044.ミーティング
「我輩は構わんぞ」
「お兄様ッ! 即答するなんて……」
学園の隅にあるカフェのテラス席に、テトラの声が響き渡る。
店内の生徒の姿は疎らだが、突然のことに彼女に視線が集まる。
テトラは、周囲の視線に気づいた様子はなく、信じられないものでも見たような顔で呆然としていた。
そんなテトラの姿を、クォートは優雅な仕草で、ティーカップに口をつけながら、眺めている。
ちなみに俺は、その横で席に座り、豆茶を啜っている。
さらに隣には、ハラハラした様子のナリーサさんが座っている。
「妹よ、熟考する必要がある事案ではないであろう」
「あるでしょう! 何が起こるか分からないのよ」
テトラの反応を、クォートはリズから書類を受け取りながら、ため息をつく。
彼のテトラに対する態度としては、かなり冷めている。
いつもならオーバーアクションで反応してくるからな。
何となくだけど、今のクォートは仕事モードのような気がする。
彼が手渡された紙の束は、報告書とかなのかな。
「そもそも話だ。武芸大会のエントリー締め切りまで時間はない。連れてきた生徒は、あのガルム=ヴォレットの娘。さらにアキツシマ師と面識がある。どこぞの腐った連中と繋がりがある可能性は限りなくゼロだ。よくもこんな逸材を見つけてきたものよ」
「おっと、お姉さん、高評価で嬉しい限りだよ」
「ぐぬぬっ……」
ペラペラと手にした紙の束を捲りながら、つまらなさそうな顔で流し読みしつつ、素っ気なく説明するクォート。
照れるアリシアさんを、テトラは恨めしそうに睨む。
場の空気に耐えきれなくなったのか、ナリーサさんが、席を立つとアリシアさんのそばに移動する。
彼女は一度、深呼吸してから口を開く。
「ヴォレット先輩、初めまして。わたしは、一般教養科に在籍している、ナリーサ=レクスと申します」
「かったくるしいなー、アリシアでいいよー」
「そんな、先輩に対して馴れ馴れしすぎるのは……」
「お姉さんは、下町育ちで、無礼講がデフォなんだよ。相手が貴族だからといって、態度は変えられないのさ。だから、それを許してくれるなら、アリシアと呼んでよ」
「でも、それは年上に対する礼儀が……」
「本人が許可しているのに、頑なに拒否するのも失礼じゃないかな」
満面の笑みを浮かべるアリシアさん。
俺の目には、アリシアさんのお尻に、左右に振られている犬の尻尾の幻影が見えた、気がした。
ナリーサさんは、胸のあたりで手を組み、何かに耐えるような感じで、アリシアさんを見つめる。
「……わ、わかりました、アリシア……先輩」
「先輩付きかー。初対面だし、ここは我慢しとこうかな。それじゃ、よろしく! ナっちゃん!」
「せ、先輩ッ!」
アリシアさんはナリーサさんに飛び付いて抱きつく。
突然のことに、目を白黒させているナリーサさん。アリシアさんは、そんな彼女の様子を当然気にすることはなく、頬擦りまでしている。
「うぉぉぉ、ナっちゃん、いい匂いがする!」
「ッ! あ、アリシア先輩! は、恥ずかしいです! は、離れてください!」
「ええじゃないかー、ええじゃないかー」
「……アリシアさん、いい加減にしてください。話が進まないじゃないですか」
ナリーサさんにしがみつくアリシアさんを、テトラが羽交い締めにして引き離す。
なんか「ベリベリベリッ!」ってマジックテープの音が聞こえてきそうだ。
再び、ナリーサさんに抱きつこうとアリシアさんは手を伸ばすが、テトラのパワーに対抗できるわけもなく、一メートルほど引っ張られていく。
恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めて、身なりを整えるナリーサさん。
本物の育ちの良いお嬢様、といった雰囲気が彼女から発せられていた。俺は、彼女の可憐な姿に、思わずドキリとしてしまう。
「お、お兄様ッ! 早く話を始めてください!」
「今日は、ずいぶんと騒がしいではないか。普段は我輩に静かにしろ、と小言を言っているというのに」
クォートは肩をすくめてみせると、立っているメンバーに座るように促す。
ちなみに、クォートの後ろにリズ。テトラの後ろにラズが控えている。
全員の様子を確認してから、クォートが右手を軽くあげる。
「お呼びでしょうか」
「うむ。少々、長話をするゆえ、代えを頼む」
「かしこまりました」
音もなく、白髪をオールバックにした初老の男性――店長が現れると、クォートに一礼する。
一瞬の間を置くことなく、店長は素早く、それでいて優雅に飲み物と焼き菓子を、それぞれの前に置いていく。
俺の飲みかけていたカップも下げられ、代わりに湯気の立つ豆茶が注がれたカップが静かに置かれる。
さざ波一つない湖のような豆茶から、豊かな芳香が漂ってくる。
俺は反射的に店長を見てしまう。
彼は、ナイスミドルな笑みを浮かべたまま、サッとカウンターへ戻っていく。頭の位置が変わらず、足音もしない。床を滑っているのではないかと疑ってしまう。
カップの中身を揺らさず運ぶことが出来る時点で、只者じゃないよな。店では店長に迷惑をかけないように気をつけよう。
「さて、妹が急かすので、本題にさっさと入るぞ。ルドルフに登録用紙を渡し、問題なく武芸大会に出場が出来るようになった」
「私がアリシアさんをお兄様に紹介して、三十分も過ぎてないのだけど」
「この程度の事務処理は、リズに言付ければ一瞬で片付く」
後ろに控えていたリズが一歩前に出ると、懐から筒上に丸められた紙を取り出して、こちらに広げて見せる。
異世界の言葉は、マスターしてないけれど、印刷された枠に五名の名前が書かれ、その上から赤い判子が押されている。
「主様の雑務を素早く片付けるのもメイドの嗜みなのです。リズにかかれば、朝飯前なのですよ」
「確認なんだけど、俺が瞬間的に意識を失っていなければだけど、リズはずっとクォートの後ろにいたよな」
「ソーマ様、それが何か問題でも?」
ニッコリと微笑むリズ。
ここから、ルドルフさんの研究室、もしくは理事長室って、一瞬で移動できるような距離にないんだけど。
反射的にツッコミを入れようとしたが、俺はグッと堪える。
元の世界と違って、異世界は、魔術とか魔導具とかあるし、自己像幻視を作り出して、作業分担とか出来るかもしれないし。
俺は、努めて笑顔を作り、首を左右に振る。
「なにもないです」
「そうですか、それは良かったです。リズはソーマ様に、家政婦魔闘術・ハガク流の真髄をお見せしなければいけないのかとハラハラしました」
ホッと安堵のため息をこぼすリズ。その手には、どこから取り出したのか分からない大鎌が握られていた。
何故、大鎌が必要になるのか? そもそも家政婦魔闘術って何なの? 家政婦に闘の字って必要ないよな?
俺は背中を駆ける悪寒に、反射的な身震いをしてしまう。
あの笑顔のリズに、下手にツッコミをいれることはしないように、気を付けよう。
「ふむ、話を進めるぞ。武芸大会は個人戦とチーム戦がある。チーム戦は最大で十二チームが参加する。ルドルフが毎回上限数に達すると言っておったので、今回も漏れなく十二チームが参加するだろう」
「十二チームって、少なくない?」
「リンタロー、武芸大会は個人戦があるわ。個人戦とチーム戦、両方エントリーは出来るけど、体力の問題があるわ。そうなってくるとチーム戦より、個人戦を選ぶ生徒が殆どよよ」
「なんで? チーム戦の方が、個人戦よりプレッシャーとか少ないから、人気ありそうなのに……」
「チッチッチ、甘いよ、ソーマくん。チーム戦より、個人戦が人気なのは、単純な話だよ。チーム戦は、目立てないからだよ」
テトラが喋るより早く、アリシアさんが補足する。
若干悔しそうなテトラを気にすることなく、彼女は言葉を続ける。
「武芸大会は、自分の名を売る場所でもあるのだよ。国内はもちろん諸外国からも人が観戦のために集まるからね。チーム戦って、個々人は目立ちにくくなる傾向がある。一人で無双が出来れば目立つだろうけど、なかなか無理。だから、個人戦の方に生徒が流れちゃうんだよ」
「……あとは、個人戦の方が、その、相手を買収しやすいから」
おずおずとナリーサさんが、発言する。
なるほどね、対戦相手の買収もあるのか。
そりゃ、チームより、個人の方が買収しやすそうだ。
ちらり、と俺はクォートを見る。
彼一人いるだけで、うちのチームは買収難易度が天井知らずになりそうだ。
クォートがカップから口を離すと、フゥーと深い息を吐く。
「人材を探している立場からすれば、個人戦は、準決勝までは前座にもならないのだがな。むしろチーム戦の方が、自分を売り込む事に向いていたりする。何故なら、己の能力を把握し、適切な行動が出来るかを見れるからな。突出した能力を持つ人材は欲しいが、平均的な能力でも適切な団体行動が出来れば、引っ張りたい人材になる」
「……玄人向けのチーム戦の試合を喜ぶのは、お兄様を含めて、極々一部のマニアです。所詮は学園主催のお祭りです。派手な方が盛り上がるので、好まれて当然です」
「お、良いこと言うね、テトラっち。お祭りは盛り上りが大事だよ。盛り上げるために実行委員から、個人戦のオファーがあっても、頑なに断ったとは思えない発言だよ」
「――ッ! 何で知っているんですか!」
「蛇の道は蛇というわけだよ、テトラっち」
アリシアさんは、人差し指を立てて「チッチッチ」と、左右に揺らしながら逸らかす。
「そろそろ話を戻すぞ。チーム戦だが、我輩と妹は前衛。リンタローは、剣を多少は扱えるが、魔術をメインに考えて後衛。ナリーサ嬢は何が出来るのだ?」
「わ、わたしは回復系の初級魔術を少々と、武術を淑女の嗜み程度に……」
「ふむ、ならば、まずは後衛でサポートに回ってもらう方向で検討しよう。アリシア嬢は?」
「んー、あえて言うなら斥候かな。短剣くらいしか扱えないから、ガチ前衛は厳しいかも」
「ならば、遊撃を任せることにする。基本は後衛二人の護衛だ」
「オッケー、任せてよ」
それからしばらくの間、俺たちは自分の出来ることなどを確認しあった。
そして後日、場所を借りて、それぞれの動きを確認することになった。




