046.味噌煮と対価①
「おや、奇遇デハないか。相馬殿」
市場のざわめきと一緒に耳に届く、片言な男性の声。
振り替えると、着流し風の格好をした細身の男性が立っていた。
扶桑料理屋「烏兎」を営む榊春陽さんだ。
彼は木桶に取っ手が付いたもの――岡持ちに腕を通し、肩に掛けていた。
「お、お久しぶりです、春陽さん。お店の買い出しですか?」
「ははハッ、そうではないヨ。強いて言うト、研究ダヨ」
「研究、ですか?」
「そうダヨ。様々な食材ガ市場に溢れている。國――扶桑にない食材モ多い。どう調理して、扶桑料理トするか、考えるワケだ」
目を細めながら、笑う春陽さん。
どこにもいる陽気な感じのするお兄さん、という雰囲気がある。
だが、気安く声をかけることは憚れる。
俺の本能が春陽さんを警戒している。
なんか不意に刃物のような鋭さを感じるんだよな、春陽さんは。
「キミは、何をしているノダ?」
「俺は夕飯の支度です。何か良いものがないか、ブラついていたところです」
「なるほどナ。何かあてはあるのカ?」
春陽さんの質問に、俺は考える。
シノさんは、何でも美味しく食べてくれる。
野菜より魚、魚より肉を好む。
元の世界に比べて、肉はジビエがメインだ。食用の柔らかい肉など、市場に出回っていない。
調理を気を付けないと、噛みきることに難儀する。
シノさんは簡単に噛みきって、美味しそうに食べてくれるんだけど、俺の顎の方が耐えきれないんだよな。
だから、肉よりも魚をメインにしたいんだよな。
「メインに魚の味噌煮もどきでも、作ろうかと思っているところです。この前、味噌を買うことができたのと、この市場は新鮮な魚が手に入りやすいですから」
「ほほー、相馬殿は味噌を料理に使うノカ。汁物や鍋に味噌ヲ用いることはアルガ、味噌煮ハ興味ガあるナ」
「そうなんですか? 扶桑なら味噌を使った料理がたくさんあるのでは?」
味噌漬けとか焼き味噌、田楽味噌とか、扶桑出身なら味噌を用いた料理が、たくさんありそうだけどな。
春陽さんは、少し困ったような顔をして、ポリポリと指で頬を掻く。
「一応、料理ノ心得はあるのだガ、本業デハないのだヨ。國の料理人ホド、調理法ヲ知っているわけではないのダヨ」
「でも、料理屋をやってますよね?」
「扶桑ノ料理は、大陸では珍しいノデ、誤魔化しガ効くのダヨ。ああ、出鱈目ナ料理は出していないヨ。私ガ作れる扶桑料理を出しているダケダ」
「……本業は何ですか?」
「強いて言うナラ、傭兵ダナ。剣ノ腕一つデ、大陸を渡り歩く事ガ本懐だヨ。ただ、妹ヲ危険にさらすのも気が引けるノデ、料理屋を営んでいるわけダヨ」
バツが悪そうな春陽さん。
妹は店で給仕していた女の子の事かな。
まだ十歳くらいだったし、心配な年頃だろうな。
でも、扶桑の国から出るためには、一芸に秀でている必要があるとか聞いたけど、同行者には適用されないのかな。
「あ、そうだ。味噌煮の作り方を教えるので、俺に剣術を教えてくれませんか? いや、そこまで大層なやつじゃなくて、俺の剣の使い方を見てもらえませんか?」
「剣の使い方、トハ?」
「俺の身近な剣使いと、俺の剣の使い方は系統が違うみたいで、教えることが出来ないと言われまして……」
俺の言葉を聞いて、春陽さんは岡持ちの位置を直しながら、考え込む。
やっぱり流派の門弟以外に教えるとかダメなのかな。
「相馬殿は、扶桑の出でハないと言っていたケド、扶桑に縁がありそうダ。秘伝トカいわれるところは、教えることは出来ないケド、剣の使い方や足運びヲ見てやるくらいなら、とやかく言われマイ」
「本当ですか!」
春陽さんの返事に、俺は反射的にガッツポーズをしてしまう。
やっつけかもしれないけど、武芸大会に向けて、少しでも強くなれる、はず。
「善ハ急げダ。食材をササッと買って、マズは、味噌煮を教えてクレ」
「は、はい!」
俺は春陽さんに引きずられるようにして、市場で買い物を済ませ、扶桑料理屋「烏兎」に向かうことになった。
***
「お兄、お帰りな――お客サン?」
「こ、こんにちわー」
扶桑料理屋「烏兎」に入った瞬間、十歳くらいの女の子が駆け寄ってきた。
黒髪黒目で、見た目は馴染み深い日本人風。
好奇心でクリクリと動く瞳に、少し興奮しているのか、頬に朱が差す愛らしい女の子。
前にお店に来たとき、給仕をしていた子だ。
「相馬殿、妹ダヨ。私的なお客ダ、挨拶を」
春陽さんが促すと、女の子は身なりを整え、踵を揃えてピンと背筋を伸ばす。
「アタシは、榊翠雨デス! 十歳で、お兄ヲ手伝うために、扶桑から来ました!」
「俺は相馬凛太郎だよ。よろしくね」
女の子――翠雨ちゃんは、大きな瞳を更に大きくして、俺の姿を眺める。
俺の格好、どこか変なところでもあるのかな?
「そーま殿は、扶桑の人デスか?」
「ああ、違うよ。見た目は扶桑出身ぽいけど、扶桑の国には一度も行ったことがないよ。祖先に扶桑の人がいたんだろうね」
「なるほど! そうでしたカ! コノ国の扶桑出身者ハ覚えていたのデ、アタシが忘れてしまったのかト思いました。でも、そーま殿は、どこかで見た気がシマス!」
ハキハキと答える翠雨ちゃん。
人懐っこい子犬のような姿に、思わず頬が弛んでしまう。
一人っ子だったので、可愛い妹には憧れがある。
幼馴染みは、ろくなやつがいなかったので、特にそう思ってしまう。
「前に、知り合いとお店に食事をするために来たことがあるよ」
俺の言葉に眉を寄せて首を傾げる翠雨ちゃん。
しばらくすると、ポンとかしわ手を打つ。
可愛い。
「思い出しましタ! 金髪ノお姉さんと一緒デシタね!」
「すごいね、覚えていたの?」
「ハイ! 客商売は、お客の顔ヲ覚えるのが大事ト六花姉が言ってマシタ!」
ニコニコしている翠雨ちゃんの頭を、俺は気がつくと撫でていた。
嫌がられるかと思いきや、翠雨ちゃんは、更に嬉しそうに笑っている。
なんというか、心が癒されていく。
「さて、戯れハその辺りにしてくれヨ。これから相馬殿から料理を教わるカラ、翠雨は邪魔するなヨ。上手く出来たら、晩御飯にするから」
「ハイ! わかりましタ! アタシは奥で、勉強してます!」
「うむ、良い返事ダ」
翠雨ちゃんは、ビシッと右手を掲げて返事をした後、奥の方に駆けていく。
今度、お店に来た時はお菓子でも買ってこよう、と俺は心に決める。
「さて、調理場に入ってクレ」
「わかりました」
春陽さんに促され、調理場――カウンターの内側に入る。
カウンターから店の中を眺めた経験はなく、少しドキドキしてしまう。
春陽さんは、岡持ちを台に奥と、中から三十センチくらいの鯖っぽい青魚を取り出す。
魚の目利きどころか、種類もわからないのだけど、新鮮で美味しそうな気がする。
春陽さんは、流し場で手早く鱗を落とすと、青魚をまな板に置く。
流れるような手つきで、頭を落として、腹を開き、内蔵を取り出して水洗い。
淀みない動きで、そのまま青魚を三枚に卸す。
「おっと、魚は捌いたガ、問題ないカ?」
「は、はい、大丈夫です。あとは一人分くらいの切り身にして、霜降りしましょう」
「ふむ、煮沸消毒用に沸かしていた湯が、そこのヤカンに入っているから、使うとするカナ」
春陽さんの包丁捌きに見惚れていた俺は、慌てて返事をする。
本職ではないと言っていたけれど、春陽さんが魚を捌く姿は、一部の無駄もなく、素人目には達人の域に達しているように思えた。
俺はザルに並べた魚の切り身に、ヤカンからお湯をかける。
切り身の表面が白くなったところで、手を止めて、切り身の水気をとる。
「これで、魚の臭みがとれるはずです。もし、臭みが強い魚の場合は、塩振りとかが必要になるかもです」
「ふむ、その辺りは研究シテみよう」
「あとは――」
先に材料を揃えてないことに気づき、俺は慌てて探す。
幸いなことに、酒、みりん、砂糖、醤油、味噌は、すぐに揃う。
生姜もすぐ見つかり、スライスしておく。
「フライパン……で通じるのかな。えっと、平たい片手鍋とかありますか?」
「これは使えそうカ?」
「あ、それで十分です。普通の鍋でも作れると思いますけど、片手鍋の方が、調理しやすいと思います」
春陽さんから受け取った片手鍋を火にかけ、先ほど集めた材料と水を入れる。
グツグツ煮たってきたら、火を弱めて、青魚の切り身とスライスした生姜を片手鍋に投入する。
「あとは、蓋をして、時々煮汁を魚にかけながら煮るだけです。水分が飛ぶと味が濃くなるので注意してください」
「思った以上に、簡単だナ。どれくらい煮込めばいいのダ?」
「十分くらいでです。煮汁にとろみが出てきたら、完成です。焦げ付かないように火加減とか大事です」
春陽さんに説明しながら、俺はオタマで煮汁を掬って切り身にかける。
甘塩っぱい香りと、魚の脂の匂いが、立ち込み始め、食欲を刺激する。
これをオカズにしたら、白米が何杯も食べれるやつだ。
「もう完成です。味見してみてください」
俺の言葉に春陽さんは頷くと、菜箸で切り身の端を一口分、切り分ける。
煮汁をつけてから、口に運ぶ。
「――ッ! コレは良いナ! 飯にも合いそうだし、酒にも合いそうダ」
春陽さんの反応は上々。
俺は内心、ホッと安堵のため息をつく。
自信はあったけど、成功するかどうかは、やってみなきゃわからなかったから。
材料の魚の名前もわからなかったし。
「これなら、対価としては十分ダヨ。相馬殿ノ剣を見てあげるヨ」
春陽さんの言葉に、俺は思わずガッツポーズをしてしまうのだった。