006.お買い物①
食事処兼酒場『ワイルドベアーの巣穴』を後にした俺とシノさんは、商業区のメインストリートを歩いていた。
食べすぎのため、口元を押さえながら青い顔をしている俺に対して、料理の八割を平らげたはずのシノさんの足取りは軽い。彼女はフードを深く被っているため、表情を見ることは出来ないが、きっと俺とは違い涼しげな顔をしている。
あの大量の料理は、シノさんのどこに入っていったのか。それとも俺が幻を見ていただけなのか。
ジッとシノさんの後ろ姿を見つめていると、違和感に気づく。
狐耳と尻尾でフードやローブが盛り上がっている箇所がない。普通の人と同じ様なシルエットになっている。それと、さっきの『ワイルドベアーの巣穴』で感じた様な変な感じがする。見ているだけなのに、目の奥がむず痒いというか……。
見た目は普通のローブをだけど、元の世界ではありえない、特殊効果が付与されているのだろうか。
「シノさんが着ているローブって、特別製ですか?」
「ん? どーしてそう思ったのじゃ?」
「その色々と隠れているじゃないですか……」
堂々と口にすることを憚られて、俺はちょいちょいと自分の耳を指差す。
その姿にシノさんは口元に笑みを浮かべる。
「よい観察眼じゃな。このローブは特別製なのじゃ。お陰で頭も尻の辺りもスッキリしておるじゃろ」
シノさんは、片足を軸にして、クルリとその場で一回転してみせる。
ふわりとローブの裾が持ち上がるが、工房で見てた狐っぽいフサフサとした尻尾の影は微塵もない。かわりに白い艶かしい生足にドキリ、としてしまう。
俺は反射的に視線を逸らしてしまい、後悔する。露骨な行動は、どこを見ていたか丸わかりじゃないか。
シノさんは、小さく笑うと話を続ける。
「レヴァール王国は初代国王が、短耳族と長耳族とのハーフだった故に、種族による差別等は、周辺諸国に比べれば少ない。じゃがゼロではないのじゃ。降りかかる火の粉は、完全消滅するまで徹底的に滅する主義だが、いちいち相手をするのも面倒ということで、このローブをこさえたのじゃ。すごいじゃろ」
「シルエットまで誤魔化せるなんて、認識阻害ってすごいですね」
「ガルドの店のことを忘れておらぬか? 凛太郎には認識阻害は通用しておらんかったじゃろ。認識阻害は付与しておるのじゃが、メインで効果を発揮しておるのは、空間歪曲じゃ。だから身体の輪郭に不自然な膨らみがないのじゃ」
空間歪曲という単語に俺の燻っている魂――厨二病が反応する。漫画など、空間が付く魔法やスキルなど、特別感があるものが多いからだ。
俺はシノさんに詰め寄って、効果について詳しく尋ねる。
「空間歪曲って、どんな魔法なんですか? やっぱり超レアな効果なんですか? ハイリスクハイリターンなやつなんですか?」
「い、いきなりどうしたのじゃ。凛太郎の期待を裏切ることになるが、さほど珍しい効果ではないのじゃ。広い空間であれば金塊で山を築く必要になるが、馬車の荷台くらいならばよく付与されておるのじゃ。もっとも空間に存在する物質の重量がなくなるわけではないので、使い勝手がよい付与というわけでもないのじゃ」
「そう、ですか……。重量無しで時間経過無しってのが王道なのに」
「なにが王道かわからぬが、そんなものがあれば時の権力者どもが競って手に入れて、宝物庫に放り込んでおるのじゃ」
空間歪曲だけでも十分に凄いけれど、重量無効や時間経過無効がないことに、肩を落としてしまう。中途半端な感じが、俺の厨二病を鎮火する。
「あと訂正しておくのじゃが、この世界に魔法というと人知の及ばない存在――精霊などが行使するものを指すのじゃ。ヒトが扱うものは魔術と呼称し、魔術を扱うものを魔術師というのじゃ。ちなみにアイテムに特殊効果を付与する者をなんというのかわかるかえ?」
「この流れでいうと、付与師ですか?」
「ハズレじゃ。古い時代に、そう呼ばれたこともあるのじゃが、今は錬金術師と呼称するのじゃ」
「それは、ちょっとズルくないですか? 錬金術なんて一言も出てきてないじゃないですか」
「凛太郎に妾の生業は"錬金術師"と伝えておったじゃろ。そして妾は自分でこさえたと示唆しておったのじゃ」
「いやいや、それが前フリなんてわかるはずないじゃないですか……」
「ハハハッ、もう少し注意深くなるのじゃ。蒐集師はちょっとした変化に気づくことが大事なのじゃ」
楽しくてしかたがないといった様子のシノさん。彼女の足取りは軽く、朝の喧騒が落ち着いたメインストリートを踊るように、優雅な身のこなしで進んで行く。
ローブを被っているので、シノさんの整った容姿も目をひく狐耳も見えないはずだが、すれ違う人たちが足を止めて振り返る。
特別製のローブで、これだけ注目を浴びては意味がないのでは、と俺は内心思う。
根っからの小心者のためか、俺は周囲の視線にビクつきながらシノさんの後を追う。
数十分もしないうちに、先を進んでいたシノさんの足がピタリと止まった。
俺は早足でシノさんに追いつき、彼女の横に立つ。そして、彼女が見ている建物をちらり、と確認する。
思わず、声をあげそうになってしまう。誰が見ても高級店と一目でわかる精緻な彫刻が施された門構えが、俺の目に飛び込んでくる。
一生縁がないと思っていたジャンルが放つ圧倒的な存在感に、気づけば俺は後ずさっていた。
「し、シノさん……この店は?」
「顔馴染みがやっておる衣服店じゃ。凛太郎は何を身構えておるのじゃ」
「いや、だって、明らかに高級店のオーラを漂わせているじゃないですか。生まれてずっと庶民の俺には敷居が高いですって……」
「店が襲ってくるわけでもないというのに、何を言うておるのじゃ。店先でたむろするのは迷惑じゃし、さっさと入るのじゃ」
そう言って、俺の手を掴むとシノさんは引きずるようにして店に入っていくのだった。