048.学園祭一日目
「うーわー……」
俺は足を止めて、思わず息をもらしてしまう。
場所は学園まであと僅かという地点で、いつもは通学する学園の生徒で、ガヤガヤと騒がしい通学路。
いつも以上に騒がしいだけでなく、熱気で溢れ返っていた。
通路脇には、屋台がズラリと並び、学園の生徒だけでなく、一般人も混ざって視界を人が埋め尽くしている。
「テトラ、武芸大会の開催まで、結構時間あるよね?」
「うん、あと二時間くらいあるよ」
「混みすぎじゃない?」
「そう? お祭り事は騒がしくて当たり前よ。それに去年の方が、もっと混んでいたよ。武芸大会で三連覇がかかっている生徒がいたからね。賭博――もちろん非公認ね――も盛り上がって、逮捕者もたくさんいたんだよ」
何故か得意気な顔をするテトラ。
ツッコミをいれるとドヤ顔でテトラが語りだしそうな気配がしたので、俺はあえてスルーする。
テトラからソワソワした空気が漂ってくるけれど、俺は無視して話題を変える。
「それよりも早く学園に行こうよ。人を掻き分けて、学園の敷地にたどり着くのも一苦労しそうだよ」
「……そうね」
俺が話題を無理やり変えたことに不満そうなテトラ。
少し頬が膨れ、眉間に柳眉が寄っていて、クールな表情を保ててない。
なんというか可愛い。
反射的にテトラの頭を撫でそうになったが、俺はなんとか耐える。
通学路で長居するわけにはいかない。試合前の準備運動とか、試合の打ち合わせとかしておきたい。
それよりも早く学園にたどり着いて準備運動とか、試合中の作戦とかを確認しときたい。
「急ごう、テトラ」
「……うん」
俺とテトラは、通路にごった返す人混みに飛び込んだ。
***
「おはようございます、テトラさん、リンタローさん」
「おはようございます、ナリーサ、さん」
「おはよう、ナリーサさん」
学舎に入る手前で、ナリーサさんが声をかけてきた。
早足で近づいてくるナリーサさんは、あくまでも優雅さを崩さない。
彼女の姿に、貴族がどんな存在か少し理解してしまう。どこから見られているか分からないから、常に貴族として振る舞う必要があるのだろう。
テトラもクォートも貴族なのだろうが、脳筋寄りの立ち振舞いなので、貴族がなんたる存在か忘れてしまうんだよな。
「お二人は、昨晩キチンと眠れましたか? お恥ずかしながら、わたくしは緊張のためか、よく眠れなくて……」
そう言って、小さく笑うナリーサさん。
細めた瞳の下に、うっすらとクマが見えた。
俺は、寝る前は緊張していたのだけど、気付いたらグッスリと眠れることが出来ていた。素材集めとかで、魔物と戦った経験があるお陰かな。
ナリーサさんは、一般教養科だから、普段から戦闘行為をやっていないんだろうな。だから、緊張は仕方ないだろうな。
ナリーサさんは後衛だし、性格的にも戦闘は苦手かもしれない。
「私は、いつも通りです。真剣勝負とはいえ、お祭りの余興です。死ぬようなことも滅多にありませんから、安全です。緊張する必要はないでしょう」
「それはテトラが戦い慣れているからだよ。試合と分かっていても、普通は緊張するところだよ」
「え? リンタローは、緊張しているんですか?」
テトラが目を見開いて、俺を見つめてくる。その表情は「冗談でしょ?」と言っていた。
異世界のせ威喝に馴染んできたけど、平和ボケした日本人なんだよ。大会とか試合というワードで緊張できてしまう。魔物と戦う方が、ずっと危険なのにさ。
そんなことを考えていると視線を感じる。横目で確認すると、ナリーサさんが、胸の前でギュッと手を組んで俺を見つめていた。
可憐なオーラがハンパない。
同調圧力とかではないが、「緊張はしていない」と口にしてはいけない気がした。
俺は一度、深呼吸をする振りをして、口にしかけた言葉を飲み込む。
「少し前に、対峙したのが魔狼だったから、それに比べれば……」
「それは、緊張しているの? 緊張していないの?」
若干、テトラの声に不機嫌さが混じっている気がする。俺、何かマズい反応したか?
「しているか、していないかだと、してない方かな。夜はグッスリ眠れたし……」
「――ッ! お二人とも凄いですわ……。わたくしは、自分が皆様に迷惑ばかりをかけるのではないかと、不安で仕方なくて……」
しゅんと肩を落として縮こまるナリーサさん。俺は慌ててフォローする。
「だ、大丈夫だよ。俺はそんなに緊張はしなかっただけで、実力があるわけじゃないから。それに、テトラもクォートも強いから、俺とナリーサさんが、足を引っ張れば、丁度良いハンデだよ」
助けを求めるように、俺はテトラに視線を送る。彼女は、わたわたする俺に「やれやれ」という感じで肩を竦める。
テトラは表情を引き締めると、ナリーサさんに向き直る。
「安心してください。リリーシェル家を離れたとはいえ、守りながら戦うことには慣れています。それに、ナリーサ、さんの戦う姿は、初めてリンタローが魔物と戦ったときより、だいぶマシです」
「へ? ちょ、そうなの、テトラ?」
「当然でしょう、リンタロー。ナリーサ、さんは、戦闘中のじぶんの立ち回りを理解しています。それだけで、戦いやすさは段違いです」
「それって、俺がいるとテトラは戦いにくかったってこと?」
俺は慌ててテトラに訊ねる。彼女から返事はなく、代わりに満面の笑みが返ってきた。
そういう反応は、俺の心に痛恨の一撃だから、止めて欲しい。
なんかテトラの機嫌を損ねることを、俺はやってしまったのかな。意趣返しのような気がしてきた。
テトラからひんやりとした空気を感じていると、ポンとナリーサさんがかしわ手を打つ。
「つまり、今のリンタローさんは、リリーシェルさんからみても、戦力になる殿方ということなんですね!」
「――ッ! そ、そうですね。そうなりますね」
ナリーサさんの言葉に、テトラがわずかに視線を逸らす。
くそ真面目そうな丁寧な言葉遣いと素っ気ない仕草。
あれはテトラが新密度の低い相手に対して、感情をごまかしたいときにする動きだ。
テトラを動揺させるなんて、ナリーサさん凄いな。
「そうなんですね! リリーシェルさんに認められるなんて、リンタローさんは凄いですわ!」
「い、いやいや、そんなことはないから。俺なんてテトラやクォートの足元にも及ばないしさ」
ナリーサさんは、キラキラと瞳を輝かせながら、俺に尊敬の念を込めた支線を向ける。
悪い気はしない。
でも、普段から尊敬されることはないし、ナリーサさんみたいな美少女に見つめられると、恥ずかしさに逃げ出したくなってしまう。
「おや、これはこれは奇遇ですね、テトラ様。そしてレクス家の出来損ないに、極東人ですか」
「これはこれは奇遇ですね、テトラ様。そして、レクス家のご令嬢に極東人」
不意に聞こえてきた声。
確認すると、ニヤニヤと生理的な嫌悪感を感じる笑みを貼りつけたラゼルの姿があった。
いつものように、五、六人の取り巻きがいる。
「ら、ラゼル、様……」
ラゼルの姿を見た春寒、ナリーサさんが体を強ばらせる。辛うじて声を絞り出した彼女の顔からは、サーッと血の気が引いていく。
体を強ばらせながら、ナリーサが声を絞り出す。さらに彼女の顔からサーッと血の気が引いていく。
怯えるナリーサさんの姿に、俺の中で沸々と怒りが沸いてくる。
同時に俺の中で、ふつふつと怒りが沸いてくる。
ナリーサさんを守ろうと俺が動くより早く、テトラが二人の間に入る。
テトラは冷たい笑みを顔に貼り付けながら、ラゼルを見据える。
「ラゼル、随分と余裕がありますね。魔導科は別区画でしょう。一般教養科や秘蹟科に近い区画に魔導科の生徒が足を運ぶなんて稀ですから」
「ハハハッ、それは偏見ですよ、テトラ様。学園の敷地内ですから、ふらりと立ち寄ることもありますよ。それに今日は、お祭りです。色々な場所に足を運んで、見て回ることも貴族の務めですから」
相手を値踏みするような笑みを崩すことなく、ラゼルはテトラと対峙する。
彼の取り巻きも同じような顔でテトラを眺めている。
テトラはリリーシェル家を出たと言っていた。貴族としての無きに等しいと思う。それでもラゼルたちに、テトラを見下すような権利はないはずだ。
ギリッと俺は奥歯を噛み締める。
いつの間にか俺の両拳は、痛いくらいキツく握りしめていた。
自分を落ち着けるために、俺は深呼吸をするが、全然効果がない。
溜まり続けている怒りに、今すぐラゼルに殴りかかりたい衝動に駆られる。体の内側で蠢く怒りを必死に抑える。
俺の気配に気づいたのか、テトラが肩越しに俺を一瞥する。
「そうですか。その割には、貴方が領地に戻って、領地内の視察していると言う話は、聞いた覚えがありませんが」
「……まだわたしは学生の身ですから。勉学に励むことが優先と考えております」
「夏と冬に長期休暇があるでしょう。領民に顔を覚えてもらうことも大事なことですよ。領民に顔を覚えられていないと、後継者争いで困るのではないですか?」
ニッコリと微笑むテトラ。ラゼルの表情が一瞬、崩す。彼は一度口を噤むと、咳払いをして、表情を正す。
「テトラ様のご忠告、痛み入ります。お礼にわたしからも一つ、ご忠告を」
口の端を持ち上げるラゼル。
自分が優位な立場だと思い出したのか、下品な笑い声が溢れ出す。
「チーム戦で、優位に戦えると思わないことです。今回はリリーシェル家のお二人が出場すると話題になりましたから。簡単に、簡単に勝てると思わないことです」
「……心に止めておきましょう」
微笑み合うテトラとラゼル。不穏な空気が二人の間に渦巻く。
「そろそろ支度もあるので、私たちは失礼させていただくわ。リンタロー、ナリーサ、さん、行きましょう」
「は、はい、テトラ様」
スッと歩き始めるテトラ。ナリーサさんは慌てながらも、ラゼルに礼をしてから後に続く。
ラゼルを無視しても良かったのだけど、俺も小さく会釈をして場を離れる。
「チッ、調子に乗りやがって。おい! 極東の土人、せいぜい俺様の手の平で踊って楽しませてくれよ」
背中にかけられたラゼルの言葉を無視して、俺はテトラとナリーサさんを追いかけることにした。




