しい。以上」


 あちこちで返事が聞こえ、隊員たちは散り散りに詰所から出ていく。カイもすぐに出ていった。いつもながら彼の指示は息つく暇もないほど(せわ)しないが、今では僕も全ての流れが理解出来るようになっていた。


「さて、ベス。救出とくれば、まず何をすべきだ?」


 エーゼルが指導係らしく僕に問う。以前はしどろもどろで答えられずにもっと勉強してこいと叱られたが、そこも地獄行きの訓練で鍛えられている。


「第二隊から情報をもらって、作戦を立てます。恐らく運び屋が絡んでいますから、事前にそっちの逃走経路を断つ必要もあるかと」


「そうだな。子供たちに関してはどうだ」


「失踪から1週間、既に蜥蜴に洗脳されているものと考えると、救出時に抵抗が予想されます。場合によっては気絶させなければならないので、隊長と医長に医務官の帯同許可をもらいます」


「上出来だ。帯同許可の件はお前に任せよう。行くぞ!」


 エーゼルの号令で、僕らは走り出した。



 一仕事終えた後の酒は最高だ、と班の先輩たちが盛り上がっているテーブルを眺めながら、僕はカウンター席でハニー・シュープスを啜っている。エーゼルに念願だったバル(飲み屋)に連れてきてもらったのだが、未成年はマスターの目が届くカウンター席と決まっているらしい。

 せっかくの機会なのに、僕は今日の任務で見た子供たちの泣き顔が頭から離れず、楽しむ気にはなれなかった。


「楽しめてないのか? 切り替えが大事だぞ、ベス。犯人も無事に確保したし、子供たちもまだ洗脳されていなかったんだから、喜ぶところだろ」


 店の喧騒の中、僕の隣に座るエーゼルがそう言った。だが子供の笑顔にも泣き顔にも弱い僕は、どうしても引きずってしまうのだ。弟たちを可愛がりすぎた弊害へいがいかもしれない。


「それはそうなんですけど……。エーゼルさんたちは、いつもすぐに切り替えているんですか?」


「当たり前だろ。明日からまた別の任務もある。慣れと、考え方次第さ。苦しいと感じることも成長には必要だと割り切るんだ。……どんな苦労でも、それが誰かの笑顔に繋がるなら請け負う意味がある。これが俺の信条だよ」


 そう言って彼は酒を一口飲み、息を吐いた。


「兄の受け売りだけどな」


「お兄さんがいるんですか?」


「ああ。(かたく)なに面会してくれないから、困ったものだが……」


 エーゼルは遠い目をして、また酒を(あお)った。少し酔っているようだ。面会ということは、どこかに入院でもしているのだろうか。彼のプライベートに踏み込む勇気はまだなく、僕も黙ってカップに口を付けた。

 無言の時間が数分続き、気付けば彼はテーブルに頬杖を着いたまま眠っていた。今日の任務で班長として気を張っていたから、疲れているのだろう。他の隊員たちは気付いていないようだし、少し寝かせておいてあげようと思った。


「おや、部下をほっぽって寝ているのか。おかわりは? 可愛い坊や」


 カウンター越しに、愛想の良い年配男性のマスターが笑い掛けてきた。坊やと言われるような年齢ではないが、普段大人を相手にする彼からすれば未成年はれっきとした坊やなのかもしれない。


「いえ、まだ残っていますので。今日はエーゼルさんの(おご)りですし……」


「超が付く真面目だな、お前さん。こういうときはしれっと高いものを頼むくらいの度胸がないと、自警団で上には行けないぞ。……ほれ、おかわり。冷めたものは下げるのが俺のやり方なんだ。お代はいらん」


 彼は僕のカップを回収し、湯気の上がる新しいものを前に置いた。少々強引だが、彼が醸し出す人柄のせいか嫌な気はしなかった。

 エーゼルが寝てしまい話し相手もいないので、僕は彼と少し話してみたくなった。


「ありがとうございます。……マスターは、ここでお店をやられて長いんですか?」


「あー、かれこれ40年か……? 店を始めて割とすぐ自警団立寄所になったもんでね、そこから色々な隊員たちを見てきた。出世して偉くなるとこんな大衆の店には来られなくなるから、寂しいもんだけどよ。お前さんとこの副隊長もそうだ」


「カイ副隊長ですか?」


 機密保持のため、自警団の隊長や副隊長が使っていい店は高級レストランのみと誰かに聞いた気がする。これは興味深い話が聞けそうだと、僕は少し前のめりになった。


「おうよ。そんなに頻繁じゃないが、3年前に副隊長になるまでは部下や同期と来ていた。カイ、今も元気にやってるか?」


「元気……なんでしょうか。表情は険しいことが多いです」


 正直に言ってしまったが、マスターは笑いながら頷くのだった。


「だろうな。ここへ来てもにこやかにしていることなんて稀だった。顔立ちは昔から父親そっくりだが、性格は気難しいみたいだなぁ」


「マスター、カイ副隊長のお父様をご存知なんですか?」


「ああ。ベイジル・ロートリアン……常連だったからよ。自警団のときも、近衛団に入ってからもよく顔を出してくれた。いつもそれを飲んでいたな」


 マスターは僕が持つハニー・シュープスのカップを顎でしゃくった。表情には切なさが見て取れる。


「愛情深い父親だった。いつも息子のことを俺に自慢して……。俺の中で忘れられない魔導師だよ。体が動く限り店を続けようと思うのも、ベイジルの言葉のせいさ。『マスターがお店を畳んだら、僕が入れる店がなくなります』ってな。下戸(げこ)だったんだ、あいつは」


 マスターの目は明らかに潤んでいた。彼もベイジルの最期を知らないはずはない。過去のことを思い出すと辛いのだろう。しかし、なぜ初対面の僕にそんなことを教えてくれるのか不思議だった。


「……そのお話、僕が聞いても良かったんでしょうか?」


 念の為確認しておいた。マスターはまじまじと僕を見つめてから、笑った。


「はは、ついうっかり話しちまった。だがまあ、俺の人を見る目は確かだ。お前さんは信用出来る」


 素直に嬉しい言葉だった。そのとき、エーゼルがもごもごと何か呟いた。寝言だろうか。


「俺はもうブロンドにはしないんだ……」


 何のことか僕にはさっぱりだが、マスターはくすくすと笑うのだった。


「このエーゼルもなぁ、癖のある男で。昔、尊敬していた当時の副隊長を真似て、髪をわざわざブロンドに染めていたんだよ。で、その副隊長とカイが親しくしているもんだから、ちょいとカイに意地悪をしていた。髪の色を戻したのは改心の証かもしれん」


「そうだったんですか……」


 カイが彼にみみっちいクソ上司、と言った理由はそれだろうか。今のエーゼルを見ていると、そんなことをしていたようには到底思えなかった。


「当時の副隊長っていうのは、どなたですか?」


「ルース・ヘルマー。今は第九隊の隊長だ。あいつのこともよく覚えている。ベイジルが最後にここへ来たとき、一緒にいたもんでな」


 そう言いながら、マスターの目はまた潤むのだった。


「ベイジルはまだ新人だったルースに、カイがもし魔導師になったら面倒を見てくれと頼んでいた。数年後にそれが実現したわけだ。ベイジルは見届けることが出来なかったが、あっちで安心しているだろうよ」


「……カイ副隊長、とても愛されているんですね」


 父親だけでなく、ルースやこのマスターにも。話を聞いているとそう感じる。


「おう、愛情で溺れるくらいさ。そりゃ強くなるわけだ。しかし、お前さんもじゃないか? 愛されてきた人間の目をしているぞ」


 彼はじっと僕の目を覗く。それが当てずっぽうでないのなら、彼は本当に人を見る目があるようだ。


「はい。たくさん愛されてきたと思います」


 それだけは自信を持って言えた。マスターは笑顔で頷き、僕にこう言ったのだった。


「いいことだ。それならもっと強くなれる。簡単に心折れるなよ、坊や。長い間リスカスを見てきた俺から言わせると、自警団のおかげでこの国は確実に良くなっている。お前さんみたいな新人が入ってくるなら、この先も明るいよ。頑張ってくれな」


 ごつん、と凄い音がして隣を見ると、エーゼルがカウンターに頭を打ちつけたところだった。頬杖が外れてバランスを崩したのだろう。


「痛……。なんだ、俺、寝てたのか?」


 さすがに目を覚ましたらしい彼は、赤くなった額をさすりながら僕に尋ねる。


「はい」


「ああ、そりゃ失礼……。マスター、水をもらえますか」


 彼が言うと、マスターは何か黄色い液体の入ったコップを差し出して去っていく。僕はその飲み物に見覚えがあった。スタミシア原産の柑橘類、オクロのジュースだ。かなり強い酸味があって、顔をしかめずに飲むのは難しい。スタミシアでは酔い()ましに飲む人も多かった。

 エーゼルはそれを手にして一口飲んだ後、表情を変えずにじっとコップを見つめていた。そして不意に、頬に涙を伝わせたのだ。


「酸っぱいの、我慢してたんですか……?」


「いや、違うよ。思い出があるんだ、このジュースに」


 彼は悲しげに微笑み、それ以上は何も言わなかった。

 20時を告げる置き時計の鐘が鳴り、他の隊員たちがそろそろ帰りましょうと声を掛けてくる。


「そうだな、未成年もいるし。行くか」


 エーゼルはオクロジュースを一気に飲み干して席を立つ。普通は酸っぱすぎてそんな真似は不可能だ。彼の味覚は常人とは違うのかもしれない。

 彼は当然のように全員分のお代を払って、颯爽と店を出る。僕らの先頭に立って夜道を行くその背中は、任務中の厳しい眼差しと相まってとても頼もしく思えた。

 僕はエーゼル・パシモンという人間について、もう少し詳しく知りたくなった。彼は自分からは言わないが、11年前のガベリア再生に関わった隊員だ。魔導師として彼から学ぶべきことは、きっとたくさんある。


「エーゼルさん」


 僕の声に彼は振り向いた。


「なんだ?」


「僕、エーゼルさんを尊敬しています。これからもよろしくお願いします」


「……そんなに頻繁には奢れないぞ」


 僕の真意は分かっているはずだが、彼は照れているのか、そんなことを言ってまた前を向くのだった。



 5月に入り、ラシャから子供が無事に生まれたという嬉しい報告を受けた。左腕も順調に回復し、彼の目標通り両腕で我が子を抱くことが出来たそうだ。現場復帰も果たし、事件続きで疲弊している第一隊にもしばし明るい空気が漂っていた。

 そんな日々の中、ようやく取れた丸一日の休暇に、僕は朝から大荷物を抱えてスタミシアの実家に向かっていた。初任給で買った家族へのプレゼントを渡すためだ。家族も全員集まってくれているらしい。

 自警団の連絡通路を私用で使えるのは有り難いことだった。キペル本部からスタミシア支部まで一気に行けるから、移動時間が大幅に短縮される。運び屋も使い、20分ほどで実家に到着した。


「まあ、ベス坊や! また一段と(たくま)しくなったんじゃ? 荷物を持ちましょう、あらあら、ずいぶん大荷物で……」


 玄関前で掃き掃除をしていたデンバスがいつものように早口でまくし立てながら僕の荷物を持ち、家に入っていく。

 玄関に入ると、もうそこに家族が勢揃いしているのだった。だが全員、少々がっかりした顔なのは気のせいだろうか。


「なんで私服なの? 自警団の制服、見たかったのに!」


 トニーの言葉で皆の表情の理由が分かった。確かに家族には一度も制服姿を見せたことがなかったが、非番の日にまで着る必要はないのだから仕方ない。


「だって、今日は休暇日だから……。持ってきてはいるよ」


 今日、制服姿で家族写真を撮ろうと父に言われていたのだ。既に写真屋にも依頼してあるらしい。


「それなら早く着て、見せてちょうだいよ。私たちみんな楽しみにしてたんだから」


 アリッサが急かすと、他のきょうだいたちも同調して騒がしくなる。母が2回手を叩き、すぐに全員を黙らせた。幼い頃からの(しつけ)賜物(たまもの)だ。


「さ、ティータイムにしましょう。あなたたち、ちゃんとベスを(ねぎら)いなさい。リスカスのために命懸けで仕事しているのよ」


 事実ではあるが、改めて言われると照れ臭いような変な気分になった。きょうだいたちが神妙な顔になったから、余計にむず痒い。


「いいよ、お母さん。普通にしてくれて……」


「謙虚ねぇ。ほら、主役はさっさと入ってちょうだい」


 母は笑いながら僕を居間に押し込んだ。部屋の風景は以前と変わらないようだが、何か雰囲気が違う気がする。魔導師になってよく観察する癖が付いたのか、何が違うのかじっくり考えてしまった。

 そして気付いた。テーブルやソファの位置が以前と微妙に違うのだ。それぞれ、通路が広くなるように移動されている。床に置いてあった植木や置物も無くなっていた。何のためにだろう。大掃除でもしたのだろうか。


「視線が鋭くなったな。さすが魔導師だ」


 レイが僕の様子に気付いてそう言った。


「そんなことないけど……。この部屋、模様替えした?」


「分かるの? お父さんなんて、どこが変わったんだとか言ってたのに。ふふふ」


 母は笑いながら台所に姿を消した。なんだか上機嫌だし、きょうだいたちもにやついている気がする。


「まあまあ、座れ。腹も減っているだろう」


 父が促し、全員がテーブルの席に着いた。ヒューゴとトニーはもう明らかにそわそわしている。さすがに怪しすぎて、これから何かあるんだろうなと予想が付いた。ここは気付いていないふりをするのがいいだろう。

 父は咳払いをし、真剣な表情でこう切り出した。


「実はな、ベス。お前に一つ報告があるんだ」


「うん」


 さあ、何が来るのかと少しわくわくしながら続きを待つ。


「きょうだいが増えるぞ」


「そうなんだ。……え?」


 予想外の発言に戸惑った。きょうだいが増える、つまりこれから弟か妹が生まれるということか。僕はまず両親の年齢を考えた。二人とも既に50歳は越えているはずだ。しかし母も上機嫌だったし、あり得なくはないのか?


「えっと……おめでとう、でいいの……?」


 困惑しながら言うと、その場にいた全員が一斉に笑った。


「何か勘違いしているな、ベス。これから生まれるって話じゃないぞ」


 父はそう言って、台所に顔を向けた。


「さ、出ておいで!」


 僕は状況が飲み込めないまま、台所から子供が2人、母に付き添われて姿を現すのを見た。栗色の髪をした兄妹で、兄は両腕に持った杖でゆっくりと歩を進め、妹はそれを見守っている。


「ノア、ネリー……!」


 思わず立ち上がった。何故彼らがここに? いや、それよりノアが杖で歩いている。待てよ、さっき、父はきょうだいが増えると言わなかったか?

 情報量が多すぎて頭が追い付かず、説明を求めるように父を見た。


「はっはっ、予想の3倍驚いているな。見ての通りノアとネリーだよ。お前の卒業式で出会った縁でな、うちで引き取ることにした。先月から正式に我が家の一員さ」


 父が言うと、ノアとネリーは側へ来て、きらきらと輝く目で僕を見つめた。


「びっくりした? 僕、ベスの弟になったんだよ」


 ノアがにこりと笑う。その横で、ネリーもそっくりな笑顔を見せる。


「私はベスの妹。お兄ちゃんて呼んでもいいかな?」


「もちろんだよ。もちろん……」


 感動で声が震え、その先は言葉にならなかった。この家ならば2人はきっと幸せになれる。僕がそうだったように。そして、僕も兄として2人を守ることが出来る。


「あれ、泣くとは思わなかったなぁ。驚かせすぎたか?」


 モーリスが笑いながら言った。視界が曇っているから、泣いている自覚はある。嬉し泣きだ。


「これ、みんなで計画したの? 僕を驚かせるために」


 僕も目元を拭いながら笑った。


「そうそう、実はノアの発案なんだ。いたずらっ子だろ? 家の中もあちこち動き回るから、引っ掛かって転ばないように模様替えしたのさ」


 モーリスが言った。模様替えにはそんな理由があったようだ。僕はノアに顔を向け、尋ねた。


「いつから杖で歩けるようになったの?」


「ベスの卒業式から、少し経って。病院でいっぱい練習したんだ。カイも応援してくれた。この家の子になること、ベスには黙っててねって言ったんだよ」


 カイは忙しい最中でも彼らに会いに行っていたようだ。僕は魔導師になってからずっと目の前のことで精一杯だったが、彼ほどの人はそれが出来るらしい。そして口も堅い。見習いたいところだ。

 それから賑やかなティータイムを過ごし、父が依頼していた写真屋が家に来た。穏やかな陽射しを浴びながら、家の前に総勢12名が並ぶ。僕一人だけ制服姿というのも妙だが、皆が喜んでくれたから良しとする。写真の完成が楽しみだ。

 昼食の後、兄姉たちはそれぞれの家庭に帰っていき、僕は残された4人の弟妹たちと遊んだ。人数が倍になって大変になるかと思ったが、ネリーやノアが大人びているのと、ヒューゴとトニーがお兄さんぶりたいのが相まって実に穏やかだった。

 僕が一度父に呼ばれて書斎に上がり、しばらくしてまた戻ると、居間はしんと静かになっていた。弟妹たちは遊びに出掛けたのだろうか。姿が見えない。


「ベス、しー、だよ」


 背後からの囁き声で振り向くと、ヒューゴとトニーがいた。


「なんで?」


「ノアとネリーがお昼寝してるから」


 トニーが窓際を指差して言う。そこに外側を向いて置かれているソファの背から、2人の頭がひょっこりと覗いていた。僕がそろりと側に寄って見てみると、暖かい陽だまりの中で、彼らはお互い寄り添うように眠っている。とても幸せそうな寝顔だった。

 彼らの辛い過去をなかったことには出来ないが、今、こうして穏やかな時間を過ごせているのならそれでいい。2人がもう二度と社会の目が届かない暗闇で眠ることのないように、僕が魔導師として頑張るだけだ。

 僕は両手を伸ばして、2人を起こさないようにそっと頭を撫でた。自然と愛おしさが込み上げてくる。彼らの顔を見つめながら、僕は思った。人の心に溜め込んでおける愛情には限度があるのだろうか。僕の中には常に、周囲から受け取った愛情が目一杯詰まっている。だから、溢れた分がこうして涙になって流れるのかもしれなかった。





 完成した家族写真を、僕は隊舎の机の上に飾っている。真ん中に制服姿の僕、両隣にはネリーとノア、そしてその周りを他の家族が囲んでいた。弾けるような皆の笑顔を見ていると、これを守るためなら命懸けの任務だってこなしてやろうと気合いが入るのだった。

 季節は早くも9月、キペルは紅葉に包まれ、窓を開ければ美しい景色と朝の澄んだ空気が心晴れやかにしてくれる。


「行ってきます」


 支度を終え、写真に向かって声を掛けてから部屋を出る。本部に入って第一隊の詰所に向かう途中、カイと遭遇した。


「おはようございます、副隊長」


「ああ、おはよう。昨日の任務は大変だっただろ。怪我はないか?」


 カイはそう尋ねる。昨日、僕はスラム街の子供と接触していた。蜥蜴がスラム街の子供たちを勧誘している事実を踏まえ、自警団が梃入てこいれを始めるための前段階だ。接触したのは、以前僕が確保した同い年の少年だった。


「彼も本気で殴ったわけじゃないので。ちょっと痛かったくらいです」


 僕は笑って答えた。その少年、レナードは僕の顔を覚えていたらしい。街で声を掛けた途端に表情を険しくし、僕を睨み付けた。話がしたいだけだと言っても聞く耳を持たないから、僕は「この間のことを根に持っているなら、殴っていい」と言ったのだ。

 医務官がいるからと無茶をしたわけではない。レナードの心を開くにはそれが必要だと判断したのだ。彼の目は明らかに動揺していたが、それでも恨みは晴らしたかったらしい。すぐさま拳で僕の頬を殴った。寝相の悪い弟に顔面を蹴られた時よりも痛くなかった。

 結果としてレナードは僕に少しだけ心を開いてくれ、蜥蜴に関する情報もある程度得ることが出来た。また会ってくれるかと聞くと、「自警団と関わっていることがスラム街の連中に知れたら、俺はあそこで暮らせなくなる」と突っぱねられた。しかし最後には、「捕まって自警団に連行される形なら別だけどよ。お前になら、何かの間違いで捕まってやってもいいぜ」と笑うのだった。


「いい結果を出してくれたと思う。お前に任せて正解だったよ、ベス。成長したな」


 そう言ってカイに肩を叩かれると誇らしい気分になる。ここまで成長出来たのは、早い段階で新人扱いをしてくれなくなった隊の先輩たちのおかげでもあった。要するに、ラシャだけでなく全員がスパルタだったのだ。


「僕、変わりましたか?」


「そうだな。目つきからして違う。……そう言えばデイジーがお前に会いたがっていたな」


 唐突にデイジーの名が出てきて、どきりとした。カイは僕に下心がないかどうか探ろうとしているのかもしれない。誓ってそれはないし、彼女には卒業式以来会っていない。今は王立学校の最終学年のはずだが、元気だろうか。カイは僕の動揺を見て面白がっているのか、少し笑っていた。


「……デイジーがですか?」


「ああ。来年魔術学院に入るんだと息巻いているよ。ベスの卒業式に刺激を受けたらしい。で、1月末にある王立学校の卒業式、見に来て欲しいそうだ」


「行っていいんですか、僕が。部外者みたいなものですよ」


「本人の希望だからな。行くんだったらその日に任務は入れないように調整する。……さて」


 カイは表情を引き締める。


「日常を守りたいなら俺たちが仕事をするしかない。今日も新たな任務が目白押しだ。行くぞ」


 そう言うと、すたすたと先へ行ってしまう。優しく強い、僕が理想とする背中。追い付くにはまだまだ時間が必要だが、いつか必ず彼のような魔導師になってみせる。犠牲になったジョエルや乳児院の子供たち……僕の心の深い場所で眠る彼らに、少しでも恥じることのないように。


「はい!」


 気合いを入れて答え、僕はカイを追い掛けたのだった。





 ―END―







最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

近い内に番外編を公開していきたいと思います。

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