040.従者ラズ①
「けっこー無理ゲーな気がしてきた……」
学園の武芸大会に参加することが決まってから、既に三日が過ぎていた。
その間、俺は通常講義とルドルフさんに研究室、音楽室みたいな特殊講義室を行き来して過ごしていた。
まだ虫食い状態でしか、文字を読めないので、クォートが絶妙なタイミングで説明をしてくれて助かった。
ただの脳筋で戦闘狂ではなく、知識と指導力があるイケメンとかズルくないか?
ルドルフ研究室で、俺が現実に打ちのめされていると、スッとティーカップが俺の前に置かれる。
顔を上げるとリズが笑顔――いつもの顔で、俺に小さく会釈する。
「あ、ありがとう、リズ」
「気にしないでください。リズはリズのお仕事をこなしているだけですから。お疲れのようなので、疲労回復に効果があるといわれているハーブティーをご用意してみました」
ニコニコ笑顔のリズに促されるように、俺はティーカップに手を伸ばす。爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。一口飲むとスーッとハッカのような後味。
少し癖のある味がするけれど、確かに疲労感が洗い流されるような感じがする。
「うん、疲れが抜けて元気が出てきた気がするよ。ありがとう、リズ」
「え? ソーマ様、美味しいだけですか?」
「美味しいけど、美味しいと何かヤバいの?」
「い、いえ、そうではないですけど……」
リズは笑顔を崩さないが、妙な強ばりがある。
どう言うことだろうか。
流石に毒を一服盛ることはないだろうが、リズの反応を見る限り、只のお茶ではなかったようだ。
こういうときに限って――いや、こういう時を狙ったんだろうな。テトラは講義中だし、クォートは定期連絡とかで出ていったし、ルドルフさんは学園長の業務中で不在。
「リズ、もう回りくどい手はやめよう。コイツ、やっぱりなんかある」
「……ラズ」
ラズが研究室の片隅から姿を現す。いや、初めから彼はそこにいたはずなのに、その気配を今の今まで感じさせていなかった。
彼は射抜くような視線で俺を見据える。
肌に伝わってくるピリピリとした殺気。俺はとっさに身構え、固唾を飲む。
「あの狐女は十中八九、扶桑の出身だろ。そして、コイツも扶桑の人間だ。絶対に裏があるだろ」
「ッ! ラズ! そんなことバラし――」
「狐女がいるんだ。すぐにバレることを後生大事に隠しても意味ないだろ」
普段の柔和な態度からは想像できないほど、ラズの乱暴な口振り。
ラズから感じていた妙な感覚の正体、それは彼が猫を被っていた事による違和感だったのだろう、と俺は察する。
察したところで、何か出きることがあるわけでもなく、俺は誰か研究室に入ってくることを祈ることしかできない。
「だいたい魔力抜きの薬湯を飲んで、何ともないとか、異常だろ」
「それは……そうだけれど……」
ラズの言葉に、リズはおずおずと反応する。
魔力抜きの薬湯ってことは、飲んだ相手の魔力を強制的に排出させて、無力化させるとかだろうか。
俺はそもそも魔力がないので、飲んでも効果無効といったところだろうか。
アキツシマ工房の地下で、クォートには俺が魔力ゼロと説明したけれど、リズとラズは同席してなかったから、知らないのか。
クォートが二人に情報を共有していないのは何故だ? 単に忘れたのか?
思考を張り巡らせながら、俺はラズの挙動を監視する。
「俺に、何をするつもりだったんだ? 自白でもさせるつもりだったのか」
「ハッ、薬湯が効果なかったから、強気なのか? 他にも手段は色々と用意してんだよ」
「ラ、ラズ! そんな話、リズは聞い――」
「うるさいッ!」
動こうとしたリズをラズが一喝して止める。
そして、彼の手にはペーパーナイフくらいの短刀が握られていた。刃からは禍々しいオーラが漂っている。
「操り人形・短刀。悪いけど、お前には僕の人形になってもらう。僕は優しいから、自我を壊して廃人にすることはしないでやる」
「ラ、ラズ、それはやり過ぎだよ」
「やりすぎ? こいつは、あの狐女の関係者だ。やりすぎなものか」
俺には、ラズがシノさんを敵視している理由が検討もつかない。
ただ、シノさんが何かやらかして被害を受けたとかではなさそう。
「俺を操っても何も得することはないぞ。自慢できるような能力なんてないからな」
努めて友好的な表情で、ラズに声をかける。
剣や魔術は自慢出来ないけれど、俺が作ると威力倍増する炸裂玉とか自慢してと良かったかも。
そんなことを考えていると、ラズが鼻で笑う。
「お前にそんな事を期待するわけないだろ。お前に求めるのは狐女の情報だよ」
「……シノさんの?」
「当たり前だろ。お前以外に適任はいないだろ。狐女が同居を許すなんて、テトラ様を除いて、ここ数十年なかった話だ」
ラズの言葉に俺は少し考える。
シノさんが、いくら面倒くさがりの残念美人でも、弟子をとったことはある。現に学園長のルドルフさんはシノさんの弟子だ。
それにアキツシマ工房の三階には、個室があるし、二階は共同スペースになってて、複数人で生活できるようになっていた。
きっと弟子が自分の工房を立ち上げて、独り立ちするまで、アキツシマ工房で生活が出来るようにと、シノさんの配慮だろう。
「……なんで、シノさんの情報を集める必要があるんだ?」
「テトラ様のために決まってるだろ!」
目を見開き、即答するラズ。彼の瞳には狂気の光が宿っている。
ラズは両手を広げて、天を仰ぐような姿勢で言葉を続ける。
「狐女がいるせいなんだ。狐女がいるから、テトラ様はリリーシェル家に戻られないんだ! 狐女が神の恩恵を穢れた方法で封じたから、テトラ様は、リリーシェル家に戻ることが出来ないんだ! 狐女の化けの皮を剥がせば、テトラ様も目が覚めるはずなんだ!」
「ら、ラズ……」
ラズのただならぬ空気に、リズも数歩、後ろに下がる。
俺はラズを見据えながら、情報を整理する。
テトラは神の恩恵――魔眼の制禦が出来ずにいたところを、シノさんに助けられたと言っていた。テトラが耳にはめている赤い宝石をあしらったピアスが、たぶん魔眼封じの魔導具と思う。
シノさんに助けられ、テトラは人を助けるための魔導具を作り出せる錬金術師を目指すことになったと言っていた。
だが、ラズは、テトラが魔導具で神の恩恵を御している事が気に食わないようだ。
シノさんがいるから、テトラがリリーシェル家に戻れないと考えているようだ。俺を利用して、シノさんの弱味でも掴みたいのだろう。馬鹿げた話だ。
「ふざけたことを言うなよ。神の恩恵――魔眼を行使することが、どれほど危険なことかわかっているのか?」
ジワジワと俺の体の芯から滲み出してくる怒り。
椅子から立ち上がりながら、俺はラズを睨み付ける。
俺は魔狼との戦闘で魔眼を行使したテトラの姿を思い出していた。
魔眼の能力で、人知の及ばない魔狼と渡り合ったテトラ。でも、短時間で彼女はボロボロになった。
魔導具で魔眼を封じずに、日常生活が出来るはずがない。
「ハハハッ、そんなことを僕に尋ねるのか? 僕はテトラ様をずっと見守っていたんだぞ。テトラ様が神の恩恵で、廃人のような状態でさ迷い、狐女と出会うまでを見ていたんだぞ」
血走った眼で俺を睨み返しながら、一瞬で間を詰めたラズが、俺の胸元を掴んで引き寄せる。
「お館様の指示で、テトラ様を見守る以外の事をさせてもらえなかった地獄を、お前は想像できるか?」
ラズの荒い息が肌にかかり、ギリギリと奥歯を噛み締める音が聞こえてくる。
普段なら萎縮して、俺は何も言えなくなってしまう状況。
体の内側を満たす怒りが俺を突き動かす。
「わかるわけないだろ、バカ。自分不甲斐なさ、自分に対する怒りの捌け口を他人に求めるなよ!」
「――ッ!」
俺は自分の額をラズの額に押しつけるようにして、睨み返す。
緊迫した空気が研究室を支配する。
身長差があるため、俺はジワジワと上からラズを押し返す。
「……調子にのんじゃねぇ!」
絶叫とともに、ラズが短刀を俺の胸に刺した。




