詩を綴ってはいけないの?
窓を閉じ日の光を浴びて
携帯に映る悲しいニュースに
心を病んだ物書きは
生ぬるい風を感じることもなく
カタカタとキーボードで
『命』を打ち鳴らす
「死ぬな」とか
「生きろ」とか
君に届くかは運次第
全ては安全圏からの言葉だから
言うならば軽くて塵の様なゴミ
結局は自己満足
心の底から誰かの幸せを願っているか
満たしたいのは承認欲求なのでは?
……そうだよ
誰かが死ぬことで
私は『命』を語れる
誰かが傷つくことで
私は『命』を打ち鳴らす
ねぇ誰か
安全圏からの言葉を重くする方法を
教えてくれないか
このままじゃ軽くて飛んでっちゃいそうだ
自分が傷つくのは怖くって
自分を語ることも怖くって
誰かの「疲れた」って言葉を解釈して
承認欲求まみれの「大丈夫?」を書き込む
誰かの「死にたい」を勝手にパクって
承認欲求まみれの「大丈夫!」を書き込む
心の底から燃えるような『命』を
打ち鳴らす術は私には無くて
長々とこんな言い訳を記している
自分の言葉で誰かの人生が変わると
そんなことを想いながら
ねぇ誰か
安全圏からの言葉を重くする方法を
教えてくれないか
このままじゃ軽くて飛んでっちゃいそうだ
私の記す『命』の言葉
何の意味が在るの?
誰かが悲しい顔をしていたら
ハンカチの様な柔らかい言葉で
涙を拭ってあげたい
そんな想いで詩を綴ってはいけないの?