051.チーム戦・初戦
「これなら、俺でもなんとかなるな……」
第二アリーナで繰り広げられるチーム戦の初戦――疑似魔術で再現された魔物と戦ってポイントを稼ぐ――を眺めながら、俺は安堵のため息をつく。
視線の先には、ラゼルのチームがゴブリン十体を相手に戦っていた。
ゴブリンって、この世界で初めて見たけれど、サブカル文化の知識通りの姿をしていた。
小学生くらいの体躯に洗濯したら水が一瞬で汚くなりそうな布と、手入れのされていない武器と防具。
一対一ならば、俺でも苦戦せずに勝てそうな気がしてくる。一対一なら。
「おかしいですわね」
「おかしい? ナリーサさん、何か気になる点でもあるの?」
「あ、はい。ラゼル様のチームは、学園でも上位に入る方々がいらっしゃいます。それなのに、魔物がゴブリンだけは、チームの実力に見合った相手とは言いがたいと思いまして……」
ナリーサさんが自信なさげに、俺の問いに答える。
ゴブリン討伐って、駆け出し冒険者が薬草採取とか、お使い系の依頼で、お金を貯めた後、装備が揃ってから挑むイメージがある。
なので、ゴブリンって意外と強いと思っているんだけど、俺の認識誤りなのかな。
俺はスライムですら、強敵と思っているんだけど。顔に飛び掛かられたら、窒息死の危険があるからさ。
「でも、ゴブリンって、冒険者でも梃子摺ることがあるんじゃないの? 学生がゴブリンと戦うだけでも、充分大変じゃないの?」
「リンタローさんの言われる通り、ゴブリンでも魔物は魔物で危険です。でも……」
「リンタロー、前提が間違えているわよ。あいつらは学生だけど貴族。多少なりとも魔物と戦闘したことがあるはずよ。武器を手にしたことがない一般人が冒険者となって、魔物と戦う状況とは違う」
ナリーサさんが口ごもっていると、テトラが横から補足してくれる。
上手く説明出来る自信がなかったのか、ナリーサさんは、どこかホッとした顔をしていた。
「ゴブリンの一番脅威となるのは、奇襲と数。小柄な体躯は、少し背の高い草木に隠れてしまうし、洞窟とかだと岩陰などに潜みやすい。奇襲されて動揺しているところを取り囲まれて攻撃されると、腕に覚えがある冒険者でも危ない」
「そうです。ゴブリン単体の危険度は低いため、油断してしまい命を落とす冒険者が後を絶たないみたいですわ」
「更に小規模な巣でも数十体。規模が大きくなれば百体を越えるゴブリンがいる。そうなると上位種も存在する場合が多い。冒険者が数人で対処が出来る範囲を逸脱する」
テトラの言葉に、ナリーサさんはウンウンと大きく頷く。
俺は頭の中で、見渡す限りゴブリンに埋め尽くされた平野を想像する。
一体、二体ならば、簡単に倒せそうだけど、延々と沸き続けるゴブリンに勝てる気は全くない。
俺は「うげぇ」と思わず声に出してしまう。
簡単には負けないが、勝てる見込みのない戦いなんて精神的にも参るに違いない。
俺は頭を振って、頭の中に犇めくゴブリンイメージを追い払う。
そして、改めてアリーナを確認する。
生徒五名に対してゴブリン十体。
当然、ゴブリンが身を隠す場所なく、丸見えで、奇襲されることはない。
「全員、装備は整っているし、魔術も使える。ゴブリンの方が数が多いけど、楽勝じゃない?」
「ようやく理解が出来たのね、リンタロー」
俺が眉をひそめながら、アリーナを指差す姿に、テトラは嘆息し、ナリーサは苦笑する。
仕方ないだろ、俺は蒐集師としてギルドに登録してるけど、冒険者としては活動してないんだよ。魔物の危険度なんてわからないんだよ。
「おっと、ソーマくん、何を難しい顔しているのかなー。ちゃんと見ておかないと、すぐに終わっちゃうよー」
不意に背中から軽い衝撃と重み。そして、温かくて柔らかい感触。
即座に何が起こったのか俺は理解したが、理解したことを拒否する。
全身の筋肉が強ばり、体の姿勢をホールドする。下手に動けば、体が過剰反応してしまう。
「ソーマくん、なんだか重心の安定感が増したみたいだねー。ソーマくんの成長をみることが出来て、おねーさんは嬉しいやら悲しいやら」
アリシアさんが喋る度に、俺の耳に吐息がかかる。
ゾクゾクとした何かが背中を駆け上がってくる。
ヤバい。
何がヤバいのか、説明できないが、ヤバい。
背中から伝わってくる温かさと柔らかさ。ほんのり甘い香りが鼻腔をくすぐり、頭がクラクラしてくる。
このままでは俺の内に秘めた情熱という獣が暴れだしてしまう。
アリシアさんを俺の背中から振り払うことが、最善の行動だとわかっているのに、体がいうことを利かない。
俺はこんなにも無力だったのか……。
「アリシアさん、いい加減に――」
「ハレンチです! 人目がある場所で! 不適切です!」
「ちょ、ナッちゃん!」
テトラの言葉をナリーサさんが遮ったかと思った瞬間、アリシアさんの慌てた声が響く。
同時に背中にピッタリと貼りついていたアリシアさんの気配が遠退く。
「アリシア先輩! 時間と場所と状況を踏まえてください!」
「な、ナッちゃん、おねーさんは、ソーマくんの緊張を解してやろ――」
「ならば、適切な行動をとってください!」
俺は恐る恐る背後の状況を確認する。
正座をするアリシアさんの正面に、腰に手をあてて立つナリーサ。
二人の普段の姿を見ていれば、想像つかない光景。俺だけでなく、テトラもポカンと二人の姿を眺めてしまう。
「リンタロー様、お顔をアリーナにお向けください」
「っと、そうだった、ありがとう」
いつの間に現れたのか、リズが俺の耳元でソッと囁く。
俺がアリーナに視線を向けたときには、リズの気配は消えていた。
神出鬼没度がアップしているのは、俺の気のせいではないと思う。
『ルッツ、トワ、ダズ、前衛になれ。後衛が魔術を発動させるまで、雑魚どもを近づけるな!』
観客の歓声にかき消されることなく、アリーナに響くラゼルの声。
即座に男子生徒二名と女子生徒一名が、武器を構えてゴブリンの前に素早く移動する。
ゴブリンたちは警戒しているが、即座に生徒たちに飛びかかるような行動はしない。半円状に広がり、前衛の生徒を囲むような陣形をとる。
『Gyoooooo!』
中央のゴブリンが叫ぶ。
恐怖心を煽るような声に、俺は無意識に身構えてしまう。
同時にゴブリンたちが前衛の生徒たちに飛びかかる。
『慌てるな! 倒すことではなく、雑魚どもの足止めだけを意識しろ!』
ラゼルの堂々とした指揮。
前衛の生徒たちは、慌てた素振りもなく、近づいてきたゴブリンに武器――剣や槍――を振るい、追い払う。
深追いせず、前衛同士でフォロー出来る位置をキープする。
「中央の槍を持っている女子生徒、他の前衛に比べて動きがいい。普段から魔物を狩っているのかも」
「テトラ、そんなことわかるのか?」
「……なんとなく、女の勘? あと普段は槍を使ってなさそう。他の二人を援護しやすいように、攻撃範囲のある槍を使っているみたい。体捌きはいいのに、ゴブリンに対する牽制が少しぎこちない」
テトラが横にきて、アリーナの戦闘を分析してくれる。
ちらり、と俺はテトラを盗み見る。
真剣な面持ちで、アリーナを見つめる青い瞳。白い肌に映える金髪が、微風にさらさらと揺れる。
薄紅色の小さな潤んだ唇に細くて形のよい指をあてて、何かを考える素振りを見せるテトラ。
無意識にドキッと俺の胸が高鳴る。
テトラと知り合い、一緒に過ごして、だいぶ時間が過ぎているのだけど、ふとしたときに彼女の姿に心を奪われかけてしまう。
「……リンタロー、話を聞いてる?」
「へ! あ、聞いてる聞いてる」
「本当に?」
頬を膨らませるテトラ。
その愛らしい仕草が俺の心に会心の一撃。
うずくまって悶えたい衝動に駆られるが、なんとか耐える。
「あ、ああ……。真ん中の女子生徒は、ゴブリンの動きに合わせて、立ち位置を頻繁に調整しているのは見てわかったよ。槍で攻撃――突いたり薙いだりが、ゴブリンに当たってないのが変ってこと?」
とっさにテトラの指摘した前衛の女子生徒について、自分の感想を述べて誤魔化す。
的外れな感想ではなかったようで、テトラが少し驚いたような顔をした後、ウンウンと頷く。
彼女の反応に、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「リンタローも目が鍛えられているね。よきこと。この戦いは、いかにチームの消耗を避けて、魔物を倒せるか。前衛の役割は、後衛が魔術を発動するまでのわずかな時間を確保すること。魔物を倒すことを目的にしていないから、一番戦闘経験のありそうな女子生徒を前衛中央に置いて、更に槍で魔物を近づけさせないことだけに集中させているみたい、たぶんだけど」
「なるほどね。パーティー戦で、自分が倒す必要はないから、とれる戦法か」
納得しながら、アリーナを眺めていると、後衛の男子生徒――パウルに動きがあった。
『前衛、タイミングを合わせて散開しろ! パウル、雑魚どもを全て塵芥に還せ!』
ラゼルの声が響くと同時に、前衛が素早くゴブリンから離れる。
そこにパウルが駆け込むと、彼を中心に炎の波が広がり、すべてのゴブリンを飲み込んでいく。
炎の波が消えた後、ゴブリンの姿はなかった。
塵すら残らない結果に、周囲は一瞬静まり返る。
そして、溢れんばかりの大歓声が巻き起こる。
「……くだらない」
心底つまらなさそうに、テトラが呟く。
ラゼルを蔑むような視線で眺める彼女。周囲の気温が数度、下がったような錯覚を覚える。
「ゴブリン相手に過剰な攻撃。観客の目を楽しませるための演出。継続戦闘に影響が出る行為は――」
「ハッハッハ、妹よ! ずいぶんと頭の固いことをブツブツ言っておるな!」
「ッ! お兄様、いきなりなんですか」
「辛気臭いことを言うでないぞ! 祭りだ、祭り! 派手な方がよかろう!」
いきなり現れたクォートが凍てつきかけていた場の空気を吹き飛ばす。
テトラは柳眉を寄せて、不機嫌そうにクォートを睨む。
「戦いに美学があるのは大いに結構だ! しかし、祭りにそれを持ち出すのは無粋だ!」
にやり、と楽しそうにクォートが笑う。
「小物相手に派手な演出! それが如何に悪手だったのか後悔するのは誰だろうな!」
歓声にクォートの笑い声が溶けていく。
俺はその姿に戦慄を覚えるのだった。




