10、翻弄
トワリス病院は9年前、スタミシアに開院した精神病院らしい。そこへ向かう道すがら、ラシャから説明を受けた。スタミシア支部の医務官だったベロニカさんという人が、苦労して開院にこぎ着けたという。僕も名前だけは聞いたことがあったが、詳細は知らなかった。
「病院という名前だけど、実際、半分は児童院になっているんだ。各地で救出された『無垢な労働者』を保護するためにね。カイ副隊長は定期的に顔を出して、子供たちと交流しているんだよ」
ラシャは誇らしげにそう話すのだった。しばらくして、目の前に広大な庭園が現れた。植物にはちょうどいい季節だからか、繁った木々の緑も、咲き揃った花壇の花も目に鮮やかだ。庭園の真ん中を突っ切るように通路が伸び、3階建ての立派な建物に繋がっていた。あれがトワリス病院なのだろう。
通路の右側にある少し開けた場所は公園になっていて、そこで十数人の子供たちが楽しそうに駆け回っていた。
「あーっ、ラシャだ!」
通路を進んでいると、公園で遊んでいた子供たちの一人が声を上げた。その声を合図にしたように、彼らはわらわらと僕らの周りに集まってきたのだった。
「ねえ、ラシャ、遊ぼうよ!」
「カイは? カイは来てないの?」
「そっちの人、だあれ?」
一斉に喋り出すから、聞き取れたのはそれくらいだった。一番小さな子が4歳くらい、上は8歳くらいだろうか。僕の弟たちと同じくらいの年代で、かわいらしいなと思った。
「彼はね、魔術学院の学生さん。魔導師の卵だよ。ベスっていうんだ」
ラシャが僕を紹介しているところへ、医務官の男性がやってきた。焦げ茶色の髪で、頬にあるそばかすが印象的だ。30代半ばくらいだろうか。
「みんな、休み時間は終わりだよ。教室に戻ってね」
「はーい!」
子供たちは元気に答え、建物へと走っていった。医務官は僕とラシャに向き直り、会釈した。
「すみません、ラシャさん。子供たち、元気が有り余っていて。……はじめまして。私はここの医務官、エドマー・ワーズです」
彼はそう言って、僕に微笑んだ。
「学生さんかな?」
「はい。監察科の二年生、ベネディクト・テディ・ヘイデン・ガレットです」
「監察科の子が、病院の見学かい?」
エドマーは怪訝な顔をする。ラシャが代わりに答えた。
「メニ草の被害について学んでもらうには、ここが一番かと思いまして。特に子供たちのことを」
「そうですね、確かに。自分の目で見ることは大切です。案内しますよ」
エドマーは先頭に立って歩き始めた。病院の中は外からの陽がよく入って明るく、壁も床も綺麗だった。待合室の大きな窓の外には庭園の美しい風景が広がり、病院とはいえ心休まる空間になっている。ぼーっと眺めていたい気分だ。
「ベロニカ院長、残念ながら今日はキペルの方へ出向いているので不在なんです」
エドマーは廊下を進みながら申し訳なさそうに言い、ラシャが首を横に振った。
「いえ、構いません。いつも病院のために奔走されていて、本当に頭が下がりますよ」
「少しくらい休んでもらいたいんですけどね。いつか倒れるんじゃないかと心配で。そういえば、この間発売された『青葉』に院長の書いた記事が載ったんですが、ご存知ですか?」
『青葉』はリスカスでも高尚な方の雑誌だ。社会情勢、経済、各種研究の論文だとか、主に上流層が読むような内容になっている。僕が愛読する低俗な『枯れ草』は、この雑誌との対比でタイトルが付けられたらしい。
「読みました。カイ副隊長が、第一隊全員に強要したんで」
カイのあの怖い顔を見てしまった後だと、ラシャの言葉が冗談なのか事実なのか分からなかった。エドマーが笑ったから、どうやら冗談だったようだ。
「そうだ、あれ、ベスも読むべきだと思うな。エドマーさん、その号ありますか?」
「ええ、ちょうどこっちに」
彼は廊下を左に折れ、資料室のような部屋に僕らを案内した。そして手近な棚から雑誌を一冊抜き出し、ぱらぱらとページを捲って僕に差し出した。
「どうぞ。そこまで長くないから、5分あれば読めると思う」
「ありがとうございます」
僕は雑誌を受け取り、記事に目を落とした。
―メニ草に翻弄される子供たち―
ベロニカ・ハウ(トワリス病院・院長)
日々の生活の中で『メニ草』という言葉を耳にしないあなたは、幸せである。
まず、メニ草はリスカスでは違法な、使用・所持・栽培全てが禁止されている危険な植物であるということを強調しておく。
この植物をそのまま、あるいは成分を抽出して摂取すると、容易に多幸感を得ることが出来る。もっと言えば、確実に嫌なことを忘れられる、現実から逃れられる、魔法のような植物(私は悪魔のような植物と呼びたい)なのである。メニ草は根以外の全てに有効成分が存在し、現在では、乾燥し粉砕したものが闇取引の主流となっている。
問題となるのはその高い依存性と、効果が切れた際に引き起こされる様々な離脱症状だ。一、二度目までなら、隔離して治療を徹底すれば数年で元に戻ることもある。それ以降は、依存性が無くなるまでに10年単位の時間を要する。
メニ草の効果が切れると、ほとんどの場合、使用者の男女を問わず暴力的になる。どれほど優しい人格者でも、愛情深い母親でも、この植物の前では無力と言っていい。酷い時には殺人にまで発展することもある。年々減ってはいるが、昨年の資料では年に13件、メニ草関連の殺人事件が発生している。
それを踏まえて、読者の方々には考えて頂きたい。メニ草が人間に、特に子供にもたらすものが、一体何であるかを。
メニ草は現代のリスカスでは自生しないと言われている。繰り返す。自生しないのである。
であれば、それがどのようにしてここまで蔓延っているのか。それを育てている人間がいるのだ。彼らを、栽培人と呼ぶ。
メニ草の栽培、収穫には多くの人手が必要となる。一つ一つの畑はそれほど大きくないが、リスカスの各地に恐らくまだ30ヵ所は存在するためだ。自警団が苦労して畑を一つを潰しても、また別の場所に一つ増える、いたちごっこの状況になっている。
人の手が加えられたメニ草は環境の変化に強く、冬になっても枯れることはない。一年を通し、刈った部分からまた新たに成長するという厄介な性質を持っている。畑で常時人手が必要とされるのはこのためだと考えられる。
そして畑の労働力として犠牲になっているのが『無垢な労働者』と呼ばれる、年端もいかない子供たちなのである。その多くは親がメニ草の使用者であり、十分な庇護を受けられなくなった子供たちだ。あるいは、宿もなく街にたむろしたり、施設から逃げ出したりした子供たち。
メニ草の売人や彼らに雇われた人間が、その子供たちを拐って畑で働かせる。昼も夜も無く、劣悪な環境の中でだ。当院で保護した子供たちから聴き取った話によると、罰として鞭打たれたり、病気になれば捨て置かれ、亡くなっていく仲間もいたという。
読者の方々、目を逸らさずに読んで頂きたい。これがリスカスの現実なのである。更に酷い話もある。畑から逃げ出そうとしたり反抗的であったりする子供は、栽培人にメニ草を使われたりする。どうなるかは想像に難くないであろう。その子供が保護されたときには既に廃人であった。懸命に治療を続けているが、未だに人の世話がなければ生きられない状態だ。
私がトワリス病院を作ったのは心の治療に力を入れるためだが、現在、患者の半数以上を何らかの心の傷を負った子供たちが占めている。余りにも多い。それがトワリス病院に児童院を併設した理由だ。
保護された子供たちはここで傷を癒し、両親の元へ戻り(非常に少ないケースではある)、あるいは自立して生きていくことになる。
そこでまた困難が訪れるのだ。子供たちの行く末にメニ草が影を落とす。「メニ草畑で働かされていた子供は、将来メニ草を使うようになる」あるいは「既にメニ草中毒である」。根も葉もない偏見で、彼らは差別されるのである。
私はこの9年、その差別と闘ってきた。そうではないという根拠となるデータを示し、各方面に説明を尽くしてきた。それでも未だに、一部で偏見が根強く残っている。
罪のない子供たちがその人生をメニ草に翻弄され続ける、私はそんな世の中にはしたくない。だから、医務官として闘い続けるのである。
最後に、我が恩師である自警団医療部の元医長、レナ・クィンの言葉で締めさせて頂く。
傲ることなく、人として命に向き合え。医務官として患者に向き合え。魔導師として、苦難に立ち向かう勇気を忘れるな。




