037.昼休み②
「……嘘だろ」
俺は眼前に広がる光景に思わず呟いてしまう。
場所は学園の食堂。
席は八割ほどが埋まり、ガヤガヤと騒がしい空気の中で、俺は茫然自失してしまう。
何故か? 俺が小心者で、周囲の学園生に慄いているわけではない。
俺は、目の前に広がる光景に、ゴクリと固唾を飲む。
「ん? どうしたの、リンタロー。早く食べないと、お昼休みが終わるよ」
「そうだぞ、リンタロー。男子たるもの食えるときに食っとかないと、いざというときに戦えぬぞ」
向かいに座る、柔らかそうな金髪と蒼天のような澄んだ瞳を持つ容姿の整った男女――テトラとクォートが、不思議そうな顔で俺にアドバイスをする。
「ああ、それはわかっているんだけど……」
俺の反応に二人は一瞬、視線を合わせると首を傾げる。本気で俺が度肝を抜かれている原因が、二人ともわからないらしい。
俺は二人の前にある山を指差す。
「……その量、食べきれるの?」
テトラの前には、緑色のソースがかかったパスタみたいな料理が大皿で山を作り、クォートの前には拳大のパンに薄切りにした肉と葉野菜が挟まったものがレンガのように積み上げられている。
それだけには止まらず、大きなボールにサラダが山盛り。スープ皿は鍋と言っていいサイズ。そもそも六人掛けのテーブルなのに、料理で埋まってしまっている。
「なあ、妹よ。リンタローは何を言っているんだ?」
「お兄様の選んだメニューに彩りがないのが原因です。穀物や肉類の料理ばかりでなく、私のように、サラダや果物を選んで、彩りを気をつけてください。食事は目でも楽しむものです」
テトラが俺に視線を向ける。
リンタローの言いたかったことを代わりに代弁してあげました。とテトラは自信満々のご様子。
ごめん、テトラ。少しも当たってない。
俺は助けを求めるように、テトラの脇に控える執事風の青年――ラズを見る。彼は幸せそうな顔で、モグモグ食べるテトラを眺めつつ、せっせと料理を運んでくる。
テーブルに料理が溢れかえっている原因の一端にラズが関係しているのかよ。
俺は一度目を閉じ深呼吸をする。
うん、突っ込むことは諦めよう。
「いや、もういい……。それより、学園のシステムで、今一つよく理解できていないところがあるんだ。俺はテトラとどう違うの?」
「リンタローは、自分が何回生扱いか聞いてる?」
「確かルド――学園長は二回生になるって言ってたかな。だから研究室の配属もあった」
「二回生なら、私と同じだわ。私と大きな違いは所属している学科でしょうね。私は秘蹟科だけど、リンタロー……とお兄様は特別生よね。その場合、魔導科に近いカリキュラムになると聞いたことがあるわ」
「む、そうなのか。我輩とリンタローは、ルドルフの研究室で世話になるので、てっきり妹と同じ秘蹟科と思ったぞ」
「――ッ! ルドルフって、学え――」
大声を上げながら、立ち上がりかけたテトラ。自分の手で口を塞ぎ、何とか堪える。
ラズが横から手渡したコップを受け取り、注がれていた水を一気に飲み干す。
そして、妬ましそうな顔で、俺を睨む。
「えっと、どうかしたの?」
「……リンタロー、分かって言ってるでしょ」
「まー、なんとなく」
テトラの頬が膨らむ。
不意打ち過ぎた。テトラの可愛さに、俺はドキッとしてしまう。
反射的に顔をそらして誤魔化すが耳が熱い。
俺は深呼吸して気を静める。
「学園長は、お師様の弟子で、大陸でも有名な錬金術師よ。重量軽減と空間歪曲の術式の干渉を減らし、付与しやすくしたりと功績は枚挙に暇がないわ。多忙のため、研究室に生徒を受け入れることなんてないのに……。何故、お兄様が……」
顔を伏せて、ブツブツと愚痴が止まらないテトラ。
しばらく眺めていると、気が済んだのか、一度大きなため息をついてから、顔を上げる。
「魔導科は、学園の顔とも言うべき科です、遺憾ながら。国内外から入学や編入について、有力者から打診があるそうです。魔導科なんて、魔力の有無を重視している低俗なところなのに。秘蹟科の方が何百倍もいいのに……」
最後の方は、大変不満そうなテトラ。
俺は魔力がないのに、魔力が重視される魔導科扱いでいいのだろうか。
俺が悩んでいると、横に人の気配。確認すると女子生徒が立っていた。
整った綺麗な顔立ちと猫のような瞳。腰まで伸ばした癖のない赤い髪。
パッと見では、少し性格のきつそうな印象を受けるが、どことなく幸薄そうな雰囲気が漂ったいた。
彼女は、テトラとは違って制服の上にローブを着ていない。話に上がっていた魔導科や秘蹟科とは違う学科の生徒なのだろう。
「相席、よろしいでしょうか?」
「うむ、構わんぞ!」
テトラが口を開くより早く、クォートが返事をする。一瞬、テトラが嫌そうな顔をする。
女子生徒が俺の横に座る間に、ラズが手早くテーブルの上を整理して、女子生徒が持っていたトレイを置けるようにする。
「ありがとうございます」
「お気になさらないでください。お飲み物が必要であれば、僕に遠慮なくお申し付けください」
ニッコリと微笑んで一礼するラズ。女子生徒が息を呑み、わずかに頬を赤らめる。
たったそれだけで、女子生徒に好印象。やっぱりイケメンはズルいと俺は妬む。
「突然の無礼をお許しください、クォート=リリーシェル様」
「構わん。今の我輩は学園の一生徒だからな。学食で相席など生徒っぽくて良いぞ!」
「……お兄様、食事中に大声は、はしたないです」
「それも生徒っぽくて良かろう!」
テトラの嫌味も意に介せず、楽しそうなクォート。女子生徒はクォートの反応に安堵したような顔をする。
「わたしは、一般教養科に在籍しているナリーサ=レクスと申します。グルージュ地方に小さな領地を預かっておりますレクス家の次女でございます。クォート=リリーシェル様のお目にかかることができて、大変光栄でございます」
「堅苦しいな! クォートと呼んで構わぬぞ、ナリーサ嬢! な、妹よ!」
「……そうね」
物凄く嫌そうな顔でテトラは同意する。
俺はちょっとした違和感に眉をひそめてしまう。
朝のホームルームでクォートがとった態度に比べると友好的過ぎる気がする。女子生徒――ナリーサさんが、好みというオチでもなさそうな気がする。
「ありがとうございます。……貴方は?」
「俺は相馬凛太郎。大陸風に言うと、リンタロー=ソーマ。前の二人と違ってただの一般生徒だよ。好きに呼んでくれて構わないから」
「ナリーサ嬢、リンタローを侮らぬ方が良いぞ。『破戒師』の関係者だからな!」
「――ッ!」
ナリーサさんは、驚愕した顔で俺を見る。
俺の関係者って、シノさんくらいしかいないんだけど、破戒師って……。
「よ、よろしくお願いいたします、リンタロー様……」
「俺は一般人だから。様はいらないから。呼び捨てで全然構わないから」
「それでは、あまりにも粗野過ぎます。リンタローさんで」
「俺は……貴族だから、様付けした方が――」
「とんでもないです。レクス家は大した貴族ではありませんし、学園では貴族だろうが平民だろうが、学友として平等ですから」
そう言って微笑むナリーサさん。
初めの性格のキツそうな印象は薄れ、あまり人前に出たことのない良家のお嬢様という感じを受ける。
俺がナリーサさんの笑顔に見とれていると、頬がチクチクするような感じがあった。
横目で確認するとテトラが俺を物凄く睨んでいた。何でだよ。
「なら、ナリーサさんと呼ばせてもらうよ」
「はい、よろしくお願いします」
癒し成分がふんだんに含まれていそうなナリーサさんの笑顔。
俺が学園に通って、初めて良かったと思えた瞬間かもしれない。元の世界で、こんな美人とお近づきになれる事なんて、あり得なかったからな。
「おや? これはこれはレクス家のナリーサじゃないか。こんなところで見かけるなんて奇遇だな」
「ラ、ラゼル様……お、お久しゅうございます……」
突然、ナリーサさんに掛けられた声。
男子生徒――ラゼルが嘲るようナリーサさんを見下ろしていた。その脇に数人の男子生徒の姿があった。
ラゼルとその取り巻きは、制服の上からローブを着ている。雰囲気からして、魔導科の生徒だろう。
ナリーサさんは、顔を青ざめさせ、身を縮ませて震えている。ギュッと唇を結んで、テーブルに視線を落とす。
ラゼルとナリーサさんの関係がどんなものか、その姿から、俺はなんとなく察する。
「こんなところで、のんびりと食事をしてて良いのかい? レクス家は、債務が窮乏していたんじゃないか?」
「……………………」
ナリーサさんは、震えるばかりで、ラゼルの方を見ようとしない。ラゼルは、フンと鼻をならして彼女から視線を外すと、テトラとクォートに向き直る。
「先にお声を掛けずに大変失礼しました。あまりにも大きなゴミが目に入ってしまったので。クォート様、テトラ様、お久しぶりです。お二人がお揃いになっているところは、随分とお久しゅうございますね。私の記憶では、テトラ様の十一歳の生誕パーティー以来ではないですか?」
「うむ、久しいな、ラゼル。お前のいう通り、公の場を含めて、妹といるのは久しぶりだな。我輩が騎士団に入ってからは、妹の生誕パーティーに顔を出すことが出来なくなっていたからな」
「そのかわり、クォート様の勇猛果敢な逸話は、いくつも耳にしております。そんなクォート様と同じ学舎で勉学に励むことが出来るとは、至極の喜びでございます」
「ハッハッハ、世辞はよい。学園ではラゼルが先達だ。それ相応の立ち振舞い方を我輩に見せてくれることを期待しておるぞ」
「必ずやクォート様のご期待にそえるようにいたします」
恭しく一礼するラゼル。その顔には自信とは違うネットリとした何かを感じて、俺は背筋に悪寒が走る。
ラゼルは周囲を一瞥して、クォートとの友好な関係をアピール出来たこと確認すると、取り巻きを連れてテーブル席から離れていく。
「……あいつ、少なくとも二年は学園にいるのに、私に顔見せに来たことない」
「だろうな。所詮は路傍の石と変わらん有象無象の一人だ。豪傑と謳われたポレア殿も子孫の不甲斐なさに嘆いておられるだろうな」
去っていくラゼルを全く見ることなく、食事を再開する二人。まるで先程のやり取りなど無かったかの様な切り替えの早さに、俺は驚いてしまう。
アレは貴族社会の社交辞令ってやつか。自信満々のドヤ顔で離れていったラゼルが憐れ――いや、ナリーサさんへの態度を考えると生ぬるいかもしれない。もっと大々的に赤っ恥をかかせても良いくらいだ。
「……ナリーサ、さん。早く食事を済まさないと昼休みが終わってしまいますよ」
テトラにしては珍しくぞんざいな口調。ナリーサさんは、弾かれたように彼女を見る。
しかし、ナリーサさんから視線をそらして、黙々と食事を再開するテトラ。
あ、テトラが照れている気がする。慣れないことをするんじゃなかった、とか思っている気がする。
「うむ、妹のいう通りだ。食事は取れるときにしっかり取るが鉄則だ。そして、一緒に食事を囲む者と会話を楽しむのも大事なことだ。……ラズ」
「御意」
ラズは一礼すると、タタン、と踵を鳴らす。同時に淡い光の線が走る。そして、テーブル席を囲むように幾何学模様を描く。
パチン、とラズが指を鳴らすと幾何学模様が一瞬強く光って消える。するとスーッと周囲の喧騒が遠退いていく。
「クォート様、遮音結界の展開が完了しました」
「うむ、いつもながら鮮やかだな手際だ。さて、ナリーサ嬢、話したいことがあれば気兼ねなく話すがよい」
ニッと笑うクォート。それだけで、絶対の安心感があった。
これがカリスマ性ってやつなのかと俺は妬んでしまう。
それからナリーサさんは、ポツポツと話し始めるのだった。




