私のエッセイ~第七十四弾:我が懐かしき教科書物語~光村図書:小学国語(四年生編)
(※) おなじみの「追加情報」です。
今回のエッセイの主旨に反するんですが・・・昭和世代の皆さんには懐かしい動画を紹介します。
これは、小学校高学年の「道徳」の授業でよく観ていた、NHKの教育番組『明るいなかま』『みんななかよし』の主題歌でして・・・われわれ昭和40年代生まれのオヤジたちが、一度は通過する名作だと思います。
ぜひ、少年・少女時代に「タイムスリップ」してみてください。
(画質は・・・ごめんなさい!良くはありません・・・)
ご存じない若い世代の方も多いとは思いますが・・・楽しいので、ご覧ください。
1.『明るいなかま NHK教育テレビ』→ UP主様は、「MK日記」様。
2.『みんななかよし NHK教育テレビ』→ UP主様は、「MK日記」様。
3.『みんな なかよし ( テーマ曲のみ、少しだけになります。)』
→ UP主様は、「日本の子供たち」様。
4.『明るいなかま3番』→ UP主様は、「maekazu37」様。
5.『明るいなかま(公園の砂の少ない砂場に砂を入れるのに仲間で大奮闘!)』
→ UP主様は、「中嶋正樹」様。
いかがだったでしょうか・・・?
昔に戻った方・・・そして、新鮮な気持ちになった若い読者の皆様。
それぞれに、何か感じてくださったなら、うれしいですネ。
それでは、以下のエッセイ本文にGO!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
皆さん、こんにちは!お元気ですか・・・?
お盆を過ぎたとはいえ、まだまだ暑い日が続きますので・・・くれぐれも、お体を壊さぬよう。
さて、本日は、ノスタルジーあふれるお話。
皆さんも少年・少女時代に通過してきた、小学校の授業・・・その中で今回は、「国語」の教科書の中の物語を、少ないですが厳選して取り上げたいと思います。
これは、私の母校であります「Y市立K小学校」で採用されました、文部省検定済教科書「光村図書出版株式会社」の国語の教科書中に載せられていました物語です。
それらから私がピックアップした物語に対し、簡単なあらすじと、齢50過ぎになったオヤジの私が、ときには簡単な「感想文」を付け加え、皆様にお届けしようと・・・このような企画なのであります。
もちろん、全文掲載はできませんので・・・皆さんがもし、これらの物語を一度でも授業で受けて、記憶しておられた場合、ほんの少しの「ヒント・キーワード」でもって、鮮やかに当時の「なつかしい記憶」がよみがえってくると思うんですね。
実は、それを願っての今回のエッセイなんです。
ですので、このエッセイそのものには、「人を感動させる要素」というダイレクトな魅力はないのかもしれません。
しかしながら、読み手のなつかしい記憶を呼び起こすキッカケ・・・あるいは、物語を知らない方への、なんらかのヒント、新たな読み物へのいざない・・・こういった役割は果たせるものと確信しております。
前置きが長くなりましたが・・・おのおのが「超・薄っぺらい解説」になっている感はありますが、とりあえず、四年生の教科書から参りましょうか・・・。
(※) なお、私自身は、ある出来事がきっかけで、たまらなく昔がなつかしくなり、出版社に電話して、これらの教科書現本を、1990年に取り寄せました。
また、これら国語の教科書の物語中のセリフの部分・・・つまり「」でくくられた文章の最後には、「。(=マル)」つまり、「句点」がはっきりと書かれています。
一般的な小説では、「」の中にはこの句点は入れず、「彼は言いました。」ではなくて、「彼は言いました」のような表記法をとります。
しかしながら私は、自身のオリジナル小説やエッセイにおいて、あえて前述の「教科書方式」を採用してまいりました。
その理由としまして・・・こちらのほうが、個人的になんとなく「セリフに魂が吹き込まれる。」様な気がしたものですから・・・。
あと、私の書き物には、文中にやたら括弧書き・・・つまり「」とか『』が出てきます。
実はコレもですね、小学国語の教科書での論説文の書式にならったものなんですヨ。
文中の「単語」なり、「フレーズ」を、このようにして強調する目的ですね。
では、マジで能書きが長くなりましたが・・・行ってみましょう。
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【光村図書 国語 四上 かがやき】【光村図書 国語 四下 はばたき】より
1.『白いぼうし』:あまんきみこ作
→ 冒頭部はこうです。
「これは、レモンのにおいですか。」
ほりばたで乗せたお客のしんしが話しかけました。「いいえ、夏みかんですよ。」
運転手の松井さんは、いなかのお袋さんが送ってくれた夏みかんを、タクシーの車内に載せていました。
車内は、夏みかんの放つ芳香でいい匂い。
そんな松井さん、道路わきに置いてある、帽子を見つけました。払いのけてみると、中から一匹の「もんしろちょう」が。
それは、その帽子の主の幼稚園の男の子が、つかまえた蝶を閉じ込めておくために置いたものでした。
松井さんは、蝶の代わりに、夏みかんを帽子の下に入れました。
車に戻ると、車内の後部座席には、おかっぱ頭のかわいい女の子が。
外では、帽子を取りに来た男の子が、いなくなった蝶の代わりに入っていた夏みかんにパニクっています。
女の子にせかされるまま、車を走らせる松井さん。
気がつくと、女の子の姿は無く、車内には夏みかんのかすかな香りだけが残っていました。
・・・もしかしたらそれは、あの逃げた蝶の化身だったのかもしれませんね。
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2.『とびこめ』:レフ・トルストイ作:西郷竹彦 訳
一そうの船が、世界を航海して、帰りの旅をしていました。
甲板で楽しむ人々。
その中には、大きな体のサルが一匹いました。
サルは、はじめ人々をからかったり、ふざけて楽しませていましたが、やがて12歳の船長の息子の帽子をひったくると、するするとマストによじ登り、少年の帽子をビリビリに引き裂き、下にいた少年をバカにするしぐさを見せます。
怒った少年はサルをこらしめてやろうと、自分もマストに登り・・・しまいには、マストに横に張られた帆の「横げた」を渡り始めました。
少年は、おそるおそる歩を進め、もう後戻りもできないほど高い位置にひとり取り残されてしまいます。
もし甲板にこの高さから叩きつけられたら、粉みじんです。
かたずを飲んで見守る人たち。
すると、父親である船長が、船室から持ってきた鉄砲を少年に向けて叫びました。
「海へ、海へすぐ飛び込むんだ、撃つぞ!」
意を決した少年は、まっさかさまに海へ飛び込みました。
船に引き揚げられ、なんとか一命を取りとめた少年。
船長は、その様子を見届けると、大きな声でうめき声をあげ・・・泣く姿を人に見られないように、自分の船室に駆け込んだのでした。
父親であり、船長である彼の、とっさの判断と決断力、息子を想う強い心・・それらが貴重な命を救ったんですね。
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3.『一つの花』:今西祐行作
→ 冒頭部は、こうです。
「一つだけちょうだい。」
これが、ゆみ子のはっきりおぼえた最初の言葉でした。
まだ戦争が激しかった頃、おまんじゅうや、キャラメル、チョコレートといったお菓子はもちろん、お米さえ無く、食べるものといえば、配給される「おいも」「まめ」「かぼちゃ」しかありませんでした。
いつも、おなかをすかせていたゆみ子は、ご飯のとき、もっともっとと食べ物をほしがりました。
するとゆみ子のお母さんは、「じゃあね、一つだけよ。」と言って、自分の分も、ゆみ子に与えてしまいます。
お母さんの言った「一つだけ」・・・それがゆみ子の口癖になりました。
やがて、ゆみ子のお父さんが召集されて戦争に行くことになり、ゆみ子とお母さんは、遠い汽車の駅まで、お父さんを見送りに行きます。
汽車の中でゆみ子は、お母さんのかばんの中に入ったおにぎりを欲しがり、「一つだけちょうだい、おじぎり、一つだけちょうだい。」と言って、駅に着くまでに全部食べてしまいました。
そして、お父さんが汽車に乗って、いざ、戦地に向かう段になって・・・またゆみ子の「一つだけ」が始まりました。
・・・もう、おにぎりなど、ひとつも残っていません。
だだをこねて、泣きやまないゆみ子。
それを不憫に思った父親は・・・プラットホームのはしっこに、忘れられたように咲いていたコスモスの花を見つけ、ゆみ子にあげました。
「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよう・・・」
キャッキャッと、足をばたつかせて喜ぶゆみ子。
その様子を見届けた父親は・・・にっこり笑うと、何も言わずに汽車に乗っていってしまいました。
ゆみ子の握っている、一つの花を見つめながら・・・。
・・・それから、十年の年月が過ぎます。
もう、ゆみ子は、お父さんの顔すら覚えていません。
ゆみ子の住む、「とんとんぶきの小さな家」は、今、コスモスの花でいっぱいに包まれています。
そこに響くのは、お母さんがミシンで何かを縫っている音。
そんな中、買い物かごをさげたゆみ子が、スキップをしながら、コスモスのトンネルをくぐり、町へ買い物に出かけます。
今日は、日曜日。
ゆみ子が小さなお母さんになって、お昼を作る日です。
~ ~ ~ ~ ~
4.『ごんぎつね』:新美南吉作
昔々、ある村から少し離れた山の中に、「ごんぎつね」という、いたずら好きな小ぎつねが住んでいました。
彼は、村の作物を食い荒らしたりして、悪さの限りを尽くしていました。
兵十という村男が川に仕掛けた「びく」の中の魚を外に放り出したり、中の大きなうなぎまで盗み、いたずらをしかけます。
「うわあ、ぬすっとぎつねめ!」
怒鳴りながら追いかける兵十でしたが、まんまとうなぎを持っていかれてしまいます。
それから十日ほどたった頃、村で葬式がありました。
どうやら、兵十のお母さんが亡くなったようです。
ごんは、兵十のお母さんが、死ぬまぎわにうなぎが食べたくなって、そのためにあのとき兵十が川にうなぎを捕りに行ったのだと思いました。
そして、自分がそのうなぎを奪ってしまったために、彼のお母さんが最後にうなぎを食べることができずに、死んでしまったのだとも。
兵十を不憫に思ったごんは、それからというもの、ことあるごとに兵十の家に、いわしやら、栗やらを、こっそり置いてくるようになります。
きっと、彼なりの「罪ほろぼし」のつもりだったんでしょう。
兵十は、いったいどこの誰がそんな親切なことをしてくれるのだろうと不思議に思い、そのことを、村の農家の加助という人に話します。
話し合った二人は、それが、ひとりぼっちになってしまった兵十をあわれに思った神様が施してくださったものと判断します。
そんなある日のこと。
いつものように、兵十のために栗を持ってきたごんは、裏口から家の中へ入りました。
その様子を見ていた兵十は、ごんがまたいたずらをしにやってきたのだと思い込み・・・家から出てきたごんを、火縄銃で撃ってしまいます。
ごんは、バタリと倒れました。
兵十がふと家の中を見ると、土間に栗が固めておいてあるではありませんか!
「ごん、おまえだったのか、いつも栗をくれたのは・・・。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
火縄銃をバタリと取り落とす兵十。
あとには、銃口から立ちのぼる、青い煙があるばかりです・・・。
いたずら好きなごんでしたが・・・芯はとっても優しいきつねだったんですね。
惜しむらくは、兵十が、そんなごんの、本当の「心根の優しさ」に気づかず、ずっと「わるぎつね」と思い込んだまま、その事実を知る機会がなかったことです。
かわいそうなごん・・・でも、きっとこのあと、兵十によって手厚く葬られ・・・天国で兵十と再会したとき、今度こそ、仲の良い「親友」として、ほほえましくも美しい、新たな関係を築いてゆけるような気がします。
そして兵十も・・・生きている限り、そんなごんの優しさに感謝し、折に触れて彼の恩義に涙し・・・きっとあの世でのごんとの熱き友情を誓ったことでしょう。
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次は、小学五年生の国語の教科書編でお会いしましょう。では・・・。
m(_ _)m