046.味噌煮の対価②
「ふむ、この辺りでやるとスルカ」
街の外の平野――よく薬草を採集しているポイントの近く――に俺と春陽さんは立っていた。
春陽さんは腰に打ち刀を差し、俺は腰にドルガゥンさん製の小太刀、手に木刀。
装いは普段着といった感じで、鎧とか防具はなし。
俺は緊張した面持ちで、春陽さんの正面に立つ。
「よろしく、お願いします」
「ま、まァ、気負いスギないように。相馬殿は、門弟でもないシ、教えるのは、扶桑で一般的な内容ダから」
最敬礼をする俺に、若干引いた感じのする春陽さん。
もしかして、扶桑ってお辞儀文化がないのかな。
「では、相馬殿が普段やっている修行ヲみせてくれ」
「……わかりました」
俺は頷き、春陽さんから少し離れる。
そして、手にしていた木刀を両手で握り、中段に構える。
一度、深呼吸をして気を静め、木刀を振り上げ、右足を踏み込みながら振り下ろす。
普段は声を出しているわけじゃないけど、指導されている空気に、「せいっ!」と自然に声が出た。
振り下ろした木刀の刃先は、宙にピタリと止まっている。残心もしっかり取れている、はず。
刀を振り下ろす速度は、少しずつ速くなっているけど、テトラと比べるとまだまだ。
でも普段の素振りの成果を感じとることは出来た。
ちらり、と春陽さんを横目で確認する。
彼は腕を組んだまま、特に動きはない。
そのまま、いつものように、俺は木刀で素振りを繰り返す。
出来る限りの速く。
されど、振り下ろした木刀の先がピタリと止まるように一回ずつチェックは怠らない。
「……相馬殿、一旦、素振りを止めテくれ」
十数回、素振りをしたところで、春陽さんから声が掛かる。
俺は「ふぅー」と息を吐きながら、納刀する動作で素振りを終える。
額にうっすら滲んだ汗を手の甲で拭いとる。
「まず、相馬殿がどのように剣を振るっているのか、わかっタ。確かに大陸デ主流となってイル動作より、扶桑に近いナ」
春陽さんは流れるような動きで、腰の打ち刀を抜き放つ。
そのまま、俺がしていたように中段に構えてから、素振りをする。
ヒュン、ヒュン、と刀が空を斬る音が周囲を支配する。
春陽さんが一振する度に、場が浄められていくような錯覚を覚える。
「さて――」
不意に耳に届く春陽さんの声に、俺は我に返る。
春陽さんは、淀みのない動きで納刀し、俺に向き直る。
「――相馬殿。刀を振ル方法は、いくつあると思ってイルか?」
「刀の振る方法、ですか」
春陽さんの問いに、俺は思わず首を傾げる。
腕は三百六十度、ぐるりと回せるから、一度ずつずらしていけば、三百六十通りになる。
さらに刀の握り方は順手に逆手があるし、両手か片手かでも違う。
刀を振っている体勢まで考えると無数に考えられる。
俺は少し眉を歪めながら、春陽さんに回答する。
「……数えきれないと思います」
「それは何故カナ?」
「刀の握り方に腕の使い方、体勢まで考えると、組み合わせは無限大にあるからです」
「ハハハッ、良い回答ダヨ」
俺の回答に春陽さんは嬉しそうに笑う。
これは絶対に正解ではないやつだな。
春陽さんが少し姿勢を正す。
ただそれだけの仕草で、周囲の空気がピンと張りつめていく。
俺は無意識に背筋を伸ばして、春陽さんの言葉を待つ。
「まず、刀が空間上で取りうル軌道ヲ考えるのであれば、相馬殿の回答は間違いではナイ。だが、刀ヲ振ル方法は、突き詰めると九つしかナイ」
「九つ? でも――」
俺の言葉を待たずに、春陽さんは腰に下げた刀を再び抜き放ち、両手で正眼に構える。
無駄のない洗練された動作に、俺は思わず息をのむ。
「まずハ、上下の斬撃デ、切落、逆風――」
素早く刀を振り下ろし、刃の向きを変えて振り上げ――
「斜めの斬撃ハ、右斬下、右斬上、左斬上、左斬下――」
春陽さんは右上から左下、左下から右上に刀を振るう。
流れるような足運びで、左上から右下、右下から左下に刀が閃き――
「右薙、左薙――」
水平に滑るように白刃が空を斬り――
「そして――」
春陽さんが俺に向かって踏み込むと同時に風が顔の横を通りすぎる。
「刺突で、九つダ」
その言葉で、春陽さんが俺の鼻の下――人中に刺突を放っていたことに気づく。
顔と刃先まで、握り拳一つ分以上、離れていたが、俺は慌てて人中辺りを手で触って確認する。
当然だが、ほんの僅かな血も手についてない。
剣気を込めた翔ぶ残撃の類いではなかったらしい。
当たり前だけど、怪我を心配してしまうほど、鋭い刺突だった。
「ははハッ、相馬殿にカタナは触れておらヌよ。当たったのは、せいぜいそよ風ダヨ」
「刀を鞘に納めた瞬間、出血とかならないですよね?」
「ならない、ならないヨ」
笑いながら、春陽さんは片手で刀を一度振るってから鞘に納める。
「先ほど、見せたヨウに刀ノ振り方は、八つで、刺突を合わせて九つしかナイ。体勢だの刀の握り方など、些細な違いでしかないヨ。そこは理解は出来たカ?」
「……納得いかないところはありますが、理解は出来ました」
「結構ダ。全て理解ガ出来れば、陳腐な表現だケド、天才ダヨ。相馬殿は、素振りデ振り下ろしばかりしていたガ、何故か?」
俺の不満を余裕で受け流し、春陽さんは訊ねてくる。
学校の体育の授業で習った剣道の素振りだから、とは答えられず、言葉が喉に突っかかって出てこない。
俺の様子に何かを感じ取ったのか、春陽さんはフッと笑みを浮かべる。
「気が回らなくて、すまんナ。ヒトには言えぬことの一つや二つあって然りダナ」
「えっと、その……すみません」
異世界から転移してきた事を、うまく誤魔化して説明が出来る自信はないので、俺は早々に春陽さんの気遣いにつけ込むことにする。
すみません、春陽さん。
「相馬殿が、振り下ろしの素振りヲ行うのは間違いではナイ。腕をだけでなく、肩まわりの筋力は重要だシ、足の踏み込みも良い動きダ。独学という点を考慮すると素晴らしいノ一言ダヨ」
「……ありがとうございます」
「今後は、その素振りダケでなく、先ほど見せた、八つの残撃ト刺突も素振りに加えると良いヨ。ああ、ただ刀を振り回すのではなく、相手を想像しテ、狙ったところに打ち込む事をスル」
「想像して、ですか……」
格闘系の漫画で、主人公が対戦相手をイメージして、特訓するシーンがよく描かれている。
漠然と素振りをするのではなく、明確に相手をイメージすることが大事なのだろう。
「そうダヨ。相手はヒトでもいいし、魔物でもヨイ。一振り一振りガ必殺ノ一撃になるように振るうンダよ」
春陽さんが俺に右手を差し出したので、俺は反射的に木刀の柄を、その手に乗せる。
彼は木刀の柄を握ると、少し歩いて背丈のある雑草が生い茂る場所に移動する。
一呼吸を置いてから、春陽さんは木刀を一閃させる。
素早い動作だったが、辛うじて俺の目でも春陽さんの姿を捉えることが出来た。
特に変わった動きはなく、踏み込んで右薙――剣道の胴をしただけ。
それなのに、生い茂っていた雑草が全て切り払われていた。
「……うそでしょ」
俺は思わず呟いてしまう。
さっきまで俺が手にしていた木刀だし、特別な仕掛けとかもない。
どんなに切れ味の良い草刈り鎌でも、今みたいに雑草を切れないと思う。
「ちょっとした戯れダけど、相馬殿も出来るようになるサ」
そう言いながら、春陽さんは木刀を俺に返す。
「いやいや、簡単に出来る境地じゃないと俺は断言しますよ。木刀でスパッと草が切れるわけないです。木刀に草の汁も付いてないじゃないですか」
「ははハッ、相馬殿は大袈裟だな。誰モ今すぐ出来る様にナれと言ってないヨ。まずは、丹田を意識シテ、呼吸を整えル。慣れてきたナラ、意識を内から外へ、皮膚ノ外に広げてイクように。やがて意識は己に還ってくる。そうなれバ、剣気をよく練って、刃に伝えるダケだ」
さも当然のように説明してくれる春陽さん。
でも俺は全然理解が追い付かない。
丹田は臍の下あたりだよな。そこを意識して呼吸をしたところで、何かが変わるとは到底思えないんですけど。
悩む俺を余所に、春陽さんは話を続ける。
「少しずつ出来るコトを増やせば良いヨ。とりあえず、味噌煮の対価としテ、残り七つの残撃ト刺突の素振りを教えるヨ」
「お、お願いします」
春陽さんは、軽い口調で伝えてきた。
なので、俺は俺は体育の授業で、教師に教わるくらいの感覚で、返事をする。
それが間違いだったと、俺が気づくのに五分も必要ないのだった。




