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045.朝練

 朝の少し肌寒い清涼な空気と、目覚め出す街の気配を感じながら、俺は深呼吸する。

 ゆっりくと、ゆっくりと、空気を全身に行き渡らせるように。

 そして、俺は足元に置いた木製の手桶に視線を落とす。

 並々と注がれた水には波紋ひとつなく、見下ろす俺の姿が綺麗に写り込んでいた。


「イメージ……イメージ……」


 念じながら、俺は手桶に両手をかざす。

 じわり、と身体の芯に生まれる疲労感。

 一呼吸置いて、ふわりと手桶の水が浮かび上がる。


「――ッ!」


 ガッツポーズをしようとした瞬間、浮かんでいた水が落下し、慌てて意識を引き締める。

 水はシャボン玉のような、ふわふわと安定しない球形で、俺の眼前まで浮き上がる。

 うまくいったことに、口元が弛みそうになるが、努めて引き締める。

 シノさんは、装着者――俺のイメージを忠義の腕輪――魔導具(マジックアイテム)に宿した人工精霊が読み取り、最適化して、魔術へ変換してくれていると説明してくれた。

 俺のイメージの精度が上がって、人工精霊が俺のイメージを読み取って、魔術に最適化する精度が上がれば、疑似魔術も強くなる。

 その過程で、疑似回路も鍛えられる、はず。


「ふぅー……よし、ここからだ」


 水球の下に右手を入れて、片手持ちみたいな体勢になる。そして、ゆっくりと右手を小さな円を描くように動かす。

 ふわふわと不定形に揺れていた水球は、ゆっくりと回り始める。

 どんどんと回転スピードをあげていく水球は潰れて、広がっていく。

 右手を空にかざすようにしながら、俺は水球――いや、水円盤を回転させ続ける。


「ふむ、疑似魔術の鍛練かえ?」

「――ッ! し、シノさん! いつの間に……」


 視界の端にある中庭の入り口に、いつの間にかシノさんが立っていた。

 意識がシノさんに向いた瞬間、水円盤がグニャリと弛んで、四散しかけるが、何とか持ちこたえる。

 しかし、先程まで円盤のようになっていた水塊は、ふにゃふにゃのシャボン玉のような水球に戻っていた。

 俺はゆっくりと右手を動かし、水球を手桶に入れて、息を吐く。

 同時に、バシャっと音を立てて、水球は手桶に沈む。


「特訓と言っていいのか悩みますけど、武芸大会に出場することになったので、少しでも鍛練しておいた方が良いかな、と……」

「良きじゃ、良きじゃ。成長度合いに差はあれど、鍛練せねばヒトは育たぬからな」


 そう言って、目を細めるシノさん。

 彼女の頭の三角形の耳がピコピコと動き、尻尾がゆらゆらと嬉しそうに揺れている。

 ただそれだけなのに、俺は口元が弛んでしまう。

 下心はなかったけれど、シノさんの姿に疑似魔術の特訓をやってて良かった、と心の中でガッツポーズをしてしまう。


「先ほどの疑似魔術は、武芸大会で使うのかえ?」

「え、あ、そこまでは考えてなかったですけど……」

「ふむ、ならば、使うのは控えた方が良いのじゃ」


 シノさんは軽い足年で、俺のそばに立つ。

 ふわりと漂う甘い香り。

 俺は反射的に意識してしまい、体温が上がるのを感じる。

 シノさんは、俺の様子を気に留める素振りはなく、細くて形の良い人差し指で、俺の足元の手桶を指す。

 スッと彼女が指を持ち上げると、水桶から拳大の水球が浮かび上がる。

 そのまま、彼女が指をくるくる回すと、水球は回転を速めていき、円盤状になる。


「浮かび上がらせた水の中心に、しっかりと回転軸を意識が出来ていなければ、水が綺麗に回転せず、円盤状にはならないのじゃ。先ほどの凛太郎の制禦は見事なのじゃ。ただし――」


 ひょい、という感じて、シノさんは指を動かす。

 それに追従して、水円盤は地面に向かって撃ち出される。


「――殺傷力が高すぎるのじゃ」

「ッ! 地面がスパッと……」


 水円盤が衝突した地面は、綺麗に切り裂かれて、横線が出来ていた。

 俺のイメージでは、水円盤が地面に触れた瞬間、ビチャ! と水しぶきに変わる予定だったのだけど。


「テトラ程度の実力があれば、剣で切り捨てることも出来ようが、貴族のボンクラどもであれば得物ごと真っ二つに出来るじゃろうな」

「テトラと同じくらいの実力の学生って、一握りもいないのでは……」

「うむ! 先ほどの疑似魔術を多用すれば、スッパスパと首が宙を舞うのじゃ」


 シノさんは「カッカッカ」と快活に笑う。

 彼女にとって、軽いジョークなのだろうか。俺としては笑えないんだけと。

 俺は赤く染まる競技場を想像して、背筋が寒くなってしまう。


「水を用いると視覚的で、想像しやすいのじゃが、如何せん殺傷力が高すぎる。そこでじゃ」


 シノさんは、懐から木片を取り出すと、パチン、と指を鳴らす。木片には小さな火が点り、白い煙が立ち上る。

 彼女が煙に指を向けると、煙は蛇のように動き始める。

 魔術で、空気の流れを操作しているのかな。

 煙はシノさんの指先で丸くなると、小さくなって消える。


「凛太郎、手を前に出すのじゃ」

「こう、ですか?」


 恐る恐る両手の掌を上に向けて、前に着き出す。

 シノさんは、俺の掌を指差す。

 何かが掌に乗る感触。


「うむ、そのまま、両手で包むようにするのじゃ」

「は、はい」


 ゆっくりと、掌の上辺りの空間を手で包み込む。

 手の中に、見えない何かがいる感触がある。

 シノさんが魔術で操作している空気の感触なのだろうか。

 俺がマジマジと自分の手を眺めていると、ニヤリとシノさんが笑う。

 何か良からぬことを考えているときの顔だ。

 そう思った瞬間、ポン! と手の中の空気が弾ける。


「――っとお、何するんですか、シノさん」

「ふむ、言うほど驚いておらぬな、つまらんのじゃ」


 不満そうなシノさん。

 前振りあったし、何となく弾ける気がしたんだよね。

 心臓が飛び出るほど驚かなかったのは、不可抗力だよ。


「……圧縮した空気を解放しただけですよね、今のは」

「うむ。お遊戯会のような学生の催しには、丁度良いじゃろうて。ま、空気の圧縮率を高くして、口から体内に入れて弾けさせれば、先ほどの水で作った円盤より酷いことになるじゃろうがな」

「ちょ、結局、大惨事に案件じゃないですか!」


 俺の反応を見て、お腹を抱えて愉快そうに笑うシノさん。

 銀糸の様な髪が跳ね、朝日にキラキラと輝く。大きく揺れる尻尾。

 一切の悪意はなく、破顔する彼女の姿に、俺は見惚れてしまう。


「ふぅー、笑わせてもろうたのじゃ。さすがは凛太郎なのじゃ」

「いやいや、俺は関係ないですよね。シノさんが勝手に楽しんでるだけですよね」

「心外じゃな。そばに誰がおるかは重要じゃぞ」


 頬を膨らませて、柳眉を寄せるシノさん。

 不満そうなオーラが彼女から放たれる。

 ヤバい、と俺は反射的に慌てると、シノさんは口元を隠しながら笑う。

 うん、完全に遊ばれてるよな、俺。


「良き男子(おのこ)じゃ」


 シノさんは俺の頭を撫でながら、目尻に滲んだ涙を指で拭う。

 しばらくして、俺の頭から手を離し、彼女は身なりを正す。

 名残惜しさを感じながら、俺もつられて姿勢を正す。


「とりあえず、空気を圧縮し、解放する。それだけで衝撃を繰り出すことが出来るのじゃ。空気は簡単に視認することは能わず、回避することは容易ではない。実に実践向けであろう」

「……確かに、そうですね。腹部とか面積の広い場所なら、吹っ飛ばし効果を狙えますね」

「うむ。どんなものでも使い方次第じゃが、空気を用いるのは良い手じゃろ」


 シノさんの言葉に納得して俺は頷く。

 コントロールが難しそうだから、遠距離攻撃に使う自信はない。けど近距離なら手のひらで空気を圧縮して、掌底と同時に圧縮を解放すれば、吹っ飛ばし攻撃に出来そうだ。

 ゴム風船をイメージして、圧縮を解放する位置を針で刺すような感じで――。


「何か思い付いたような顔じゃな。うむうむ、その様な顔している凛太郎も良いものじゃ。じゃがあまり根を詰めすぎるでないぞ」


 そう言って、シノさんは中庭から建物に戻っていく。

 俺はその姿を見送ってから、空気を圧縮する事にチャレンジすることにした。


 しかし、ほとんど間を置かず、お腹を空かせたシノさんが俺を呼びにくるので、朝練はすぐに終わるのだった。


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