エルとルーシー
深淵の森を拠点と定め、住みだすこと早や三ヵ月、水竜の湖の畔には立派な二階建てのログハウスが出来上がっていた。もちろん筋トレルーム完備である。
さすがにトレーニングマシンはこの世界にはなかったが、バーベルやダンベルといった器具はあったので、街で買ってここまで運び込んでいた。もちろん筋トレするときは身体強化魔法をオフにする。
ここのところの修行の課題は身体強化魔法の練度の向上と戦闘訓練がメインだ。そのために魔物に合わせて強化の度合いを調整し、ギリギリの戦闘をすることにしていた。
こちらの世界に来てからはとにかく身体強化をしてぶん殴って終わり、そんな戦闘ばかりしていたので勘が鈍っていた。まずは勘を取り戻す。それが最優先だった。
「大分ここの生活にも慣れてきたな。ヴァーサの言ってた通り、色んな果物もなってるし、旨くて強い魔物がいるから修行相手にも困らない。まさに俺にとっては最高の環境だな」
リクがそろそろ第一回の遠征に出てもいいかもなと考えていると森で爆発音が聞こえる。そしてほぼ同時にヴァーサが声をかけてきた。
「リクよ、二人ほどここに向かっている者がおる。なかなかの手練れのようだ」
「珍しいな。分かった、ちょっと行ってくるよ」
「うむ、頼んだぞ」
ログハウスから飛び出すと魔法が炸裂している方へと駆けていった。
時は少しさかのぼり、五日前のスプール王国。不機嫌そうな顔で、王都ハルを歩いているのはリクの元パーティメンバーのエルだ。
「あんな貧弱そうなボンボンと結婚しろだなんてどういうことよ。あれじゃあ私の魔法一発で死ぬじゃない。私が大魔導師になってもまだ政略結婚の駒にしようだなんて」
一度は帰って来いと頼まれて渋々帰ったエルは、実家に着くと早々にお見合いをさせられたので、すぐさま王都へと戻ってきていた。
だが彼女の機嫌が悪いのは、それではないことに因るものが大きい。待てど暮らせどリクからの連絡が無いのだ。
「それにしてもあの筋肉バカ、全然連絡寄こさないじゃない」
拠点が決まったら連絡する、その言葉を信じていたエルはリクからの便りを今か今かと待ちわびていた。
「この二カ月以上殆ど同じ場所から動いてないってことは、もう拠点は出来てるってことよね」
実はリクが旅立つときに送ったペンダントにはエルの魔力が込められており、リクの居場所は筒抜けだった。つまりリクが連絡をしてこないことも想定内だったが、やはりしてこなければ腹も立つというものだ。
「ここで押しかけたらペンダントの事は多分バレるだろうけど、背に腹は代えられないわ。明日、深淵の森に向かって出発よ」
エルが一人決意を固めていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「む、そこにいるのは貧乳女ではないか」
「誰が貧乳女よ!ってアンタなんでこんな所に居るのよ?」
リクですら恐れるエルの特大の地雷を容赦なく踏み抜いたのは他でもない、魔王ルーシーであった。
「勇者リクに忠誠を誓うために決まっているではないか。次の魔王への引継ぎ事項が多くて遅くなってしまったがな」
突如現れて訳の分からないことを言うルーシーにエルが混乱する。
「どういうこと?スプール王国に忠誠を誓うんじゃないの?」
「何を言っておる。我が忠誠を誓うのは我を倒した者だと言っておったではないか」
「そう言われれば確かに…それなら一度国王に謁見して許可をもらいなさい。じゃないとリクが困るから」
エルの言葉にルーシーは分かりやすく渋面を作る。
「むう、面倒ではあるが旦那様が困るのであれば仕方あるまい」
「旦那様?誰の事よ?」
「勇者リクに決まっておろう。もともと我の伴侶を探すためにあのような宣言をしたのだからな」
ルーシーの突然のカミングアウトにエルは思考停止してしまう。いきなりルーシーが現れてリクを旦那様呼ばわりするのだから無理もない。
「おい貧乳女。早く国王の元へ連れていけ」
「貧乳女って言うな!私にはエルという名前があるんだ!」
貧乳という単語によって何とか思考を回復させたエルは、目に少し涙を浮かべながら言い返す。
「ふむ。ではエルよ。妾を早く連れていくがよい」
「くぅ…釈然としない」
こうして二人は国王への謁見を願い出るのであった。
「ふむ、では魔王ルーシーよ。そなたは勇者リクの元へ行くと言うのか?」
謁見の間の玉座に座るフリュー国王は困惑しながらルーシーに問う。当然と言えば当然なのかもしれないが、ルーシーは跪くことなく腕を組んで立ったままだ。
「妾はもう魔王ではないがな。我の主は勇者リクのみ」
不遜な態度で質問に答えるルーシーを宰相や近衛兵たちは苦々しい顔で睨むが、当の本人はまるでそんなことは気にしていない。
王は彼女の言葉に少し考える素振りを見せて再度尋ねる。
「倒した者に忠誠を、か…確かにそう言っておったな。一つ聞きたい。勇者リクは我が国が戦火に見舞われた時には味方をすると約束してくれておる。そなたもその時には力を貸してくれると思ってよいのか?」
「わが主がそう命じるのであればな」
その言葉に王はわずかに安堵した表情を見せる。
「それが聞ければ十分じゃ。勇者リクの元へ行くがよい」
「うむ。では失礼する」
謁見の間から出ていくルーシーを見届けてから王はエルに問う。もちろんエルはきちんと跪いている。
「エルよ、そなたはどうするつもりじゃ?」
「はい。私も勇者リクの元へ行き魔法の腕を磨こうかと」
エルの言葉は王の想定内だった。彼女がリクの元に行ってくれれば、ルーシーが一人で彼の傍にいるよりも安心出来る。断る理由は無かった。
「ふむ、我が国の民であるそなたが勇者リクのそばに居ってくれれば、彼をスプール王国に繋ぎ止めることができるか…あい分かった。そなたも行くがよい」
「はい。有難うございます。それでは失礼いたします」
嬉しそうな様子を隠せずに謁見の間を出ていくエルを見送ると、宰相は国王に話しかける。
「ままならぬものですな」
「それでも悪い結果ではあるまいよ。我が国の最高戦力には動いてもらうよりも抑止力になってもらうのが一番良い。強すぎる力は身を亡ぼす」
「で、ありますか」
苦々しい表情を崩さない宰相に向かって王がまるで自分に言い聞かせるように言葉を続ける。
「ああ、それに勇者リクは我が国の名誉子爵だ。そうそう他の国も引き抜こうとは思わぬよ」
時間は戻って深淵の森。
「あー、あの魔法は…」
地獄の業火のような真っ赤な炎を見たリクは侵入者に当たりを付けていた。
「やばいなー、連絡するの忘れてた。ていうかなんでここが分かったんだ?…気は進まないがとりあえず迎えに行くとするか」
身体強化魔法を発動させ、目にもとまらぬ速さで森の中を疾走する。やがて戦闘を行っている場所に出ると見覚えのある顔が二つあった。
一人は予想通り透き通るような肌に、高い位置でまとめた輝く金髪、翡翠のような瞳が印象的な美少女エル。
もう一人は腰まで伸びた銀髪に、褐色の肌、燃えるような赤い瞳の魔族ルーシーだ。
「なんであの二人が一緒にいるんだ?」
想定外の状況にリクが呆然としていると、ルーシーの水魔法が炸裂して戦闘が終了したようだ。残った敵がいないかと辺りを見渡す二人がリクに気付く。
「あー、やっと見つけた!拠点決まったんならさっさと連絡しろバカヤロー」
「…大変申し訳ありませんでした」
再会早々いきなり暴言をぶつけられるとは思っていなかった。涙を流して感動の再会みたいなシチュエーションも少しは考えたが、自分が悪いのでリクはそれを甘んじて受け入れた。
「つい拠点作りに熱中してしまって…それで、なんでここが分かったんだ?」
「あー、それはその…」
口ごもるエル。完全に聞いて欲しくなかったことだというのが丸分かりだ。
「そんなことより気になることが有るでしょ!」
あからさまな話題逸らしではあるが、確かにリクも気になっていたので聞いてみる。
「ルーシーはなんでここに?」
「決まっておろう。旦那様に忠誠を尽くすためだ」
「えーっと、どういうこと?」
いきなりの旦那様呼びに思考が追い付かない。
「妾を倒した者に忠誠を誓うと言ったであろう?」
「あー…うん、えーっと…」
言っていることは分かるのだが、意味が良く分からないといった様子のリクにエルが助け舟を出す。
「ルーシーは伴侶を探すためにあんなことを言ったらしいわよ。それで次期魔王に引継ぎをしてリクに会いに意気揚々とスプール王国に来たの。だけどすでにリクは旅立った後だったと。それで私と一緒にここまで来たのよ」
「えーっと…つまり俺と結婚するためにここまで来たってこと?」
漸く思考が追い付いたリクが困惑しながら言う。そして自分の口から出たとは思えない信憑性のない言葉に更に困惑する。
「うむ。そういうことだな。…旦那様は妾と結婚するのは嫌なのか?」
いつも自信満々な様子のルーシーが少し表情を曇らせて聞いてくる。
「いやいや、嫌も何もルーシーの事良く知らないんだけど?まだ会ったのだってこれで二回目だし」
「しかし魔族同士であれば強者からの求婚であれば初対面で結婚を決めることも珍しくはないぞ?」
何が問題なのか全く分かっていないといった様子のルーシーに、魔族ってそうなのかとリクは頭を抱える。
「…とにかくいきなり結婚しろとか言われても無理だって。そういうのは段階を踏まないと失敗すると思う」
「ふむ。ではお試し期間ということで同棲するのがよいな。心配するでない、元々旦那様の家で厄介になるつもりでここまで来ているのだから問題ない」
何が問題ないんだと小声で呟きながらリクが再び頭を抱える。その様子を見ていたエルが満を持して口を開く。
「私もリクの家に住むから」
こいつもかと小声で呟き胡乱げな目をエルに向ける。
「……嫁入り前の貴族令嬢の言葉とは思えんのだが…」
「私もリクと結婚するから問題ないわ。こないだ実家で縁談をしつこく迫られたときに、屋敷の三分の一ほどを灰にしたから大丈夫。お父様も諦めているわ」
―何が大丈夫なんだ?この娘、怖すぎない?ていうか屋敷を灰にしたとか冗談だよね?そもそも俺たちいつ結婚するような仲になったんだ?まあ別にエルのことが嫌いってわけじゃないよ?でもここをどうやって突き止めたんだ?―
とめどない疑問がリクの心中に湧き上がってきたが口に出しても無駄な気がして嘆息する。
「まあ…うん。話は分かったよ。とりあえず家に行こう」
「うん!」「うむ!」
楽しそうな二人とは対照的に、人里離れた悠々自適な一人暮らしから婚約者?二人との謎の同棲生活という変わり様に気が重くなるリクであった。
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