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1、卒倒

『人々の魔力の有無については従来より研究がされているが、“遺伝ではない”ということ以外、未だその謎は解明されていない。ところがこの度、スタミシアのベッケンス博士がその真実に迫る仮説を――』


 馬鹿馬鹿しい。僕は寮の自室で読んでいたゴシップ誌を机の上に放り投げた。その仮説とは『赤ん坊の頃から睫毛まつげがふさふさだと、魔力がある』だそうだ。当てはまらない例なら今すぐ出せる。僕だ。赤ん坊の頃だけでなく、15歳になった今でも睫毛はふさふさから程遠い。

 それでも魔力はあったのだ。両親、兄3人、姉2人、弟2人……大家族の全員、僕以外に魔力を持つ人間はいない。普通はこれだけ兄弟がいたら、何人かは魔力を持っていても良さそうなものだ。もしくは僕にも魔力がないとか。不思議なこともあるものだ、と両親も首を捻っていた。

 しかし、その不思議なことのおかげで僕はこの高等魔術学院に入学出来た。毎年、二学年への進級時に生徒の6割がふるい落とされる学校だが、無事に監察科に進級出来たのは自分の努力のおかげだと思いたい。


「課題、終わったのか?」


 隣の机で勉強していたクライド・リューターが、僕が放り投げた雑誌にちらりと目をくれた。彼ならベッケンス博士の仮説に当てはまるだろう。睫毛がふさふさだ。医務官を目指して医療科にいる、寮の同室者、かつ僕の友人。

 彼の精緻せいちな彫刻みたいに整った顔は、いつ見ても惚れ惚れするような美しさだった。透き通ったブロンドは絹糸のように綺麗だし、医務官でなければ間違いなく自警団の第二隊に配属になる、と誰もが噂する。


「それならさっき終わらせた。医療科ほど大量には出されないからね」


 僕は言って、クライドの机の上を見る。医学書の山だ。


「へぇ。じゃあ、俺のを手伝ってくれてもいいんだけど」


 彼は医学書を一冊、僕に投げて寄越よこした。開いてみると、創部回帰術における注意点が云々うんぬん……、僕には理解出来ない小難しいことが書いてある。


「そっちの課題って、何?」


「『切創せっそうの治療における適切な魔術』について、レポート提出。明後日まで、二千字」


「すごい。さっき僕が読んでた記事より長いぜ」


 感心しながら医学書を返す。僕には畑違いもいいところだし、監察科はどちらかというとその切創をせっせとこしらえる側だ。

 クライドはため息のような小さい吐息を漏らして、また課題に取り掛かり始めた。連日出される大量の課題にさすがの彼も疲れているのだろう。6月の時点でこれなのだから、卒業試験の前になったら彼はしかばねになるに違いない。

 リスカスでは2月が新年度の始まりだ。ほとんどの学校ではその年の1月1日から12月31日までが同じ学年になるから、1月生まれは入学時点で他の生徒より一つ年上ということになる。無論すぐに追い付かれるのだが、年上を理由にクラスのまとめ役を任されることが多い。僕もまさにそれで、少し損をした気分になる。


「ベネディクト・テディ・ヘイデン・ガレット」


 クライドは視線をレポート用紙に落としたまま、不意に僕の正式名を呼んだ。ガレットが姓で、後は名前だ。長いから、ほとんどの人は文字を摘まんでベス(Beth)と呼ぶ。彼も、いつもはベスと呼ぶのだが。


「何?」


「白衣の洗濯とアイロンがけを頼んでいいかな。忘れてた。明日、病院で実習なんだ」


 なるほど、頼み事か。珍しいことだ。確かに彼は今、課題から目を離す暇も無さそうだった。レポート用紙の上を走るペン先からは煙が出そうな勢いだ。

 時刻は既に21時を過ぎている。22時に消灯だから、洗濯室を使いたいなら急いだ方がいい。魔術を極めれば洗濯もアイロンがけも一瞬で出来てしまうらしいが、学生のレベルで出来るのはせいぜい乾燥くらいだった。


「分かった。白衣、どこ?」


 普段から彼に勉強を教えて貰っているから、これくらいは喜んでする。むしろ、させて頂く。


「鞄の中」


 僕はクライドがいつも使っている鞄を開けた。ぐちゃぐちゃに突っ込まれた白衣がある。今日も授業で使ったのだろうか。取り出してみると、前面と袖にべっとりと血が付いていた。微かに獣臭もする。


「うへぇ。これ、何の血?」


「鹿。眠らせ方が甘くて、治療の途中で大暴れしたんだ。大変だった」


 苦労の滲む声で彼は言った。人間の治療の練習を動物で、というのは分かるが、鹿はちょっと大きすぎないだろうか。僕ら監察科が走り込んだりサーベルを振り回したりしている間、彼らは違う種類の苦労をしているらしい。


「お疲れ様。じゃ、行ってくるね」


 僕は白衣を手に洗濯室へ向かった。



 こんな時間に洗濯をする生徒はあまりいないから、広い洗濯室はがらんとしている……はずだった。

 賑やかだった。流し台の前には私服姿の生徒たちが5人、ずらりと並び、ばしゃばしゃ音を立てながら一心不乱に洗濯をしている。全員医療科の生徒だ。


「どうしたの、みんな」


 一番端にいた女子生徒、ジジに尋ねた。振り向いた彼女の焦げ茶色の髪には、跳ね飛ばされた石鹸の泡がいくつか付いていた。


「えっ? ああ、明日病院実習なの。汚い白衣で行ったらぶっ飛ばされるんだけど、今日に限って血まみれになっちゃって。課題が終わらなくて、もうこんな時間……ベス、あなた医療科だった?」


 僕が手にした白衣を見て、彼女が首を傾げた。


「これ、クライドのだよ。頼まれた」


「人に頼むなんて、ずるい奴! でも洗い場空くの待ってたら10時過ぎるよ。洗うものいっぱいあるんだから。ついでにやっといてあげる」


 ジジは僕の手から白衣をぶん取って、自分の洗い桶に突っ込んだ。有り難いが、ずるい奴なんて言葉、クライドが聞いたらすごい顔をするだろうなと思う。

 しかし実際のところ、同期の女子がクライドに好印象を持っているかといったら、確実にノーだ。最初こそ彼の容姿を見てきゃっきゃと騒いでいた彼女らも、彼の素っ気なさ、プライドの高さ、何より妥協を許さない厳しすぎる性格に現実を見たようだ。

 いや、もっと単純なことだろうか。愛想が無いのだ、彼は。人に好かれる努力を勉強の方に回したいと、はっきり言っていたような気もする。


「じゃあ、僕がアイロンかけるよ。皆の分も」


 必死に洗濯をする彼らを前にして、自分のだけとは言いにくい。幸い、家事は得意な方だ。


「まじで? じゃ、これ、よろしく!」


 反対側の端で洗濯をしている日焼けした男子、リローが絞った洗濯物の塊を投げて寄越す。白衣以外に、灰色の制服や中に着ているシャツもあった。これも汚れたのか。壮絶な授業だったようだ。

 ばさばさと服を振って魔術で乾燥させ、手早くアイロンをかける。アイロンももちろん、魔術で熱して使うものだ。一般家庭では小型のストーブの上に置いて表面を熱してから使う。僕の実家で、乳母兼使用人のデンバス婆さんがそうやっているのを見た。

 洗濯もいつの間にやら分業制になっていた。洗いとすすぎを別の人が担当して、リローが絞って乾燥させ、僕がアイロンをかける。


「君たち、あと15分しかありませんよ。規則というものを舐めているんですか」


 リローが僕ら監察科の担任、チェス教官の声色を真似た。全員がけらけらと笑う。結構、似ているのだ。『舐めているんですか』は彼女が怒ったときの口癖だった。


「やめろよ、怖いんだぞ……」


 医療科の彼らには、チェス教官の恐ろしさは分かるまい。何より、彼らを含めたほとんどの生徒は知らないのだ。彼女が元近衛団長のエディト・ユーブレアだということを。しかし僕も、教官同士の会話をちらりと耳にしなければ知らなかったかもしれない。


「いいから、急げ急げ。ヒルダ、ハーリー、そこの水滴ちゃんと拭いておけ。桶の場所はそこじゃなくてあっちだ、カール」


 リローが指示を出しながら次々洗濯物を放って寄越す。リーダー気質で頼りがいのある生徒だ。彼も1月生まれだった。クライドは彼が苦手みたいだったが、僕は嫌いではない。

 そこからは皆大急ぎで片付けを済ませ、アイロンをかけた洗濯物をひっ掴み、洗濯室を出た。22時まであと3分。定刻ぴったりに舎監の点呼があるから、部屋の前に整列していなければならない。こうやって必死で廊下を走るのも、学生時代の醍醐味だいごみだと思う。

 部屋の前の長い廊下には、既にずらりと生徒たちが整列していた。僕も息を整えながらいつもの場所に並ぶ。隣に立つクライドに白衣を渡そうとして、気付いた。

 彼が、いない。

 廊下の端には既に、黒い制服姿の舎監フローレンス・グルー教官がいた。優しそうな女性名だが男性だ。はしばみ色の短髪から覗いた両耳にはいかついピアスが光っている。聞いた話によると、昔は鼻にも唇にもピアスがあったらしい。僕らの一年次の担任で、チェス教官ほど恐ろしくはないにしても、それなりに厳しい人だった。

 僕は部屋に入ってクライドを呼ぼうと思った。きっと、疲れて寝てしまっているんだ。これくらいならグルー教官は大目に見てくれる。


「ベス」


 教官はもう、僕らの部屋の前まで来ていた。


「クライドは?」


「部屋にいるはずです。たぶん、勉強で疲れて居眠りを。僕はさっきまで洗濯室にいて……」


 言い訳がましく説明すると、教官は僕が手にした白衣をちらりと見て、次に部屋のドアを見た。


「呼んでこい」


「はいっ」


 僕は慌ててドアを開けた。天井のランプは僕が部屋を出たときと同じように点いていたが、一瞬、目がおかしくなったのかと思った。これは僕らの部屋じゃない。部屋の中が真っ赤だなんて、そんなことは有り得ない……。

 その赤い色が血だと気付くまで、数秒掛かった。壁も天井も血塗ちまみれなのだ。頭が考えるのを拒否し始める。でも、視線が勝手に部屋の中を巡る。そして同じく赤に染まった床の上に、見てしまった。臓物がぶちまけられたみたいに、てらてらと光る物体があるのを。

 僕は、卒倒した。

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